なにやら日本の外務省がファイル22冊分の外交文書を公開した模様。
新聞各紙はそれぞれ自分が興味のあるところをつまみ食いしている感じなので、まだ何がなんだかわからん。
外務省のページをリンクしておきたい。
1 本19日,外交史料館において,新たにファイル22冊分の外交記録が一般公開され,原本の形で閲覧可能となります。内容は,1957年の岸信介内閣総理大臣の米国訪問,1987年の中曽根康弘内閣総理大臣の米国訪問,1980年代後半の日米半導体協議等に関するものです。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_006903.html
こういう公開ものというのは、公開されると直ちに何かが確定するという話でもなくて、研究者の人たちが、あれ、なんでこれがないんだ、とか、この話の筋はおかしいから隠されたものがあるだろう、みたいに検討して初めて、なるほど、という通説めいたものができる。
メジャーな国はだいたいそういう研究者が揃ってるから、その中で既にある程度の通説ができて、それに対して、おかしいぞと手ぐすね引いて公開を待つとか、公開請求したりするのが通例。
研究者じゃないけど、元外務官僚の天木さんが、重要な指摘をされていた。
最大のタブーとなった田中耕太郎とマッカーサー大使の密議
http://kenpo9.com/archives/4662
<中略>
やはり日本外交の闇は、日米安保条約をめぐる密約、密議の数々の中にある。
そう思って私は岸信介首相の訪米前後の公開情報に注目した。
そして気づいた。
砂川判決をめぐる田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー米国駐日大使の密議の部分がすっぽり抜けている。
この密議はすでに米国の極秘電報の公開によって明らかになっている。
これだけの密議だ。
外務省に関連情報がないはずがない。
それらが保存されていないはずがない。
それなのに、砂川判決当時の岸信介首相や藤山愛一郎外相と米国側の
やり取りがまったく公開されない。
外務省の文書公開はいかさまである。
膨大な資料をいいことに、そのごく一部しか公開しない。
しかも肝心なところは全く公開しない。
砂川判決の問題ですね。
砂川事件を受け、地裁の伊達裁判長が、ざっくり言えば、日本にいる米軍は憲法違反だという判決を出す。wiki にある。これが1959年3月。
そこであわてたのがアメリカ。これじゃ駐留できなくなっちゃうじゃないか、と。そこで、この事件を跳躍上告という飛び級の審判をさせて最高裁で合憲判断を出させる。これが1959年12月。このスピード感がまずスゴイ。
その時の最高裁長官は田中耕太郎。この人がこの跳躍上告の時からマッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)と密かに打ち合わせしながらやってました、というのが明らかになってる。新原昭治さんという研究者の方がアメリカ政府の解禁秘密文書の中で発見した文書がきっかけ。
この本がその顛末をおっている。はっきりいって、脱力せざるを得ない。
検証・法治国家崩壊:砂川裁判と日米密約交渉 (「戦後再発見」双書3) | |
吉田 敏浩,新原 昭治,末浪 靖司 | |
創元社 |
しかもそこで、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」という名高い統治行為論なる学説までこしらえる周到さ。
これによって、「高度な政治性を持つ」とか安保にかかわるとなったら、憲法違反だろうがなんだろうが最高裁は判断できませんとなっている。
しかし間違ってはいけないのは、これは現行憲法が悪いわけではない。憲法が破壊されたのではなくて、立憲主義、憲法を最高位の法として国民がマネージしていくという仕組みが壊れたということ。
そこから、まぁ回復してないわけですよ。
心底恐ろしい国だよなと思うのは、この成り行きで決定されたにすぎない「統治行為論」をほとんど天壌無窮の神勅のごとく、ありとあらゆる公務試験員、ある種の国家試験の試験問題で、みっちり教え込んでいること。おかしいだろうという大きな動きが過去60年かそこら存在していないというのが、すごい。
それはともかく、どうしてこんな内政干渉なんてなもんではないことを大慌てでやったかかというと、翌年に日米安保の10年ごとの改定があったから。
実際問題、岸は政治家で日米のブローカーみたいなもんだからやることやったらさっさといなくなって終わりだが、いかさま裁判をしてしまった日本の最高裁はその秘密をかかえたまま今日まで来ているわけだし、それを可能にしたコミュニティーみたいなものがあるわけでしょ。つまり日米合同委員会であり、かつての極東米軍とそれに群がる植民地のエリートみたいな集合体。
そこが見えない限り、大日本帝国は終われず、それが終われない限り、日本国民が運転席に座れるような国にはならないということですね。
まぁでも、マスコミとかいうこのいかさまコミュニティーの一部である機能を、国民がこうまで信じている体制ではどうにかなる感じはまったくない。
多分、アメリカでベビーブーマー世代がおかしい、夢みたいな世界に住んでたと言われて若い世代から嫌がらるようなことが、日本でも本当は起きるべきなんでしょうが、まぁなんてか、あんまり期待できなそう。
まぁねぇ、ここらへんのなんてかこう、お手軽な戦後国体作りの問題点は、冷戦後、1990年代の前半にもっとばっさりやっておくべきだったと思いますね。そうすれば、1995年を境として現在完成を迎えつつある「アメリカとの同盟こそ天壌無窮の真実」的な現在の日本在り方には行かなかった可能性は、わずかだが現在との比較でいって高いと思う。
■ 日本の自民党とCIAはまったくの協力関係
そんな中、1994年に書かれた、日本とCIAに関する非常に長い記事を発見。ニューヨークタイムスの記事。
いやぁこれは保存しておきましょう。
C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's
By TIM WEINER,
Published: October 9, 1994
介入だらけの人生だったUS (2)・1994年の日本関連記事
全体的に、天の声が好きですから、だって。妙にオカルト好きな心性もこれに関係があると思う。
常に、理性を嫌ってる、健全な疑いを排除していく傾向がある、異論を嫌悪する、といった傾向もみんな同じ結論を示唆しているのかも。