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福澤諭吉の危機感:独立しているのか、いられるのか

2014-07-14 23:46:50 | 参考資料-明治

明治維新、大東亜戦争めぐる歴史の解釈西部邁2013年10月12日放送

歴史について千思万考の一端を―歴史の危機における人間とは何か?―面相、人相に現れ­るその時代背景

西部邁先生、佐伯先生、黒金先生というおじいさんたち3人がごしょごしょお話になっている。

西部先生はたびたび明治維新後の日本の話をされているけど、いつも「余韻」が残る。つまりあんまりはっきりした話にならない。何がおっしゃりたいのか言葉の背景を見たくなる。

今回は福澤諭吉を中心として明治維新の話をされている。

いろいろ印象的な文というか考えを残した福沢諭吉だけど、一身独立して一国独立す、という考えで明治維新後の日本を啓蒙した福沢だったけど、そういえば、やせ我慢の説もあった。痩せ我慢の説というのは、江戸城を無血開城したというのをみんな素晴らしいことだったというけど、あれで徳川250年の間にあった武士としての矜持を失ったんじゃないのか、という話。

それを西部先生、佐伯先生は比較的まともに向き合うとするんだけど、黒鉄ヒロシさんが、あれは本気でいったというよりも、流れてしまう世論に対して心の文鎮をふっとおいてみたというだけだろうとおっしゃる。

この説は、確か、司馬遼太郎氏が同じように書いていたと記憶する。福沢の説はたいていプラクティカルなものだが、この部分は酷く書生くさいとかなんとか書いていた。たしか、『「明治」という国家』の中のどこかだったと思う。

で、この2年前の対談を見てふと、結局言いたいことが一つ抜けているから、いつももちゃもちゃなんだろうな、と思った。

それは、なぜ福沢にとってそれほど独立が問題だったのかということ。

それは、日本は独立とは呼べない状態にかなり近いという危機感があったからではなかろうか?

つまり、明治維新とその後の新政府というのは、非常に強くイギリス、アメリカの影響を受けていたわけで、それを福沢は一生懸命、弱い国家が粋がっても仕方がない、30年、30年我慢してその間にある程度強く、豊かな国家にするんだ、と自らを鼓舞していたんでしょう。

世の中に多数傀儡国家というのがあるけど、明治の日本はそこまではいかない、立派な本体を持っている、が、油断するとそっちに落ちていく危ない地点にあるという明確な認識があったんじゃないか。それが故に独立ということを説いている。

それなのに、その舞台裏を知らない人たちが、近代万歳、開国万歳、西洋すばらしい、みたいな認識でへらへらしているのが怖くてならなかった、ということじゃないかと思うわけです。

■ 多分、ドミニオンぐらいだった日本

こういう書き方をすると、いや日本は一度も植民地にはなっていない。ちゃんと自前の政府があって云々とおっしゃる方が多いだろう。実際そうなんですよ。

ただ、主だった人々が一年も外遊するって何ですかという非常に不可思議な状態にあったのも事実。

で、結果的にこの人たちを中心にして独自の政府を作っていった。それはそれで立派な独立だろうと解釈できる・・・かもしれない。

しかし、私が思うにこれは独立というより、自治なんじゃないかと思うわけです。

autonomousとindependentはちょっと違う。autonomousは自治、independetは独立。

で、昨今名前が上がることの多いクリミアは、ソ連邦崩壊以降ウクライナに所属したけど、自治共和国だった。自治にもいろんなレベルがあって、クリミアの場合はある程度高度な自治を許された共和国だったといわれている。

では独立と何が違うのか。それはsovereign、主権を持ってないってことじゃないですかね。一つの主体として100%なんでも好きなようにできるという格ではないってこと。なんせウクライナに所有権が付いているわけだから。

では具体的にそれは例えばどんなことか。自治共和国の首長を独自には決められず上にある国家の承認が必要とか、法律も承認が必要とかそういったこと。いろいろレベルはある。しかし共通しているのは、外交権は普通ないでしょう。つまり、一国として他国と交渉できないわけ。

さて、なんでこんなことを書いたかといえば、私はイギリスは日本をしばらくの間、autonomous、自治領扱いで見ていたんじゃないかと思うから。ということは、当然上に自分がいる、と。外交の方針は基本的に俺らに聞けよ、という考え。(外交に不慣れなんだからある程度制御しとかないと、せっかく親英政権作ったのにロシア帝国やら清にさらわれたら目もあてられない、というのが主要な動機)

これはイギリスにとっては珍しくないやり方で、例えば、カナダ、オーストラリア等は最初は植民地だけど、次のステップがこのautonomous。で、この状態になると、内政一般は自由にできるが、外交は勝手にできない。ただしこの英グループはautonomousという語を使わず、一般にDominionという。

この自治領群が最終的にだいたい独立と扱われていくのは、1931年のウェストミンスター憲章によって本国と対等の地位と独自の外交権を認められたところからで、それでもしばらくは本国UKに対する忠誠義務が残っていたけど、それも戦後になくなったので、ここを最終かつ完全な独立とみる見解もある。

で、これは偶然だとは思うけど、カナダが自治領、Dominion of Canadaになるのは1867年なんです。

■ 隠していたことのデメリット

イギリス(というか、実は一部のグループを中心としていただけでしっかり国家単位のアプローチだったか否かはかなり怪しいところもあるわけど)は、とにかく明治維新前後からしばらくの日本はグレート・ゲームの極東戦線におけるイギリス側の重要な資産になっていた、と考えてみることはそう無理ではない。親英政権の樹立ってやつ。

私はこの認識をフラットに、あまり感情的にならずに認める、少なくとも一つの前提として認めることが日本にとっては結構必要じゃないのかとかねがね思っている。

それがないと、すべてを国内の人間関係、幕藩体制の疲弊によって維新前後からの事件を考えないとならなくなるわけで、それって、日本の戦後史を他国の動き抜きに語ろうとするようなものだろうと思う。(実際、日本はこの傾向が好きというかこうやって慣らされているところはある。田中角栄の失脚を国内事情だけで考える、みたいな感じ)

極東情勢を考えながら、特にイギリスが何をしたかったのかを考慮せずに日本がなんであんなに朝鮮、満洲の動向を気にかける必要があったのかを理解するのは無理があるんじゃないんでしょうか。(同様になんで日露戦争の資金繰りやメディア対応も理解できない)

また、朝鮮、清を相手にした、過剰なまでの近代化原理主義ともいうべきある種の高揚したモードがあったことも、自分たちが成り行きで自然にそうなったと考えるよりも、英米のやり方を取り込んで資本主義化しないとならない、これは普遍的なものなのだ、誰もが通るべきという強迫観念があったんじゃないかと見ることもできるでしょう。

さらに、薩長閥を避けるとか憎むという運動も、ここに端を発していると考えてみることもできるかも。つまり、ただ単純にやつらばっかりいい思いをしているというだけでなく、奴らは外国と繋がっている、それが日本を悪くしているという思考回路にもなる。だけどそれを誰も「表」に出さないから、憶測が憶測を呼んで対応策も陰謀的になる。

バーデン・バーデンの密約あたりの、陸軍における長州閥打倒の気運なんかにも関係あるんじゃないのかなぁと思うし、515も関係あるかもしれないし、226もありそう、とか思う。後年ナチス・ドイツのユダヤがらみの思考に傾斜していく遠因もここかもしれない。

さらに、小出しにするから、例えば、ハリマン事件を教訓にすれば英米ユダヤの言うことは聞いておく方がいい、みたいな妙なことを言う人まで出て来る。(あれで言うことを聞いて満洲を日米で共同管理できたと考える人って、最近のNATO東方拡大なんかをどう見るんでしょうね。)

■ 思えばなんで隠すんだろう?

と、私はこのように特に躊躇もなく考えるんだけど、冒頭のビデオでも西部先生たちは、外国の影響を一切口にせずに、すべてを国内の問題として処理してしまう。

グレート・ゲームという概念がありましてですね、という切り口から説明すればなんてことないんじゃないかと思ってみたりもする。wikiを見たらこんな一文があった。

同時に、香港・上海に拠点を得て海上から清朝を侵食した英国と、シベリアに鉄道を敷設して満洲から清朝を侵食し始めたロシアとの競争が、中国・朝鮮・日本といった現地の各勢力を巻き込んで争われた極東において進行していた。

そうそう、この流れの中に日本の明治維新もあったわけです、ですので当然日本はイギリス側からの強いアプローチを受けており、その受け手となったのは一般に薩長と言われた集団でした、といけばいい。

でもって、近代化というのもイギリスモデルに国家を資本主義化していく話でして、いってみれば19世紀のレジームチェンジですね、ですので投下された資本や「おやとい外国人」が多数訪れ国の仕組みを変えていくことに対して不安を持った層があったことは当然理解できますね、とか言ったらよくないですかね? 普通に不安な時代に決まってるでしょ、こんなの。

だから、福沢たちの懸念というのはこのままあいくと独立を失ってしまうんじゃないかという懸念とも言えるわけで、それは現在の私たちが過剰に日米同盟に依存するために徐々に国柄まで変えられてしまうのではないかと懸念しているそれと重なるわけです、とか。

なんで明治維新の話および明治時代の話にイギリスの極東工作を入れないんだろう? これがむしろとても大きな謎だ。

そして、このドミニオンモードから脱却しようとする試みこそ近代日本の新の歩みと捉えてもよかたんだろうけど、ついぞそういう章立てをして来なかった。なにか大きな不都合、理由があるんだろうなとはいろいろと想像してる。


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