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江戸城の宮廷政治/山本博文

2013-04-27 01:01:54 | 参考資料-江戸
江戸城の宮廷政治 (講談社学術文庫)
 
講談社

サブタイトルは、

熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状

このサブタイ通り、細川忠興と忠利父子の往復書状を元に、江戸初期の幕府成立期にいかにして細川家がその波乱を乗り切ったのかの記録。

書状だけを連ねただけでなく、その当時の事象が丁寧に描かれていて、ドラマを見ているような感じがした。関が原が終わって以降、大坂冬の陣、夏の陣が終わると時代はだんだんと、武功をあげればいいというものではなくなっていく。

そうなると、お大名たちの関心も武功ではなく、徳川家とどううまく付き合っていくかに変化していき、その様子はまるで宮廷におけるやり取りのようだ、というところからこのタイトルが生きる。

本としてとても面白いし、当時の時代背景を考える上でも非常に良い資料(そりゃ専門家はそもそも書状そのものを読まないとだろうけど)。

さらに、当時の書状というものがどのような作成されていたのか、その物理的な状況を説明されていて、これもグッド。

細川家って、ほんとーに上手く生き伸びたし、それどころか武功であり、武功でなし、みたいな絶妙な対応で中級の大名から、一気に肥後を手に入れるという快挙もあったのもこれらの書状を読んでいくとわかるよなぁとなる。父である忠興が自分だけが賢いのでなく、子どもにも、こと細かく対応の仕方、考え方を書状を通じて丁寧に説く。そして子である忠利もその子の光尚に同じように丁寧な教育を施す。

やっぱり忠興の父である藤孝(幽斉)が文化人枠の人としても著名で、自身もそれを引き継いでいるという点から、当時の作法、筋目といったものに明るかったことが宮廷生活のスタート時点での優位点だろうなとも思う。そう考えてくると他の豊臣系大名の没落は、ただに徳川家側の陰謀にもにた処遇の問題だけでなく、宮廷政治に対応するだけの文の力に欠けたところもあったのだろうなと考えたりもする。

しかし、にもかかわらず、忠興って武人なんだよね。しかし、筋目を守るところがあるからなおさら働きが生きるってことだったと考えると、それもまた、政治を読めていたからこその働きだった部分もあっただろうなと思ったりもする。大名でも社長でも政治家でも大事な時がわかるというのはとても重要。

非常に有意義な読書時間をすごさせていただきました。めぐり合ってよかったと思う1冊。


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