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東京都目黒区 菅刈公園②西郷従道邸旧地の池泉回遊式庭園

2025年01月26日 08時57分51秒 | 東京都

菅刈公園。旧西郷従道邸庭園(復元)。目黒区青葉台2丁目。

2025年1月6日(月)。

東南入口奥にある建物に展示室があり、自由に見学できる。この建物は、西郷従道(じゅうどう)邸の西洋館と一緒に建てられていた和館(書院)の跡地に建てられたという。建物の前には東都一の名園」とよばれていた西郷従道邸時代の池泉庭園の一部が復元整備されている。

このあたりは、江戸時代、「荒城の月」で知られる豊後(今の大分県)の岡(竹田)藩主、中川修理大夫(しゅりだいぶ)の抱(かかえ)屋敷であった。樹木がうっそうと茂り、池に三田用水から水を引くなど、林泉の美しさは近郊随一とうたわれた。その後、2万坪に及ぶこの屋敷は、明治維新のとき征韓論を主張して破れ、下野した兄隆盛のために、従道が手に入れたのである。

洋館・書院造りの和館などを配置した回遊式の庭園は、東京一の名庭園といわれ、名士が訪れることも多かった。

旧西郷従道邸庭園実測平面図 (重森三玲,1937) 出 典:日 本庭園史図鑑20

東京都目黒区・旧西郷従道邸庭園に関する造園生活史的研究

J-Stage 鹿野陽子 著 · 1998

東京都目黒区の旧西郷従道邸庭園は, 江戸期の庭園を前身として, 明治期の和洋折衷式庭園, 住宅地と変遷して現在に至っている。

本園は,(1) 東京の典型的な大名の庭園の変遷を辿ることができる事例であり,(2) 成立当初の地形の特色が比較的良好に残っている。(3) 江戸期から昭和初期までは別業的性格を持ち, 名所として半公共的価値を有する庭園であった。(4) 明治期には, 華族たちの社交の舞台として頻繁に利用され,(5) 庭園意匠や空間構成に明治期の欧化思潮が色濃く反映されていた。また.(6) 戦前には, 国の史蹟に指定された文化財でもあった。これらの特色によって, 本園は, 後世に継承されるべきランドスケープ遺産としての資質を有するものとみなされ得る。

明治期 の本園 の状況 は,明 治30(1897)年 の 「日本園 藝會 雑誌』第83号 に 「庭 園拝観記」 と して記録が残 され ている。

中央 にはジュンサイ等が繁茂する大 きな池があ り,庭 の北部 は丘 状 を呈 してい る。池 中 には 「亭」 が配 された島 と小島,そ の間に銅製の鶴像が点在す る半島が ある。

 和館 の座敷 は,人 像銅製噴水や雪見灯篭,小 島 と相対 し,こ れ らの奥手 には三段 の滝,そ の西 の沢上部 に四段 の滝組が築造 されて いる。

庭園東部 には,温 室 と芝生 の広場 があり,こ れ らを回遊 して丘 を上 ると本園 の最 も高 い台地状 の部分 に設 け られ た茅葺 きの茶亭 に至 る。

茶庭 には正 治元年(鎌 倉 時代)と 刻印 され た灯篭 が据 え られて いる。 茶庭 の北に本 園の水 源に当る箇所が あ り,「 目黒不 動 の滝 の如 き」高 さ一丈に及 ぶ大 爆布に出会 う…。

邸宅の正門か ら馬車 廻 しまでは,西 洋風 の並木道 が設 け られ,従道が欧州か ら持ち帰 った西洋美人像 な どが配置 されてお り,和館の座敷正面の人像銅 製噴水や温室 とあわせて これ らによ る庭 園構成 は,明 治期の欧化思潮 のあり様 が庭 園 とい う三次元の空間 に表 出 した もので あるといえ,和 洋の要 素を折衷 した庭園であ ったことが伺 える。

また,洋 館 のバル コニーか ら望む眺め は,精 緻 な技巧 を凝 らしたいわ ゆる庭園 的な景観で はな く,水 草の生 い茂 るおお らかな自然風 の池 を主 としたもので ある ことは,江 戸期 の描写 にみ られる この池泉 の風情 を継承 して いるといえる。 これ は,欧米 の農園経営 などに影響 を受けた従道 の,一 種 自然主義的 な景観 に対す る好 みが反映 した ものであ った とも推察 されよ う

菅刈公園。西入口付近から旧和館跡建物方向。

菅刈公園。北入口。

西郷山公園。北入口。

公園は、台地の端の斜面を利用して築かれているため、崖面には落差20mの人工の滝が懸かり、坂道の園路や展望台が整備されている。台地の上には伸びやかな芝生広場が広がっている。

展望台からは晴れた日には富士山も眺望できるという。

展望台方向へ向かうと、カメラ・マイクなどの撮影クルーと出演者の一団がいた。ドラマ「東京ラブストーリー」をはじめ、ドラマのロケの場として時々当公園が使われている。

なお、西郷山の雑木林は1932年から翌年にかけて行われた貰い子殺人の遺体遺棄現場となった。

新宿中村屋。中村屋純印度式カリー。2090円。Manna。

新宿に着いたころから小雨が降り出した。

中村屋サロン美術館。火曜日休館。

荻原守衛 女 Woman 1910(明治43)年 ブロンズ 高99㎝ 第4回文展(3等賞)

荻原守衛は、高村光太郎とともにロダンを日本へ紹介した最初の彫刻家とされるが、確かにこの作品に見られる上方へ伸びあがるようなポーズやそのモデリングにはロダンの作品を思わせるものがある。

しかし、そのようなロダンの形式的な模倣のみによってこの作品が成立しているわけではない。この像には、作者がひそかに思慕を寄せていた同郷の先輩の夫人相馬良(黒光)の存在が色濃く影を落としており、彼女に象徴される守衛にとっての普遍的な女性像がそこに表されていると解釈することができる。それはまた守衛が主張する内的生命をもった彫刻の具現化であり、むしろ彼がそのような確信をもつに至るプロセスでロダンの精神的影響を強く受けていたといえるであろう。

守衛の絶作となったこの作品は、山本安曇の手でブロンズに鋳造され、作者の死から半年後の第4回文展に出品されている。

日暮里舎人ライナー。

「ゆりかもめ」と同じ三菱重工製車両で、無人の運行システムも同じだった。

終点まで行き、折り返して西日暮里で乗り換えた。

これで予定した旅を終え、翌日自宅へ帰った。

東京都目黒区 菅刈公園①重文の西洋館・西郷従道邸旧地



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