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明治朝日本:復古王朝は着地したのか

2019-05-02 18:48:38 | 参考資料-明治

明治朝日本4代目の王の就任の日とかで、人々は元日のように迎えている。ショッピングセンターでは「令和」と入った袋に入ったお菓子の詰合せだとか洗剤の詰合せが置かれいていた。

昭和から平成に代わる時を多少は記憶しているが、こんな感じではなかったと思う。もう今の日本はすべての行事が商業上のイベントになっていて、世俗化というより、なんなんだろうこの軽薄さはと日々眺めている。

昭和の時代といっても20年代を知るわけではなく、私などは最後の方しか記憶がないわけだが、それでも、お正月が来るというと、あらたまるという気持ちが共有されていたと思う。買い物の日ではなかった。

 

■ 明治朝

で、この代替わりの日を巡っていろいろ思い返してみるに、明治朝というのはつくづく国際戦略上の必要性から生み出されたものなのだなという感想を持つ。つまり、日本をユーラシアの東を担当する場とするために作った王朝ということですね。

日本の中ではこういう考えをする人がまだほんの少数しかいませんが、これは将来において明らかになり、確立される可能性のあるストーリーであると私は考えています。

20年前にはそうは思えなかったし、10年前でもまだ気持ちがかたまっていなかった(つまり自分自身が受け入れられなかった)わけですが、最近は、そりゃ当然そうなるだろうとしか思わなくなりました。

そもそも日本の領土内だけ見ても、それ以前との関連性なんて考えるのがバカバカしいほど異なる「皇室」ができ、江戸城に入り込んでそこを自分ちにしてしまったんだから、これはある種の権力簒奪が行われたといっても全然無理がない。

それを、簒奪側はそんなことを認めたくないから、もともと権利があって復古した、と言ってるわけでしょう。

英語では明治維新をMeiji Restration(明治の復古)と呼んでいますが、その語が発想された淵源には、イギリスで、清教徒革命後、1660年あたりからに起こった王政復古があった可能性もあるのではないだろうかと思ったりもする。英語圏ではこれを、The Restrationという。一回失った王権を復活したという意味で「ザ・復活」と呼んでいるわけですね。

つまり、日本の場合は、本当は天皇の王政であるべきであるにもかかわらず、武家政権が簒奪していたが、このたび復古した、したがってこれは正統であるという趣旨で「明治復古」と呼んでいる、と。

後に、1937年に、文部省が「国体の本義」という本をまとめて教育方針を統一したというか、国民に広く押し付けというかをした時に、武家時代が圧倒的に簡略化されていて、今見ると、どうしてこんな馬鹿なものを受け入れたんだろうとしか思えないような仕様になっているのは、復古した側こそ正統であり、簒奪武家政権に意味などない、武家時代を称賛するわけにはいかないという建付けだと考えると別に不思議ではない。

 

全般的に、この復古王朝は、イギリスの王室を手本にして設計しているんだろうと思う。国家神道もアングリカンチャーチ(英国国教会)をモデルにしようとして失敗みたいなものではなかろうか。

 

1945年に敗戦した後の日本の皇室もまた、積極的にイギリスの王室の後を追いかけたと思われる。国民に開かれた王室というのは、日本の皇室が戦後取った方針だが、それはイギリスの事例を追いかけたものと見ることもできると思う。イギリスは、大昔から少なくともUK内の人であると言い得る王族もいるが欧州各国との結婚を通じて、勢力は拡張されたものの、その分欧州の王室となっていった。

現王室などはドイツ系が強く、家名も正式にはザクセン=コーブルク=ゴータ家なので、第一次世界大戦時には敵国ドイツに好感情を持っているに違いなど言われていたとかで、王室の名前を今のウィンザー朝に改めたのは有名な話。

その間、著しい経済格差のある時代でもあった19世紀から20世紀前半には、王室と国民というより、欧州中で親戚同士になってる上流階級とその他庶民みたいな対立感情が欧州中にあった。国民国家の成立以来みんなが国家でまとまっていたような話は話半分でしょう。欧州では、欧州上流階級とでもいうべきグループに対する一般庶民の冷たい視線は昔も今も結構強い水脈として存在している。

第一次大戦の時も、戦間期にも、第二次世界大戦の時も、イギリスの王室を含む上流階級と庶民は一体とはいいがたい。いいたがいからこそ、王室の側が国民へのアピールを重ねて、国民と共にある王室というのを作り上げていった。現在のエリザベス2世は、少女時代から軍服を来て平民と共に行動するなど、現在の王室がウリにしている国民と共にある王室に至る道筋をつけた、類稀なパフォーマーだと思う。

いうまでもなく、他国の王室、帝室をぶち壊す側の首謀者の位置にいるわけだから、いつそれが自分の側に返るかしれたものではない、という発想から先手、先手を打っていたのでしょう。

 

日本の皇室もこの路線を少しづつ遅れてついていったのだと思う。そして、昔から一貫してそれでよいと思っているらしくもある。

 

■ 問題点

で、一昨日までの今上陛下の取組みというのは、この復古王朝を日本国憲法を通じて国民の王朝に変えていくことだったんだろうな、など思ってみてる。

国民と共にある王室ですよ、というイギリス王室の戦後の建付けと同期させる試み。

しかし、問題はある。

オリジナルのThe Restrationは、正教徒革命で失った王権を復古するという出来事が比較的短い時間の中で行われている。つまり、現実に復古したと多くの人が実感できる復古だった。

しかし、日本の場合は、そもそも1000年以上ほぼ実権のなかった天皇をいきなり君主に立てるという荒業なので、これは復古というより、ファンタジーでしょう。

これが明治クーデターを断行した一群に納得されたのは、言うまでもなく水戸学などの困った国学とそれを信じた軽薄な維新の志士とやらのせいなのだが、そこだけを批判していても現代にとってはあやまり役に立たない。問題は、ファンタジーでない歴史をどうやって構築できるのかというところ。

ファンタジーでない歴史、特に社会思想史のようなものがなぜ必要なのかというと、これがないと私たちは何をよしとして何を悪いとするのか、善悪や思考、行動様式の集積がわからないから。

 

思えば、戦後、山本七平などが日本人の社会、ものの考え方、行動様式に非常な興味を示したのは、ファンタジーの歴史では解けなかった部分を解明したいという考えだったのだろうな、など思う。この人はいろいろ毀誉褒貶ある人だけど、非常に良い点をついていたと思う。

『日本的革命の哲学―日本人を動かす原理 』なんてまさにそうでしょう。

しかしながら、私が思うに、彼を含めた当時の日本の知識人の問題点は、日本でないところ、特に西洋に対する解釈というか、措定の仕方が偏っていることだと思う。

つまりですね、日本は明治クーデター以降に、アメリカを発信源とする宣教師の一群ががさっと来て、大ざっぱにいえば今でもこの人たちを通じて歴史を見てる傾向が強くある。しかし、それはアメリカ人の(特にクリスチャンの)歴史観、倫理観であって、その他世界で妥当であるとは限らない。というか、西欧州においてさえ異論があるでしょう。まして、現在のギリシャ、中東あたりを含めて再考するとなると多分様々な点で問題がある。

だから山本七平をそのまま頭っから信じるみたいな読み方は、私は推奨しない。

とはいえ、そうそう、日本人の行動様式についてファンタジーを離れようとした点はよかった。しかし、離れようとするともう一つの枠にはまっていた、みたいな感じですかね。

私が日本史について右派より左派が問題だと考えるのもこの構造。右派はただ馬鹿なだけだから話は簡単。左派はもっと根幹で間違ってる、控えめにいっても問題のあるプラットフォームに載っていると思ってるわけ。

で、この根幹の方が、この項の上に戻って、日本をよりイギリス王室を含む「西側」に近づけていると思うわけですよ。私はこれを個人的に好ましいこととも、日本というnationにとって将来性あるものとも考えていない。

 


 


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4 コメント

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なし (落合栄一郎)
2019-05-03 01:02:17
記事をいつも楽しんでおり、学ぶことが多くあります。ありがとうございます。今回の記事に関連してですが、私の考えの一端を、下の記事でご覧ください。コメントがありましたら、よろしく。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201905011118093
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安倍よりずっと大きい (ブログ主)
2019-05-03 16:06:27
コメントありがとうございます。ご案内の記事、読ませていただきました。

ここのところの日本の政権がなんでもかんでも動員して戦争(外征)しにいける国にしようとしていることへの危惧は共有しますが、これは安倍政権だけがやっているとは私は考えていません。もっとずっと息の長い話だと思います。

そして、事実として先週までの今上陛下が安倍と対置した考えを持つことからリベラル側と言われる方たちがだだーっと安倍に比べれば天皇でいいじゃないかといった感じに転げ落ちたところは、見事な戦略じゃないのよ、これはなど思いました。

個別の点はいろいろと今後の考察の際に考えさせていただきたいとこちらこそお礼を申し上げたいと思いますが、1点だけ、天皇を「神格化」しているという表現は事態を見誤るのではないのかなど思いました。

また、日本国憲法は別に天皇の「脱神格化」を意図していないと思います。むしろ、機関化institutionalizeしたのではないでしょうか。

いつでも使えるようになっているが、これまでは顕著に見えないことの方が多かったという代物。

この機関の機能は何かというと、「象徴」が語ると、あるいは振る舞うとかなりの人々はそれに抗わなくなる、ということじゃないでしょうか。

私はこれを疑似「法王化」ではないかと思ってます。
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違和感 (私は黙らない)
2019-05-04 04:29:06
天皇退位をめぐる一連の報道に、拭いきれない違和感を感じています。ちょっと言わせてください。
「象徴としての天皇」のあるべき姿を、皇后と共に模索してきた前天皇陛下。(上皇という呼び名は相応しくないと思う。院政じゃあるまいし。)しばしば口にされる「憲法をまもり」というフレーズ。(この守るというのはCompliant?それとも護る?)火炎瓶を投げつけられても、沖縄訪問の旅を続けられた両陛下。戦没者慰霊の旅を続けら得るお二人。「深い反省」という言葉。
膝を折り、被災者と同じ目線で語るお姿。
こういうお姿に、NOと言える人がいるでしょうか?
かくいう私も、前天皇皇后両陛下には、尊敬の念を禁じえません。一個人として、立派なご夫婦だと思います。
ですが、前天皇皇后両陛下が如何に優れた人格者であったかということと、皇室の存在の是非とはまた別問題だと思うのです。
うんざりするほどの皇室関連報道の中、たった一つでも、皇室の存在の是非を議論する番組がありましたか?今の日本で、皇室の存在っていうのはタブーなんですか?
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生き残り (ブログ主)
2019-05-04 14:44:05
私は黙らないさん、

跪く姿を嫌いな日本人も結構いましたし、今もいるでしょう。
先週までの両陛下がテレビに映る際には跪く両陛下ですが、実際には現地でお迎えする際にはちょうちんを持った昔ながらの感覚の人たちがお迎えしてました。

つまり、右からも左からも行ける設計だったという感じでしょうか。
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