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葵徳川三代 第12回 合戦関ヶ原

2012-03-27 22:14:28 | 葵徳川三代(2000)
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ジェネオン エンタテインメント

■冒頭解説
鉄砲が使われるようになってからは弓は実践には使われなくなってきた(前回の映像では細川勢が弓を使っていたのだが?)。
当時の鉄砲の命中距離50メートル、殺傷距離100メートル。鉄砲隊がまず相手をひるませ、次に槍隊が出て雌雄を決するというのが戦法。長槍は約5メートル、馬上武者の持槍は長くても2.5メートル。

 

戦況は五分と五分。松尾山の小早川1万5000の去就が非常に重要なポイントとなる。西軍はのろしを上げ出馬を催促。東軍の家康はついに松尾山に向かって大砲を放つよう命じる。

小早川秀秋、ついに決断の時。大谷吉継を敵であると下知し、軍を動かす。知らせを受けた家康は勝ったとばかりに哄笑。大谷吉継勢はこれを迎え撃ち激闘。小早川に続き、脇坂安治、朽木元綱らが離反。大谷隊は壊滅。大谷吉継、「憎きは小早川秀秋、三年のうちにたたりをなしてくれん」と言い残し自刃。

戦は終結。東軍は勝ち鬨を上げる。落胆した石田三成は切腹しようとするが、家臣らに佐和山にてもう一合戦と諭され、落ち延びる。

積極的に動かず時を過ごした島津隊、石田、大谷、宇喜多ら戦意の高かった隊が総崩れとなり、渦中で取り残される格好となり、家康本陣への中央突破を試み退却する。そもそも捨て身で大将を逃すための戦いをしている島津軍を追う徳川勢にも被害続出。松平忠吉、井伊直政が負傷する。

翌朝、家康は裏切り者の四将に佐和山を落とさせる。

その頃大坂城の淀たちは知らせを受け愕然とする。しかし、片桐且元は相変わらず、此度は家臣同士の争いであるからいずれにも味方すべきでない、を主張。前田玄以、増田長盛は自分たちが「内府ちがいの条々」の発行人でもあり、気が気でない。毛利輝元は早々に大坂城を立ち退くつもり。


■史実周り

石田三成家臣 蒲生郷舎が織田有楽斎を負傷させるもあえなく死亡しているが、これは人違いで、郷舎はここでは生き延びているらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E9%83%B7%E8%88%8E

立花宗茂と携帯電話もしくは草のもの


■関連資料
関ケ原町歴史民俗資料館
http://www.mapple.net/spots/G02101074401.htm

戦国合戦の真実』監修:小和田哲男)で紹介されていたところによると、見応えのある資料館のよう。合戦の場を歩くにはここに寄ってからコースを考えるのがいいのかも。そのうち行きます。


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