マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

三たびの『御衣香桜』

2010年04月16日 | 身辺雑記

 
 昨日、ご近所の江岸寺付近を歩いて来た家人が「素晴らしい桜が咲いている」と私に告げました。早速家人に案内されて、私も観に行きました。緑色の桜です。「多分、御衣香桜」と家人は語っていました。







 私はカメラを持ち再度江岸寺を訪れ、撮影を終えて、ご住職にお聞きしました。「御衣香桜です。昭和37年に檀家さんが青梅の枝を植えてくれました。散り際にピンク色になりますが、今は見事な緑色です。染井よしのが散る頃に咲き始めるのです」との事。桜の種類は予想通りでした。この寺の門前を何度も通りながら気がつかないとは、情けないものです。

 

 



      (バックは江岸寺本堂)

 この御衣香桜、今までに2度ほど観ています。最初は京都堀川通りの二条城付近で。私達がよく行く「クラフト和光」さんからお聞きしました。二度目は国立東京博物館の裏庭にありました。ご住職の話では飛鳥山にも植えられているそうです。機会があれば訪れたいものです。緑色の桜は木の葉と間違え易く、どこそこにあると知らないと見過ごしてしまいます。ピンク色の様な華やかさには欠けますが、落ち着いた色合いはなかなか良いものです。


『戸野廣浩司記念劇場』のこと

2010年04月15日 | 身辺雑記
 今日4月15日は小雨降る、寒げな朝でしたが、早朝のラジオ体操には、精鋭(いや、体操おたく)7人が社務所軒下に集いました。こんな日にも重いラジカセを運んできて下さる86歳のSさんの御苦労への想いも少しは入り混じりますが・・・。

 今日はラジオ体操を終え、迷わず「よみせ通り」へ。前日に、「大沢製麺所」の”かた焼きそば”を買ってくるよう依頼されていたからです。そのよみせ通りに「戸野廣浩司記念劇場」が設立されてから6ケ月ほどが経ちました。いわゆる大衆演芸場です。興味を惹かれていましたが入った事はありません。今日もその前を通ると、2枚のポスターが目に入りました。




                                                                                                               

        (戸野廣浩司記念劇場入口)

 1枚は当劇場総帥若葉しげると座長若葉愛の二人芝居「知覧の母」です。”戦中の悲話を谷中”で、とあります、特攻隊の出撃飛行場のあった知覧、それに纏わる物語かなと推測し、この様な物語の好きな私は、家人に一緒に行こうと誘いを掛けますが、「私の好みでは無い」と素気無い返事。



 

 もう1枚は「戸野劇寄席」。アドバイザーはあの「三遊亭円左衛門」とあります。必然とも思える両者の組み合わせは、水面下での打ち合わせを経て、いよいよやねせん”常設舞台”へ登場して来ました。出演者は「やねせん亭」の常連メンバーの兼好さんや王楽さん。それに私が好きな「ぴろき」さん(ウクレレ漫談)も名を連ねています。5月中旬に円左衛門さんとぴろきさんが登場する日があり、この日に「戸野廣劇場」に出掛ける事には家人も即賛成。「戸野廣浩司」さんについては何れ又。

 今日の夜は行政書士会文京支部の役員会。4月20日の定期総会での役割分担を決める会議。既に運動方針案は総務会決定を経て、各会員に送付されています。「厚生部」の私が提案した3つのイベントは全て方針案に盛り込まれていました。7月の一泊旅行・12月のボウリング大会・3月の落語鑑賞会です。そのうちの落語観賞会は円左衛門さんにご相談する事もあるかなと思っています。

 

「密約文書ない」認めず

2010年04月14日 | 身辺雑記

 4日前の朝日新聞朝刊1面に載ったタイトルには「密約文書ない」認めず、とありました。3月22日のブログに書いた「沖縄返還」に登場する「日本側400万ドル肩代わりに関する」密約文書です。
 少しくどいと思いますが、より正確に書けば「沖縄返還に伴い、本来米側が負担すべき沖縄の現状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりする」との内容の秘密文書です。この文書を含む数点の文書を、当時外務事務官だつた女性と”密かに情を通じ、そそのかし”て文書を入手したとし、元毎日新聞記者西山太吉さんには、懲役4月執行猶予1年の有罪判決が確定しています。

 事件発生から38年、最高裁の判決が下されてから31年の今年、岡田克也外務大臣が設けた密約調査の有識者委員会は、秘密合意を「広義の密約」と認定していました。本来裁かれるべきはこの密約に関わった人物や国家機関であるべきだった事が明白になりました。一方最高裁上告棄却を言い渡され有罪とされた西山さんは、自身も含めて25人の原告団を結成し、2008年に情報公開請求をし、外務省等が「存在しない」を理由に開示しなかったため、2009年に東京地裁に提訴していました。
 その判決が出ました。密約の存在を認めた上で、国が文書の不存在を理由に開示しなかった処分を取り消し、開示を命じる判決です。国民の「知る権利」をないがしろにする外務省の対応は不誠実。原告1人当たり10万円の国家賠償も命じたと記事にありました。原告側の大勝利です。
 最初の裁判で争われるべきは「国民の知る権利」だったはず。それが男女の私的問題にすり替えられてしまいました。漸くにして「知る権利」とまともに向き合った判決が出たと思います。
 行政書士受験の試験科目として「情報公開法」を学んだ身として「文書が存在しなければ不開示」と思い込んでいましたが、「文書が存在しない」ことを理由に行政機関が不開示とした処分を取り消すとの判決、嬉しい反面吃驚し不明を恥じています。
 
 「密約ー外務省機密漏洩事件」の著者で原告の一人澤地久枝さんのコメントを読み、この著作読んでいなかっ様な気がしてオンライン予約しました。

 (付記 4月10日の「天地明察」での遺題の答えは 15/7cmです)

 


名曲喫茶『ライオン』

2010年04月13日 | 身辺雑記

 切っ掛けは4月3日(土)の朝日新聞朝刊でした。山田五郎さんの「ワケ あり!」に『名曲喫茶ライオン 渋谷区』が紹介されていました。山田五郎さんのこのコラムよく読みます。五郎さん、テレビで観ることもありますが、東京のあちこちの街の様子に兎も角詳しいと感心する事が多々あります。私の全く知らない場所やナゾの物体が紹介されることもあれば、例えば私がブログに書いた場所が、その後に紹介される事も偶にあります(9月23日のブログの目黒競馬場)。
 今回はこの喫茶店の名前「ライオン」の謎解きです。その記事によれば3代目店長石原圭子さんに聞いた話が紹介されていました。
 <「ライオン」は、1926年に山崎弥之助が創業。店名はロンドンにあったライオン・ベーカリーで修行した創業者の従兄弟からコーヒのいれ方を伝授されたことに由来する。
 45年の山の手大空襲で焼失するが、50年に再建。創業時と同じクラシックなインテリアは山崎自身のデザインによる>そうで、高音質な大スピーカーは彼が設計したものだそうで、今でも健在です。
 「ライオン」も又大空襲の被害者でした!

 20代の頃よく行ったこの喫茶店、昨年の9月に再訪していましたが、4月3日から7月までほぼ毎週の様に通うことになった渋谷、その第1回目の研修のその日の朝刊に登場するという偶然、「ライオン」に又行ってみようと思ったのでした。
 
    
(「百軒店」の奥、細い路地の一角)
 3日は用事があったので、10日の土曜日に訪れました。昔の「恋文横丁」近辺の「百軒店」(ひゃっけんだな)の一角にあります。昨年9月にも感じた事ですが、細い路地や店の佇まいは40年前と全く変わっていません。室内の作りにも変化はありません。大きなスピーカも同じ。なにもかも変化なしです。






 1階で静かに音楽を楽しむ人が10人ほど。3時と7時にはレコード・コンサートが開かれますが、私が行った時間帯はリクエストタイム。昔は良く「四季」をリクエストした事を思い出しました。10日は『黒田塾』開講時間2時に間に合うように、1時間弱ほどの滞在でしたが、渋谷へ通う日々に昔の”思い出”の幾つかに遭遇しようと考え始めています。


     
                                       (右:ライオンの看板)


『黒田塾』第2回

2010年04月12日 | 行政書士奮戦記

 4月10日(土)、『黒田塾』第2回の講義がありました。先週見た渋谷の桜は今週も残っていて、今年の桜の息の長さ実感します。
 その桜日和に、黒田先生曰く「先週も今週もお花日和の土曜日に、教室に閉じ込める様な事になって済みませんね」と。いえいえトンデモありません、この4ヶ月覚悟の上です、と心の中で答えます。多くの受講生の想いも同じではないでしょうか。例えば名刺交換をしたNさん、兵庫県西宮市から遥々の受講の様です。

 第2回目の研修内容は「遺言書原案作成業務」の具体的進め方について。相談に訪れた方からどんな事をお聞きするのか。「遺言書作成業務」を引き受けた時に交わすべき「委任状」と「同意書」について。
 具体的に黒田先生が代表を務める「黒田行政書士法人」で使用している用紙を使用しての説明。自分の事務所名に変えればそのまま使用できる用紙です。この用紙を基に自分の事務所用の用紙作成OKも出ていますから、これを基に近日中に事務所用にワードで作成の積りです。
 更には「遺言原案作成必要書類一覧」や「相続業務報酬」や「公証人手数料」など”手作り”の資料を基にしての説明。この研修会の謳い文句”実践的実務”に相応しい資料と説明、これをどう上手に活用するか、これは今後の私次第だと感じました。

 今回の研修で「遺言業務」の流れが少し見えました。私なりの理解では、遺言業務と思しき依頼があった時は必ず、遺言をしたい方、遺言をすべき方と面談をしてじっくりお話を聞き、必要に応じて相続人の方々とも話し合い、様々な調査をした上で「遺言原案」を作成する。この原案を基に、公証人に「公正証書遺言」を作成してもらう。更にその遺言の「遺言執行人」にもなると云う事でした。
 今週は「無料相談会のチラシ」作成の課題が出されました。5月8日までの宿題です。何十年振りかの宿題、頑張らなくっちゃ!

 先週と比較して受講生からの質問が増えました。雰囲気が解れて来たと思います。若干耳が”弱い”マーちゃん、黒田先生の話は質問される方と比較して良く聞き取れます。長年人に話す事を仕事としてきた感想かつ観察ですが、黒田先生も比較的長い間、人に話す事を仕事として来られ、その結果として、失礼ながら、聴き易い話し方になられていると感じました。

 帰宅途中、町内会のなかの”福寿会”の定期総会に30分遅れで出席。長老のTさんが私の身分を紹介して下さったので、自然と遺言や相続についてお話させて頂くこととなり、意識してそうなった訳ではありませんが、黒田先生の言う「交際こそが営業」になっていました。