日中国交が正常化して来年で40年、その前年の今年5月に、服部龍二著になる「日中国交正常化」が発刊され、大仏次郎論壇賞を受賞し(大仏次郎賞は司修著「本の魔法」)、更に又アジア・太平洋賞特別賞をもダブル受賞しました。
1972年9月25日、時の首相田中角栄・外相大平正芳は訪中し、周恩来国務院総理らと渡り合い、5日間の交渉を経て29日には日中共同声明に調印したのでした。訪中団一行を北京空港に出迎えた周恩来と何度も握手する田中の姿をはっきりと覚えています。国交が途絶えていた日中間には、国交回復への、高く厳しい幾つものハードルが控えていました。賠償問題・台湾問題・尖閣列島問題など、そう簡単には合意を見られないと思われる懸案事項が多々ありました。しかし、僅か5日間の交渉での声明発表。その結果に吃驚すると同時に、非常に嬉しい思いを抱いた事も覚えています。何故かくも短時間で合意に至ったのか、それが、本書を手にした時に一番知りたかったことでもありました。
本書の序章「北京への道」で著者は3つの課題を掲げました。第一の課題は外交交渉の過程を明らかにする事。特に台湾問題の結末に至る経過を解明すること。第2の課題は短期間で講和に至った田中・大平のリーダシップに焦点を当てる事。第3の課題が日本外務省の内部過程の問題です。
一読して、これらの課題に十分応え得る、読みやすい仕上りになっているなと思いました。情報公開法により、多くの外交文書が入手可能になったこともありますが、出来る限り多くの関係者に会い、インタビューを試み、それに基づいての実証的な展開の内容になっています。特に課題の3は地味な内容に思えますが、声明は最終的には条文の問題になり、条文化するのにいかなる葛藤や鬩ぎ合いがあったのか、それは外務官僚の領域内容です。そのことの解明がなされています。
読み終えて特に感じた事を2つ記します。特に外交交渉は当事者能力が高く、志のあるものによって初めて切り開かれるだろうと思いました。保守本流派の田中・大平には問題が多々ある事を承知の上で敢えて書けば、この件に関しては、田中・大平は充分リーダシップを発揮し、立派だったと思いました。まるで進展を見せない「日ロ交渉」と好対照をなします。
一方、その当時の中国側の状況は、中ソ対立が顕著となり、中国はアメリカとの接近を志向し、ニクソン大統領の訪中が実現していました。この様な状況が「日中正常化」を後押ししたことは事実でしょう。ただそれだけではなく、周恩来は、毛沢東の事前の了承を得た上で、中国の対日賠償権を放棄してまでも日中正常化に舵をとりました。中国の民衆に多くの不満・不服があったでしょうが、彼らを納得させる人望と志が周恩来にあったと書けば、贔屓が過ぎるでしょうか。中国政府(とりも直さず周恩来)が提起した「復交三原則」の立場を、日本側は十分理解し尊重すると言う立場にたって為された国交正常化。例えば私の周りの知人・友人たち何人もが中国の大学で日本語を教えに出向く事にも繫がっています。
大災害に見舞われた今年が間もなく暮れます。来る年の状況が少しでも好転するよう願わずにはいられません。良いお年をお迎え下さい。