マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『湯の澤鉱泉』を訪ねて(その2 檜風呂も震災に)

2012年10月19日 | 秘湯へ

 2日間の旅案内と運転を任せた伊達君がまず案内してくれたのが「偕楽園公園」。
 言わずもがなですが 偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ「日本三公園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。と言うより、約13ヘクタールの広さを持つ園内には約百品種・三千本の梅が植えられ、梅の園として名高く、私も40年前に職場の旅行の折りに訪れた事がありました。

 まず護国神社に寄りました。忠君碑が多数ある神社は私の趣味に合いません。
 次に訪れたのが偕楽園。入場料190円のところ70歳以上は無料の恩恵にあずかり入園。梅林を観たのち、好文亭を見学。好文亭は木造2層3階建てで、斉昭はここに文人墨客や家臣、領内の人々を招いて詩歌や慰安会を催したそうです。(写真:好文亭表門)



 
今年2月7日、3・11地震での損壊から回復し見学が可能になっていました。1階では襖絵を鑑賞できます。3階に昇ると、そこからの展望が素晴らしい。高台にある偕楽園の一番高いところからは遮るものは何もなく、市内が一望できます。眼下に広がるのが千波湖と桜川。子供たちが遊ぶ広大な緑地や花園。常磐線電車が通り過ぎる光景も見られます。森林の更に向こうにはより大きい緑の敷地もあるそうで、広大な広さを持つ公園を眺めました。(写真:好文亭)

    (好文亭3階より、偕楽園公園を望む)

     (公園より好文亭を望む)     

 園内を歩きながら語る伊達君の話では、その広さは世界第2位との事。水戸ビイキの話でそんなことはないだろうと思った私は帰宅して調べてみました。
 
1999年7月に隣接する千波公園などとあわせて名称を「偕楽園公園」としていました。その結果公園の面積は何と合計300ヘクタールに及び、”都市公園”の括りのなかではニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さであることを知りました。
 偕楽園の後は花園の散歩道などを歩み、合計2時間はたっぷり散策したでしょうか。徳川記念館へ回る時間はありませんでした。偕楽園を後に、愈々湯の澤鉱泉へと向かいました。

 湯の澤鉱泉へは、久慈川や水郡線と並行して走る国道118号線を北へと遡ります。車を走らせること40分ほどで左折し、山間への道をたどり、更に左折し沢筋への道を下ると、一軒宿の、今宵の宿がありました。
 早速湯に向かいますが、その時間帯男性は「岩風呂」。夕食中に男女が入れ換わります。食べきれないほどの夕食の後「檜風呂」へ。昨年の大震災でこの宿の地盤が沈下。檜風呂も大きな被害を受けたそうで、その修理に50日間を費やすも、復元叶わず、一部にタイルを入れての修復だったそうですが、それも又奇なり。柔らかい肌触りの湯で私は大満足。(写真:檜風呂。向こう側の湯床はタイル)
 50年振り再会の会話は50年前に遡ります。伊達君持参のアルバムで、若き日の自分達を懐かしみながら、夜遅くまで呑みかつ語りました。
 
 (付記 足立の花火を福寿会健脚3人組のKさん、私とは対岸での見学。私の位置からは見えなかった”富士山”などの写真を送ってくれました。そこでそれらの写真を挿入し、10月15日のブログ更新しました)