マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

東大寺ミュージアムから興福寺国宝館へ

2011年12月04日 | 

 今年の10月10日、東大寺境内に「東大寺ミュージアム」がオープンし、開館記念の特別展では、修理中の法華堂(国宝)の本尊・不空羂索観音像と脇侍の日光・月光両菩薩像の国宝3体が展示されるとの事。ミュージアムの様子も知りたくて、ここを訪れるのが今回の旅行の主目的の一つでした。
 旅の二日目、奈良駅前のホテルを朝8時に出発。一日バス乗車券を奈良交通案内所で、500円で購入。バスで東大寺には8時20分には到着。ミュージアム開館は9時ですから、それまでの時間を境内散策に当てました。


 早朝にお寺の境内を散策するのは心地よいものです。名物の鹿に角は無く、彼らも境内を散策していました。多数の、修学旅行中の中学生や高校生が案内ガイドさんに連れられて一団をなして進みます。ここを訪れるのは3年ぶり。まずは八角燈籠をじっくり鑑賞し、その後大仏さんのご尊顔を拝しました。いずれも昨年11月21日に出向いた東京博物館での「天平の至宝展」以来の”再会”です大仏様はバーチャルでしたが)。(写真:大仏殿遠望)



 (見上げる盧舎那仏像)



        (水飲む鹿2頭)

                         
 ミュージアムは思ったより小ぶりな建物でした。その中心におわしますのが国宝不空羂索観音像。右に日光、左に月光の両菩薩。明るい室内で、ご尊顔がはっきりと見えます。特に”慈悲”の日光菩薩像の御尊顔は優しさが増した様に見受けられました。他に国宝としては誕生釈迦仏立像・金銅八角燈籠火袋羽目板などが展示されていました。

 次いで興福寺へ廻る事にしました。中金堂は再建の工事中で、リニューアルされた国宝館に初めて入館しました。
 ここはかっての僧侶が集団で食事をした食堂(じきどう)が建てられていたところ。昭和34年に宝物収蔵庫として建てられていましたが、昨年の3月1日国宝館としてリニューアルオープンしていました。
何が座しますのか事前に調べてきていませんでした。入館すると直ぐ国宝「銅像仏頭」(旧山田寺の仏頭)が目に入りました。東金堂本尊薬師如来像として迎えられた後、応永年間に堂と共に被災し、その頭部だけが発見されたという仏様です。


 阿修羅像を含む「八部衆」などは、ガラスケースが無いオープン展示でした。阿修羅像とは久し振りのご対面ですが、明るくなった国宝館では御顔がはっきりと見えます。凛とした少年の様にも見受けられるこの像、いつ見ても美しいと思います。(写真:購入してきたポスターを写す)







 この国宝館には他に五部浄像・鳩槃荼像・乾闥婆像など多数の国宝が展示されていています。今回は少し駆け足で拝観してしまいました。近鉄奈良駅から至近の距離にあるこの国宝館へ、再度じっくりと出掛けたいと思います。昼食の後、入江泰吉・杉本健吉の写真と絵画を展示する「奈良市写真美術館」へと急ぎました。







平城京跡

2011年12月01日 | 

 今、京都駅前のホテルにいます。山とは違ってインターネット環境が整っていますから、そこからのブログ投稿です。
 
3泊4日の、奈良から京都を巡る今回の旅は、家人の計画に私が乗ったもので、11月30日(水)の朝8時3分、東海道新幹線で東京を立ち、京都で奈良線”みやこ路快速”に乗り換え、12時3分奈良に到着しました。自宅から5時間での到着。奈良では平城京跡・東大寺ミュージアム・興福寺・新薬師寺・ならまちなどを訪れました。
 最初に訪れたのが平城京跡。平城京跡地は近鉄奈良線でここを通る折に車内から何度か眺めていて、2010年に完成した大極殿も車中から、遥か彼方に望みました。何時かは訪れて見たいと思っていたこの地をようやく訪れることが出来ました。
 奈良駅から出る、西大寺行きのバスに揺られること20分で目的地到着ですが、その二つ前のバス停の名前が”法華寺前”で、車中からその山門が見えます。昨年春、4月7日にたずねた法華寺にこの様な形で再会するとは思っても見なかったことで、それだけこの近辺の地理に不案内ということです。兎も角点と点が繋がりました。

 バスを降りると、間近に色彩鮮やかな大極殿が見渡せ、彼方に朱雀門が望めます。それにしても広大な、広々とした跡地です。最初に見学したのが宮内省関係の復原建物。現在の宮内庁の役割を担ったお役所です。暫し眺めているとボランティアの方がやって来て、説明をして下さり、質問に答えてくれます。710年完成の平城京のこの地に7000人もの役人が働いていたことや、建物の殆どは当時の工法に従って復原されたことなどを知りました。(写真:大極殿)



            (遠く大極殿を望む)



 大極殿から朱雀門まで歩きながら、この地の広さを実感しました。両門は南北に離れること1Km弱でしょうか。途中30cmほどに盛られた小高い平地が続きます。近鉄線の踏み切りを越えると朱雀門。大きな門を見上げていると、ここでもボランティアの方が説明を加えてくれます。この跡地は1998年に世界遺産に登録され、同時に朱雀門も復原されたこと、現段階では当時の平城京の30%くらいしか発掘されていないことなどを知りました。(写真:大極殿から朱雀門へ至る道)




             (朱雀門)



      (朱雀門から大極殿を望む)


 平城京跡地周辺で多くのボランティアの方に出会いましたが、どなたも親切・丁寧。帰りのバス停の位置も教えられ、往きとは違う路線のバス利用で、一筆書きでJR奈良駅へと戻って来ました。
 バス中で、1300年も前に造営された平城京の巨大さを思います。その宮も80年持たずして長岡京へ。更にそこから10年後、平安京へと遷都されました。中央集権国家が多くの人々を強制的に働かせ、歴史的意味はあるにせよ、大きな無駄使いがなされたと私は思います。
 今回の旅で私達が辿るのも奈良から京都へで、今京都に到着しました。