ロシアがS-300をきっちりシリアに配備したことでイスラエルはどう出て来るんだろうとそっちに気を取られている昨今だが、一方で国内では、もう飽きて顔も見たくない政権が、またなんか内閣を作ったらしい。
どうせろくなもんじゃないだろうと思っていたわけだが、やっぱりろくなもんじゃないらしく教育勅語が話題になっているようだ。
例によって例のごとく、外には見せられないような日本がここにあるという恰好ですね。
国民の生活が第一なんていう政治はですね、私は間違っていると思います by 稲田
とか
国民主権、基本的人権、平和主義、この3つはマッカーサーが日本に押し付けたもの、この3つをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ
ってのが現在の日本の政権の基本トーンですんで。
ホントの話が書けない日本 稲田編
で、外交ですとかいうと、改まって我々はG7の一角としてとか言い出すんでしょ。爆笑もの。
さてそこで、去年、教育勅語が話題になった時に書きそびれたことを一つ書いておこうという気になった。
これは作家の高橋源一郎氏が訳された教育勅語の現代語訳。センスありますね。
作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!!
https://dot.asahi.com/wa/2017041800076.html?page=2
さらに、この現代語訳と教育勅語原文を対比にされていた方がいらした。引用させていただきます。
教育勅語を現代語訳してみたよ
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/04/08/122423
■ 主従関係を壊したくせして何を言う
で、私が、酷く腹を立てるのはこの下り。詩でいうなら第二連みたいな下り。
我ガ臣民
克よク忠ニ克よク孝ニ
億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥そノ美ヲ濟なセルハ
此レ我ガ國體ノ精華ニシテ
教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス
高橋さんの現代語訳はこれ。
その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。
その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。
そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。
太字部分は要するに儒教的な、忠・孝なんだとは思いますが、一体全体、誰が、忠心を持った人々を悪者扱いして殺したんだよ、と私は言いたいですね。
つまり、会津を代表例とする幕府側の譜代大名の多くは、幕府を支えようとしていた。徳川家あっての自分の家だという意味でまさしく忠義を大事にしていた人たちですね。
しかるに、そこを、適当な言い訳拵えて、錦の御旗なんていうインチキな芸当で戊辰戦争に持ち込んだのは誰なんだよ、と。
諸藩はそれまで二百数十年、概ねみんな大枠では仲間だと思って暮らしていたわけでしょ。そこを、クーデターで「玉(天皇)」を担いだことをきっかけに、徳川体制に対する忠義およびその当座の秩序維持に腐心していた側を、「朝敵」扱いして、すなわち善悪をねつ造して、東北諸藩を「討伐」したわけです。何なのこれ??でしょう。
忠義を尽くすとこのようにハチの巣のように撃ち込まれ、みなさん自刃する羽目に陥るのが明治朝日本の真実というべきでしょうか。
(明治7年だったかの取り壊し直前の会津若松の鶴ヶ城の写真)
そしてこの戦争マップ。一体全体、なんで戦争が、つまり罪もない人たちを殺しに向かう必要があったのか。まったく意味不明な無駄な人殺しこそ戊辰戦争というものでしょう。
いやぁ、まぁあれだ、この乱暴さは、最近の例でいえば、ウクライナのバンデラ主義者みたいなもの。ウクライナのバンデラ主義者がクーデターの後、CIAの支援を受けて、意味不明に戦車持ち出して同じウクライナ人を1万人ぐらい殺していって、一帯を恐怖支配していったのと非常にかぶる。
結局クーデター政権ってそれしかやりようがないんだよね。
つまり、武力討伐しておとなしくさせないと、自分たちに正統性がないから誰も付いてこない。
というわけで、日本においては武装する可能性が一番高いお侍クラスを殺すために、わざわざ遠征していったのが戊辰の掃討作戦というものでしょう。
ということで、一体全体、何のかんばせあって「克ク忠ニ」などと言えるんだ、ということです。
まぁ、武士道が聞いてあきれる。日本の魂が武士道だ(by 新渡戸)なんて言うな恥ずかしい、といつも思ってる。
しかも、この教育勅語自体が、そもそも維新以来くすぶっていた民権派をどうにかして崩そう、力をそごうと思って作ったんだろうと思われる。
ここにも、裏切りがある。
民権派みたいな人たちは、維新を徳川の旧態を終わらせて、四民平等的な(用語はともかく)新しい世の中にしようと思って、倒幕にも力を貸したか、少なくとも抵抗勢力にならなかった。
明治六年の政変、開拓使官有物払下げ事件、十四年の政変と、だんだんと民権派が邪魔になってきた。
そこで、明治23年の勅語という名の文書が来る、と。
勅語というけど、別に明治天皇が書いたものではないし、口に出したものでもないのは誰でも知っており、また、井上毅は苦労して書いたとも知られているので、名称は「勅語」だろうが、厳密には勅語と言うべきではないのではなかろうかという気もする。
明治朝日本のやることは本当に下品でかなわん。
今になって、こういうことを人々が大っぴらに言うのも無理はない。だって酷いもの。
明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫) | |
原田 伊織 | |
講談社 |
維新正観―秘められた日本史・明治篇 (PP選書) | |
蜷川 新,礫川 全次 | |
批評社 |
「長州レジーム」から日本を取り戻す! 維新前後の妄想
明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか? | |
苫米地 英人 | |
ビジネス社 |
■ あらためて思い出す閔妃殺害事件
前に、朝鮮の王朝の閔妃殺害事件の惨さを、日本史上特筆すべき恥だろうと書いたけど、いやほんと、反省のないクーデター政権でもなかったら、こんなことできないでしょう。
普通はできないですよ。でも、上で見たような集団なら出来たんでしょう。
ロシア外務次官韓国訪問&露館播遷
慰安婦問題のフォーカスと日清戦争
いやしくも、王(皇帝でもなんでも)のいる体制が身についていたら、他国の王妃を殺害するとか、後宮で辱めるなど、考えも及ばない。絶対やらない。だって、後々までのその国の落ち度となり不名誉となり、そして実行者のその家の不名誉となり、おそらくそれは歴史がある限り消えないから。
だから、どうしてもやるなら、現地人を使うか、007的なスパイを使う。イギリス人は平気らしいところが確かにある。
が、それでも、ロシアの皇帝の中にはイギリスに手をかけられた疑いがある、といった話が100年たとうが150年たとうが出て来る。王についての歴史は調べる人がたくさんいる。そういうもの。
こいつのSM変態性欲狂いも有名ですし。
それでも捕まらないことが示す通り、苫米地は権力機構側の人間です。
コメントありがとうございます。
「わしゃ小学校まで天皇陛下は神様だと本当に思っていた」というのは、1945年までの何十年かの日本人全員が被らされていたヘッドギアのようなものだったと思います。
だって、公然と「そんなわけないやろ、人間や」と言ってはならなかったわけですから。(言ったら制裁が待つ)
現在の政権がやろうとしているのは、この手のタブーによる強制をもう一度試みようとすることだと思います。
ですので、人々があちこちで別のことをたくさん言わないと、負けてしまう、と思ってます。あらためて、書いてくださってありがとうございます。
祖父も1888年生まれで第一次大戦の青島攻撃に参加しています。親子2代教育勅語で育てられたのですが、結局大日本帝国は滅びました。戦後70年以上たって、東条内閣もどきができるとは父もあの世でビックリしているのではないか。「歴史は繰り返す一度目は悲劇として二度目は…」
原田伊織さんの説がすべて正しいとも思いませんし、お書きになったものはむしろ戦後すぐの蜷川氏の本に強く影響されているのではないのか、などとも思います。その意味でいろいろ難はあるでしょう。
それはそれとしてご案内のリンク先も奇妙なことを言ってますね。歴史がまったくわかってない人が言葉尻を捉えて文章を書いているな、と思いました。
すなわち、ああ、明治維新テロリスト説がイヤな人はいるんだな、など思って興味深く読みました。わはは、みたいな感じでしょうか。
寺の建物が残っていたからといって寺(または社寺)が残ったことにはならないですよ。ああいうものはある種事業体みたいなものなわけで、その基盤は確かに壊された。これは日本にとって、びっくりするような出来事であることに違いはないです。
>http://touryuuuan.blog.jp/archives/1064198255.html
例えば、原田伊織氏は「大和四大寺」の内山永久寺を「我が国四大寺院」とし、建物が移築現存しているのをすべて破壊されたと誤認しています。
興福寺と共に我が国四大寺の一つという格式を誇った内山永久寺 に 至っ ては、 更に酷いもので、 徹底的に破壊され尽くし、 今や その 痕跡 さえ み られ ない。姿を残してい ない の だ。 この世 から 抹殺 さ れ て しまっ た ので ある。
原田伊織. 明治維新という過ち 【改訂増補版】: ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~ (Kindle の位置No.255-257). Mainichi Ones. Kindle 版.
原田伊織氏は現地に行っていないようですが(現場に佇めば歴史がわかるっていってなかったっけ?)内山永久寺の建造物は移築現存しているものもあります。例えば、内山永久寺鎮守社は石上神宮に移築されて現存しています(下の写真。画像はウィキペディアより)。
しかもこの社殿の移築は大正年間ですので、原田伊織氏が断言する「この世から抹殺された!」というのは実に大正時代になります。随分悠長なテロですね?
確かに、一貫して、メンバー(臣民とか)は奴隷という建付けが好きらしい。
鼓舞の仕方として、フランス革命とか頼朝とか、一緒にやろう、みたいな持って行き方もあるだろうに、そっちはない。
日本がアジアの盟主、なんて言い出したのはずっと後の話でしょう。清が倒れたからそんなことも気軽に言えるようになった、ってところ。
植民地を持つほど日本国内に工業実績がないので、それもずっと後の話。
じゃあなんで外にばっかり目が向いたのかといえば、それはやっぱり教育係がそういう人たちだったからとしか言えないと思います。
アジアの遅れた国々を欧米の植民地であること解放し、日本がアジアの盟主になる。
って、結局、欧米同様、植民地から搾取したかっただけじゃない?
日本会議も、結局、脱亜入欧&大東亜共栄圏(つまりアジアの中で日本は特別)の亡霊じゃなかろうか。だから、またぞろ教育勅語だの言ってくる。
誰が首相になって同じじゃないかと思う。日本会議的な思想、世の空気を何とかしない限り。
歴史教科書をめぐる日本会議のハラスメントは目に余る。怖いもの見たさで育鵬社の歴史教科書を読んでみようと思っているが、まだ手がだせない。血圧があがりそうで。