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レニングラード包囲戦解放から75周年

2018-01-20 16:23:38 | アジア情勢複雑怪奇

正教徒であるロシア男子たるプーチンが、1月18日深夜、湖で神現祭の禊をした。

大寒の深夜 プーチン大統領が湖で神現祭の禊【動画】

https://jp.sputniknews.com/russia/201801194486038/

ロシア正教では今日、1月19日は神現祭。預言者ヨハネがヨルダン川でイエス・キリストに洗礼を施したことを祝う。この日はあらゆる水に霊験あらたかな力が宿ると信じられており、敬虔な正教徒は氷を割って、川や池、湖に入り、身を清める。この日は日本の大寒にあたる「神現祭の極寒」と呼ばれ、統計上は一年中で一番寒い日とされている。

 

同じ18日の昼間は、サンクトペテルブルグで、というよりこの場合はレニングラードと言った方がいいようにも思うが、そこでレニングラード封鎖からの解放75周年の式典に出ていた。

Vladimir Putin took part in commemorative events marking 75th anniversary of breaking Nazi siege of Leningrad

http://en.kremlin.ru/events/president/news/56665

 

レニングラードはナチのバルバロッサ作戦のターゲットの一つで、1941年9月から1944年1月27日まで872日間、ほぼ封鎖されていた。そのため、市内では何十万もの人間が餓死した。

 (こういう位置関係。エストニアがどれほど重要かわかるというもの。)

 

プーチンのご両親もこの最中にこの都市に住まいし、お母さんはほとんど餓死寸前、プーチンが会ったことのないお兄さんはこの最中栄養不良で亡くなったことが知られている。

私たちはあらゆる機会を通して、大祖国戦争という悲劇的な出来事を忘れないようにする必要があります。私たち自身が決して忘れないように、全世界が忘れないように、そしてこのような出来事が私たちの国のみならず世界のあらゆるところで二度と起こらないようにするためです。

Putin calls to spare no effort to avoid 1941-1945 war tragedy

http://tass.com/society/985704

 

私は、ロシア人とはどういう人かと言われたら、レニングラード包囲戦に耐えた人たちと考えるのが最適ではないかと常々思ってる。

そして、この悲劇が現代のロシアの骨格をなしているとも思う。ただ人々は多くを語らない。なぜならそれはあまりにも惨いから。

 

参考

レニングラード包囲戦

Siege of Leningrad

 



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2 コメント

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カリフォルニア乞食群,ワルシャワ・ゲット,ブロカーダ (Симомура, И.)
2018-01-20 18:56:29
暗合でしょうか.ブログ主様のこの記事の次は,ワルシャワゲットー(ユダヤ人隔離地区)かレニングラードブロカーダ(封鎖作戦)となるのではないかと予想しておりました.四十年前にレニングラードで学び,その後ワルシャワに移り,ゲットーから遠くない高級住宅街の石造りマンションの六階に住み始めたのですが,付近の建物の石壁には市街戦の痕跡が多く残っておりましたね.家賃は一箇月百ドルで,大学生ならば当時それで学寮生活一年を過ごせた額でした.家主はインド勤務のポーランド人ですが,このマンションの元々の所有者はユダヤ人医師だったようです.なんと一室はビリヤードの部屋となっていました.ブログ主さんもご覧になったことがあるかと思いますが,ゲットの日常を記録した映像がありますね.子供の乞食,死んだ赤子を抱いて叫んでいるお母さん,台所の流し口のマンホールをあけて,そこにへばりついたグリースを掻きとって口にする男女,「ダビデの星の腕章」を商う人々,おまるの並ぶ狭い部屋に横たわる母子.その一方,着飾った男女がレストラン(ゲット内の)で給仕つきの食事をする様子,劇場(ゲット内の)で喜劇(「悲劇」の誤りではありませんよ)を無言(喜劇観劇なのに笑えない)で観る様子,通りでは人力車で職場(ゲット内の)に向かうところ,等などが客観的態度で映し出されています.六階の書斎の窓から見えるあそこには,その昔乞食階級,労働者階級,搾取階級があったわけです.搾取階級は他のニ階級の運命には全く同情共感を寄せることがなかったようです.ゲット内生産物はワルシャワ経済を支えているという商業資本家としての自覚があり,金を持っている限り運命は買えると金融業者の自信をもっていたからなのでしょうか.レニングラードでは十一月の革命記念日からレニングラード飢餓封鎖の突破の日にかけて,戦中の記録映画が連続しました.一塊のパンを半月刀で精確に切り分け,その屑までも丁寧に集める様子,亡骸を橇に載せ運ぶ通りの様子,戦車工場での突貫作業,ラドガ湖渡河中に氷の下に沈む救援トラック,家族が次々と死ぬ様を記録した少女の日記.学問に打ち込む研究者や真摯に学ぶ子供たちの姿.しかし最も感動的なのはコンサートが催される場面でした.飢え死にしてもレニングラードは守るという意志が伝わってきました.私は小学入学の時,バンドの帯革をしゃぶる癖を直すように言われ,母からソ連のレーニングラードとスターリングラードでは革バンドを煮て食べ,壁紙を剥がしてその糊を舐めたことを聞かされました.(我が家の壁紙は戦中の新聞紙で,「比島攻防」という活字の見出しがあった.)ソ連情報統制中の戦中でも,このニ都市の飢餓の話は噂で聞こえたらしい.オレンジカウンティのこのテント群がどんなに色鮮やかでも,このアングロサクソン帝国が確実にワルシャワ・ゲット化していることを示しているように見えてなりません.
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ゲットより孤独かも (ブログ主)
2018-01-21 13:42:02
Симомураさん、
私自身はなんの脈絡も感じずに書いたのですが、言われてみればなにか通じているものがあるように思いました。

テント群は、コミュニティでもなく、自治的でもないわけですから、ある意味でゲットより人々は孤立化しているとも言えますね。空が青くても。
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