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葵徳川三代 第6回 多国籍軍

2012-02-05 14:55:17 | 葵徳川三代(2000)
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■冒頭解説
家康は生涯に多数の側室を置いたが、その多くは身分の高い息女ではない。最初の正室築山殿は今川家の姫、二番目の旭姫は秀吉の実妹。これ以降は正室なし。これはきっと身分の高い女性はこりごりと思ったからだろう by 光圀


大坂城を出た家康は伏見城に到着。待ち受けるは伏見城を預かる鳥居元忠。家康は、現在の成り行きを説明しつつ、三成が挙兵に及べばまず真っ先に伏見城を攻撃する可能性に言及する。しかし伏見城の手勢は1800人あまり。元忠は、すべてを察しており、手勢を増やす必要はなく、自分たちで死守するという。家康は感じ入る。

「思えば、そなたの父も、長きに渡って岡崎の城を守ってくれた。二代に渡る忠義、あらためて礼を申さねばならぬ。」


続いて家康は、大津の京極高次を訪問。家康はもし三成が兵をあげればどうするのかとカマをかける。高次は秀吉の下で三成とも昵懇、しかし一方で妻の初は家康の次男秀忠の嫁である江と兄弟。どちらについても不思議ではないポジションにいる。家康は、茶化すかのように「まさかの折には三成に加担なさるがよろしかろう」という。なぞかけである。一同は、要するに三成方であるふりをせよ…ということらしいと飲み込む。

近江を移動中の家康が、水口(滋賀県甲賀市水口町)で長束正家の家臣に暗殺されそうになり、家康が機転をきかせて難を逃れたという説を、水口を素通りしたことは本当だがそれは真っ赤な嘘だと光圀が否定。

家康一行3万の大軍は、鈴鹿峠を越えて、四日市から船で三河湾に入り、6月24日浜松宿営。ここらへんは家康発祥の地なので進行は無問題(全軍船なんだろうか? 不破関経由はなし?)。以降、藤沢、小田原を通って、鎌倉では鶴岡八幡宮で戦勝祈願(おれらは源氏です、という意味か?)。7月、江戸に入ったときには軍勢は5万5千に膨れ上がっていた。

一方、佐和山の三成の屋敷を大谷吉継(細川俊之)が訪問。吉継は討伐軍に参加するべく移動中であった。三成は挙兵を大谷吉継に打ち明ける。吉継は無謀であると反対する。それは家康の罠かもしれないともいう。吉継は一旦三成の屋敷を出るが後に軍勢を率いて引き返し、三成と命運を共にする。

三成は上杉とも連絡を取り合っているが、西国大名との連携も既にはじめている。毛利こそその中心だが、毛利氏の外交僧 安国寺恵瓊が語る毛利氏参戦の条件は非常に曖昧なものだった。



京極家と浅井家の関係。高次、松の丸らと、淀、初、江の浅井三姉妹は従兄弟同士。

 

■参考

伏見城(wikipedia)

■史実まわり

鳥居元忠と南奥州の磐石化

 


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