用之必勝!?

偏ってますけど、反面、何でも「あり」ってこってす。 ぽりしぃ薄いッスけど、とりあえず、「横浜」贔屓です。

「分り難さ」へのフォロー?その2

2011年05月03日 23時36分40秒 | 放射能?
 とても分り易いコラムがあったもんだ。
 伊東 乾の「常識の源流探訪」 長期微量被曝はどれくらい危険か 正しく怖がる放射能【4】(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

2011年5月3日(火)07:00
 5月に入りました。福島第一原発の状態はいずれも予断は許さないものの、一定の安定をみており、メディアの関心も事故直後とは様変わりしてきました。
 この連載の内容を基に書籍を編むという相談を版元としているのですが、3月4月時点の記載をそのまま活字にしても、多くの方に長期的に役立つ情報になるとは限りません。最初から「想定の範囲内」ではありましたが、実際にメディアの空気感や日経ビジネスオンラインにいただくコメントや、ツイッターでのやり取りなどを通じて、皮膚感覚の変化を感じています。
 長期的に続くことがほぼ分かっている問題として、前回は原子炉の冷却の問題を扱いましたが、今回は「微量被曝」について考えたいと思います。
 最初に結論を言いますと、微量被曝について不用意に確定的なことを言うと、多くの場合、ウソになってしまう、ということです。
 なぜか? それは、人によって放射線への感受性に個体差が大きくあるからです。例えばたばこで考えてみましょう。ストラヴィンスキーという作曲家はヘビースモーカーでしたが88歳の長寿を保ちました。一方、私の父もハイライトを1日2箱くらい吸う喫煙者でしたが46歳で亡くなりました。父の場合はシベリア抑留中に罹患した結核・脊椎カリエスなど、若い時に手ひどく健康を痛めつけられたことが深く関係していますが、そんなことも含めて「個体差」に違いありません。
 今のはたばこの例でしたが、同じ放射線量を浴びても、深刻な病気を引き起こすか、そうでないかは個体差が大きく、あらゆる長期的な見通しは確率的にしか言うことができません。

確定的影響と確率的影響

 幾度も記していますが、被曝の影響は2つの異なる種類に分けられます。1つは被曝後直ちに現れる急性障害で、「確定的影響」と呼ばれます。
 確定的影響は被曝量によっていろいろ異なり、また個体差もありますが

*目の水晶体総線量2シーベルト程度で混濁、5シーベルトで白内障
*骨髄高感受性で総計0.5~1シーベルトで白血病などの懸念(ただし強い再生能力があるので、造血幹細胞療法などが有効となる)
*腎臓低感受性。1カ月以上にわたって20シーベルト以上被曝しても耐えた例がある
*卵巣総線量3シーベルト以上で不妊の原因に
*睾丸1回0.1シーベルトの被曝で一時的不妊。総線量2シーベルト以上で永久不妊

といった具合で、一つひとつ症状を見ると、恐ろしいものだと改めて思います。
 期間はさまざまとして、浴びた総量で大まかに考えて0.1シーベルト(100ミリシーベルト)から1シーベルト(1000ミリシーベルト)に達すると、健康への影響が懸念され、1~3シーベルト(1000ミリ~3000ミリシーベルト)の被曝量は直ちに適切な治療が必要、3シーベルト以上の被曝量は生命に危険があると考え、正しく恐れることが必要だと思います。

低線量被曝と晩発的影響

 今挙げた、被曝直後から現れる急性の症状、つまり、より少線量の被曝による、確定的な症状以外の影響は、すぐには目に見えないので「晩発的影響」と呼ばれています。
 同じ線量を被曝しても、発症する人もいれば、そうでない人もいる。そこで「確率的影響」とも呼ばれます。あくまで目安にしか過ぎませんが、一定以上の線量被曝すると、数年程度の間に癌が発生する可能性が指摘されています。
 臓器によって放射線への耐性、感受性が違っており、

総線量 0.3シーベルト乳癌など
総線量0.4~0.5シーベルト白血病、リンパ組織系の癌
総線量0.6シーベルトすい臓癌など
総線量0.7シーベルト肺癌など
総線量0.9シーベルト胃癌、骨癌など
総線量1シーベルト甲状腺癌

などとなっています。

しきい値説と比例説

 さて、この晩発的影響について
「一定以下の線量なら、被曝による影響はない」と考えるのを「しきい値説」と呼び、
「どんなに少量の被曝でも健康に影響がある」と考えるのを「比例説」と呼ぶようです。
 どちらが正しいのか――。という議論がお医者からメディアまで、いろいろあるようで、私もツイッター上で「どちらが正しいのですか」と質問を受けるのですが、私の判断は、この問い自体が無意味で、考慮に値しない「偽問題」だと思っています。
 よく目を開いて見直してみましょう。「しきい値説」は「総被曝量がある一定以上の線量に達すると、かならず癌が発生する」と言っているわけではありません。
 「総被曝量が一定値以上になると、癌の発生する確率が高くなる…、かも」という、疫学的な統計の話であって、実際には被曝状況の差や個体差など、臨床統計に表れない部分のブラックボックスでいくらでも左右されるものに過ぎません。要するに「確率的」にしか予測がつかない。
 ここで「分からないもの」は「ない」と言いたい、という、大本営発表的な思惑(「ただちに健康に影響があるというわけではない」)が介在するから、そこから先で、意味のない日常日本語によるやり取りがなされるのだと私はみています。
 また逆に「比例説」を誤解してそちらに傾きすぎるのも愚かしい。
 「どんなに微量でも癌になる」などと恐れるのは変で、比例説も「被曝線量が少しずつでもアップしてゆけば、その分、癌になる『可能性』が高くなる」という、当たり前のことを言っているに過ぎません。自然界には最初から微量の放射線が存在して私たちは生まれる前から常時被曝し続けていることには幾度も触れました。それに神経質になっても仕方がない。
 比例説が言っているのは「たとえ1円ずつでも貯金してゆけば、必ず残高は増えて行く」という内容以上のものではない。だからといって1日1円ずつためて1年で1万円になることも絶対にない。
 浴びたら浴びた分だけ発癌「リスク」が上がりますよ、という話をしているのであって、考えるべきは要するに被曝の「頻度」と「総量」、そこから先は状況と個体差次第、という部分は、何一つ変化しません。
 私も登録している医用のメーリングリストで、比例説を取り違えて「どんなに微量でも発癌」のように取ったメールを送ってきたのがいました。東京大学の学部学生です。風評被害とは違いますが、そんな情報でも「東大生が」と反応する人があり、訂正を送っておきました。物事は慎重確実に考えたいものです。

転ばぬ先の杖、被曝はせぬに越したことなし

 被曝の話では、しばしば医用のX線が引き合いに出されます。胸の写真を撮ればその分「外部」被曝します。当然、ごく少しですが、発癌などのリスクは上昇します。が、それと同時に、その検査をすることで、肺癌などの早期発見が可能になれば、治癒の可能性が大幅に高まって、結果的にメリットのほうが大きい。検査というのはそういう性質をもっています。
 小さなリスクとより大きなリスクのトレードオフ。そういう大人の分別を持ちましょう。
 「絶対安全って言えるんですか。え? どうなんですか!!!」
と詰め寄るようなことをしても、確率的な対象に誰も不用意なことは言えないし、それを何か煮え切らない態度のように誤解する浅いジャーナリズムも目にするわけですが、何一つ役に立っていません。
 報道なのだったら、売ることではなく社会の役に立つことを考え、実行しましょう。この2カ月ほどで、日本の報道に対する私の考え方はかなり大きく変わりました。きちんとした情報を選んで検討しないと時間の無駄になります。
 短期間に一定以上の頻度で被曝すれば、少しであっても確実に「リスク」つまり病気になる可能性、危険性は上がる、そう考えることにする、という、これは正しく怖がるための知恵なのです。転ばぬ先の杖、と言いますね。身を守るための知恵を言っているのであって、それを文字面でああだこうだ言う以前に、しっかり判断、沈着に行動するか、しないか、で結果が変わってきます。要するに「しきい値説」も「比例説」も疫学統計を解釈する学説に過ぎず、どちらがより妥当であろうと、私達の被曝予防は慎重であるに越したことはない、この1点に髪の毛ほどの揺るぎもないものと思う次第です。

国際放射線防護委員会の見積もりの式

 低線量被曝について、国際放射線防護委員会(ICRP)の見積もりの式をご紹介しておきましょう。

 癌死亡推定人数 = 0.05 × 総被曝線量 × 被曝人数 

 例えば、毎時10マイクロシーベルトでこれからの1年間、人口10万人の都市が被曝し続けるなら、

 0. 05 × 0.00001 × 24(時間) × 365(日) × 100000(人)    = 438(人) 

 10万人当たり438人、つまり0.44%弱の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる可能性がある、という見積もりです。
 あるいは、毎時0.1マイクロシーベルトで1年間、人口1000万人の年が被曝したとすれば、

 0.05 × 0.0000001 × 24(時間) × 365(日) × 10000000(人)    =438(人) 

 1000万人あたり438人、つまり0.004%程度の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる、やはり可能性がある、という以上のことを、この式は言っていません。
 また、この式の適用範囲は明らかに「低線量」かつ「一定以上の人数」に対する、あくまで見積もりであって、仮に1人の人が毎時1シーベルトで24時間浴びるとすれば、

 0.05 × 1 × 24(時間) × 1(日) = 1.2(人) 

という変な答えが出てしまいます。現実には致死量の被曝があれば1人確実に亡くなるという確定的な結果があるわけで、大人数に対する微量被曝の中長期的効果の参考に、やはり転ばぬ先の杖として、正しく怖がる参考にするのが重要でしょう。

トイレットペーパーでも9割除去

 空気中に放射性の塵が舞っているような状況では、マスクの着用をお勧めします。
 手元に国際原子力機関(IAEA)の資料があり、「木綿のハンカチーフ1枚で口を覆うと、放射性微粒子を28%除去できる」というデータがあります。さらに、


 8つ折にすると除去効率は89%
 16折にすると除去効率は94%  


というデータもありました。また、水に濡らすと1枚でも64%の除去効率になったケースがあるそうです。
 もっと興味深いのは、トイレットペーパーです。ハンカチより脆そうに見えますが、実は目が詰まっており


 3つ折のトイレットペーパーでの除去効率は91%  


という数字が出ています。無論、きちんと口や鼻にあてがってやる必要がありますが、こんな方法でもずいぶん、自分の身を守る工夫はできるわけです。
 正しく怖がることと表裏して、身の回りの小さなことから、正しく防御する工夫を身につけることも大切と思います。

 正直な話、今まで自分で主張してきたことを、粉々に打ち砕かれた観もなきにしもあらず.....なんだけど、これ読んで唯一言えるのは、だから「とりあえず落ち着けよ」というところ以上でも以下でもなく、どのラインで「安全」とか「安心」とかって話には、決してつながらないんだよね。
 疑問を「ナンセンス」で切り捨てるのは簡単だけど、元々「防御」する必要性を欠いたモン相手に、素朴な疑問にすら答えてもらえないってのは、ストレス以外の何ものでもない。 正しく防御する工夫を身に着けるべきとの提言には大いに賛成したいが、専門家が何とかしてくれないことには、素人の手に負えない状況に変わりはない。 どうどう廻った挙句、原発なんかいらない!なんて主張を繰り返すことに終始したりするのが関の山.....。 少々寂しさがいや増すね.....。
 まぁ迷った時には、ここに立ち戻るってスタンスで、しばらくイイんじゃないかな?

「分り難さ」へのフォロー?

2011年05月03日 11時48分37秒 | 放射能?
 大抵「産経」の社説やコラムを読むと(記事も含めて)「偏り過ぎとちゃう?」とか考えちゃうんだけど、ごくたまぁに「あぁこんな書き方すると、分り易いのか.....。」なんて感心したりすることがある。 辞任して以降、何度か取り上げた東大教授で、前内閣官房参与のおっさんの件も、自身の主張は、この人が辞めようが続けようがどーでもよくて、分り難い基準やらしきい値やらをどーにかしてくれ!ってことなんだけど、自分で書いててもくどいばかりで論旨がぼやけるもんだから、いい加減嫌気がさしていたところだったが、さすがに、職業に筆を選ばれた人の書くことは一味違うと思う。
 【from Editor】徹底的な放射線低減策を(産経新聞) - goo ニュース

2011年5月3日(火)08:00
 大気中に放射性物質(放射能)を検出、水道水にも…。東京電力福島第1原子力発電所事故後、悪夢のようなニュースが流れ続けた。東京でも放射能汚染の不安から、身近な人も含め西日本や国外へ脱出する人が相次いだ。子供だけは、と筆者も一時考えたが、実現できずに今に至っている。
 事故から1カ月半が経過。収束は遠いが、事態は幾分沈静化し、脱出者の多くは再び東京に戻った。この間、東京に住む私たちが事故由来の放射線を浴びた量は、放射線医学総合研究所の試算で3月14日から4月11日の約1カ月間に120マイクロシーベルトだったという。
 今後1年間その値が続くと、年間1ミリシーベルト(1千マイクロシーベルト)未満の「平常時」を超え、東京も“汚染地域”となる。被曝(ひばく)量は少しでも減らすことが理想であり、その意味では当初の東京脱出者の選択は正しかった。ただ、住み続けていたとしても、現時点の東京の放射線量で健康への影響はほぼない。
 一方で福島県は深刻だ。政府はICRP(国際放射線防護委員会)などの勧告に基づき、年間の積算被曝量が20ミリシーベルトに達する場所を「計画的避難区域」に設定。同1~20ミリシーベルトの汚染区域を「被曝量の低減策は必要だが、避難の必要はない」区域とした。東京はこの中の低い方に位置するが、福島県では上限に近い場所も少なくなく、不安が高まっている。
 特に子供の健康への影響が懸念され、文部科学省は学校や幼稚園などの校庭で毎時3・8マイクロシーベルトを超えた場合に屋外活動を制限した。制限しなければ、避難が必要な年間20ミリシーベルトに達してしまうからだ。
 実際に屋外活動を制限したケースもあるが、それで十分か。そもそもICRPの勧告は、年1ミリシーベルト未満の平常時に低減することが目的で、20ミリシーベルトを下回ったからといって対策は終わりではない。また、長期的な放射線の低減策は、水・食べ物の摂取や空気中の放射性物質を吸う内部被曝の管理が中心だが、文科省の想定は体の外から受ける外部被曝だけだ。
 これでは、いくら日本政府が「大丈夫」と言っても信用できない。郡山市が独自に学校の校庭の土を除去するなど個別に自衛策が進むが、住民の安心のためには、徹底的な放射線低減策を政府の責任で迅速に実行することが必要だ。再び放射性物質の大量放出があった場合に、大量の脱出者でパニックに陥らないためにも、これ以上政府の対応遅れがないことを願う。(フジサンケイビジネスアイ副編集長 池誠二郎)

 口調は比較的「やんわり」しているが、訴えたいことはひしひしと伝わってくる。 結果、分らないことだらけではあるものの、国の対応が信用できない点については、誰でも考えるところながら、何故信用できないのか、とても端的に表現されていて、そうそう!俺の言いたいことは「これ」だよ!と、思わず膝を叩きたくなる名文だと思った。

 校庭利用基準「年間被曝線量20ミリシーベルト」 数値・決定過程も「?」(産経新聞) - goo ニュース

2011年5月3日(火)08:00
 ■「本当に大丈夫なのか」
 福島第1原発事故をめぐり、文部科学省が校庭の利用基準を「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト」と設定したことに反対し内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授が辞任したことで、「安全の基準」が揺らいでいる。専門家で異なる数値の評価と拙速な決定過程に地元は振り回される一方だ。「20ミリシーベルト」はどのように決まったのか。
 原子力安全委員会の助言を受けて文科省が設定した校庭の利用基準は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を基にしている。ICRPでは、年間被曝限度量を事故発生などの緊急時は20~100ミリシーベルト、収束段階で1~20ミリシーベルトと設定。文科省は上限を20ミリシーベルトとした理由を「完全に緊急時から脱してなく、収束時とは言い切れない。緊急時と収束時の境界の数値にした」と説明する。
 文科省は、児童や生徒らが1日のうち屋内で過ごす時間を16時間、校庭など屋外で過ごすのを8時間とする生活パターンを仮定。年間20ミリシーベルトに到達するのは、屋外で毎時3・8マイクロシーベルト、木造施設の屋内で1・52マイクロシーベルトと算出。この数値を下回った場合には20ミリシーベルトには達しないとの判断から、校庭の空気中の放射線量が毎時3・8マイクロシーベルトを超えた学校のみ、屋外活動を1時間程度に制限する通知を出した。
 だが、20ミリシーベルトの設定をめぐっては当初から異論があったことも事実だ。原子力安全委員会では「子供は大人の半分の10ミリシーベルト程度に抑えるべきだ」とする委員の意見があった。だが、委員会は正式に開催されることなく、電話と対面で意見をまとめ、助言を求められてから約2時間で「差し支えない」と、国の原子力災害対策本部に回答。線量基準の決定過程にも、疑問符が付く。
 専門家でも見解は分かれる。近畿大原子力研究所の伊藤哲夫所長は「子供の方が放射線への感受性が高いとはいえ、がんになるリスクが高まるのは100ミリシーベルト。20ミリシーベルト以下なら全く心配ない」と指摘。一方、北海道大大学院医学研究科の石川正純教授は「(20ミリシーベルトは)若干高いという印象だ。活動制限などを行うための基準であり、安全基準と考えるべきではない」との意見だ。
 「安全ライン」が揺らぐ中、福島県郡山市や伊達市が独自で市内の小中学校などの校庭の表土除去を実施。市教委には保護者からの不安の声が電話やメールで多数寄せられている。
 一方、菅直人首相は2日、福島県の内堀雅雄副知事と首相官邸で会談し、校庭利用基準の見直しを拒否した。内堀氏は「政府関係者でいろんな考え方があり、県民は非常に不安に思っている」と訴えたが、首相は「国としての考え方がある。きちっと県民や国民に伝える努力をしなければならない」と述べ、現行基準への理解を求めた。

 結局、基準値をどーこーする以前に、福島なんとかすることが先決なんだって。 収束しない以上、極論すれば、いつまでたっても国も東電も「嘘つき」だ。