いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
全てのことについて感謝しなさい
上は聖書の言葉で、母が好きな聖句だ。
私たち母娘は同じキリスト教系の(小)中高を卒業しているのだが、
クリスチャンではないし、教会に通っているわけでもない。
それどころか、私は(想像するに母も)
学校での毎朝の礼拝は遅刻するか、寝てるかで、
今もそうだが、完全なる「迷える子羊」であった。
それでも日々右から左へとスルーしていたつもりだったいくつもの聖句というのが、
今になって思い出されたり、
今になって「ああ、こういう意味だったのかしら」なんて思ったりすることがある。
歴史の長い世界の宗教というのは、
信者であっても、信者でなくても、
それぞれ解釈は違うかもしれないが、
人がこの宇宙の中で生きる上で普遍的なことを言っているような・・・気がする。
さて、上の聖句、
私は「絶えず祈りなさい」というところに引っかかる。
いつも喜んでいること、全てのことについて感謝しなさい、
というのは難易度は高いが、なんとなくわかる。
だが、絶えず祈れ・・・って。
私はこれまで何度も祈ったことがあるが、結果、
祈りが叶えられたときと叶えられないときがあった。
祈り方が悪かったのか、
そもそも祈りの内容が神様的に「あんた、そりゃないだろ」って言う
自己中心的なものだったからだろうか。
とにも、かくにも、絶えず祈ったところで、
それが届いてんだか、届いてないんだか、
受け取った人(神様?)はどう思ったのか、とか、
しまいには、結局祈ったところで何の効果と意味があるんだ、
とかって、なってしまうのだ。
祈りが聞き届けられるか否か、が、
もう最初から決まっているのであれば、
絶えず祈ることに何の意味があるのだろう、と。
病気が治ることを祈っても、治らずにこの世を去ってしまうことだってある。
祈りが聞き届けられる、られない、が、
もはや宝くじに当たる、当たらないとかって感じになってしまう。
それでも、絶えず祈れ・・・とは一体、真の意味は何なのだろう。
祈りの結果に関して、「あ〜〜〜、そういうことか。なんかずるいような」、
でも納得するような解釈を読んだことがある。
You might not get what you WANT
but you will surely get what you NEED....
はっはぁ〜〜〜、って感じしない?
つまり、祈りや願いは求めたいた形では返ってこないかもしれないが、
神様?宇宙は、確実にあなたにとって「必要なもの」「必要なこと」返してくれる、と。
確かに願い事が全部祈りで叶っちゃったら世界はえらいことになる。
それでも祈るのなら、あなたはあなたにとって必要な道を必ず示される、
ということなのだろうか。
結論などないけれど、今の段階での私の考えはこうだ。
人は宗教云々に関わらず、祈らずにはいられない時がある。
その祈りが純粋であればあるほど、
それは自分のコアである魂と直結している。
その魂から出た祈りは宇宙と共鳴する。
そして何かが・・・動く。
祈ったそのままが返ってくるとは限らない、けれど、
魂から出た祈りは、必ずその魂が納得する、必要な、何かを受け取れるのではないか。
そして、最もパワフルな祈りは、人のための祈りだと思う。
誰かを心から想う祈りは愛そのものだからだ。
もしかしたら、絶えず祈る、というのは
常に自分が愛の中に、愛そのものでいなさい・・・・
ということなのだろうか。
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絶えず祈りなさい
全てのことについて感謝しなさい
上は聖書の言葉で、母が好きな聖句だ。
私たち母娘は同じキリスト教系の(小)中高を卒業しているのだが、
クリスチャンではないし、教会に通っているわけでもない。
それどころか、私は(想像するに母も)
学校での毎朝の礼拝は遅刻するか、寝てるかで、
今もそうだが、完全なる「迷える子羊」であった。
それでも日々右から左へとスルーしていたつもりだったいくつもの聖句というのが、
今になって思い出されたり、
今になって「ああ、こういう意味だったのかしら」なんて思ったりすることがある。
歴史の長い世界の宗教というのは、
信者であっても、信者でなくても、
それぞれ解釈は違うかもしれないが、
人がこの宇宙の中で生きる上で普遍的なことを言っているような・・・気がする。
さて、上の聖句、
私は「絶えず祈りなさい」というところに引っかかる。
いつも喜んでいること、全てのことについて感謝しなさい、
というのは難易度は高いが、なんとなくわかる。
だが、絶えず祈れ・・・って。
私はこれまで何度も祈ったことがあるが、結果、
祈りが叶えられたときと叶えられないときがあった。
祈り方が悪かったのか、
そもそも祈りの内容が神様的に「あんた、そりゃないだろ」って言う
自己中心的なものだったからだろうか。
とにも、かくにも、絶えず祈ったところで、
それが届いてんだか、届いてないんだか、
受け取った人(神様?)はどう思ったのか、とか、
しまいには、結局祈ったところで何の効果と意味があるんだ、
とかって、なってしまうのだ。
祈りが聞き届けられるか否か、が、
もう最初から決まっているのであれば、
絶えず祈ることに何の意味があるのだろう、と。
病気が治ることを祈っても、治らずにこの世を去ってしまうことだってある。
祈りが聞き届けられる、られない、が、
もはや宝くじに当たる、当たらないとかって感じになってしまう。
それでも、絶えず祈れ・・・とは一体、真の意味は何なのだろう。
祈りの結果に関して、「あ〜〜〜、そういうことか。なんかずるいような」、
でも納得するような解釈を読んだことがある。
You might not get what you WANT
but you will surely get what you NEED....
はっはぁ〜〜〜、って感じしない?
つまり、祈りや願いは求めたいた形では返ってこないかもしれないが、
神様?宇宙は、確実にあなたにとって「必要なもの」「必要なこと」返してくれる、と。
確かに願い事が全部祈りで叶っちゃったら世界はえらいことになる。
それでも祈るのなら、あなたはあなたにとって必要な道を必ず示される、
ということなのだろうか。
結論などないけれど、今の段階での私の考えはこうだ。
人は宗教云々に関わらず、祈らずにはいられない時がある。
その祈りが純粋であればあるほど、
それは自分のコアである魂と直結している。
その魂から出た祈りは宇宙と共鳴する。
そして何かが・・・動く。
祈ったそのままが返ってくるとは限らない、けれど、
魂から出た祈りは、必ずその魂が納得する、必要な、何かを受け取れるのではないか。
そして、最もパワフルな祈りは、人のための祈りだと思う。
誰かを心から想う祈りは愛そのものだからだ。
もしかしたら、絶えず祈る、というのは
常に自分が愛の中に、愛そのものでいなさい・・・・
ということなのだろうか。
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