マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『解錠師』を読む

2013年02月18日 | 読書

 久し振りに一気読みの米国ミステリーに出会えた。スティーヴ・ハミルトン著「解錠師」(ハヤカワ・ミステリー)は2011年のアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀長編賞と英国推理作家協会のイアン・フレミング・スティール・ダガー賞をダブル受賞した、クライム・サスペンスである

 この物語の語り手たる主人公の青年マイクルは、8歳の時にある大事件に巻き込まれ、その精神的なショックから口がきけなくなって今日に至っている。そんな彼に飛び抜けた2つの才能があった。ひとつは絵を描くこと。そしてもうひとつは、鍵のかかった難度の高い錠を開けることである。
 物語は、刑務所に収監されすでに10年を迎えようとしている20代後半のマイクルが、どんないきさつで解錠師となったのか、またどうして服役することになったのかを、読者に打ち明ける形で綴られていく。
 
 その物語は2つの時間軸を行き来しながら描かれる。ひとつは、全米各地の泥棒たちから、電話連絡があれば、指定された場所に出掛け、ピッキングや金庫破りで犯罪に加担して解錠師として過ごす日々。もうひとつは、8歳の出来事の後、伯父に引き取られ、17歳の夏には恋人アメリアと出会いながら、犯罪者への転落が始まる日々。章ごとに交互に入れ替わる時の流れは、すこしづつ接近し、交差していき、マイクルの型破りな人生経験や幼少期の事件の真相が徐々に明らかになって行く。実に巧みな構成である。
 主人公マイクルは物語中、ひと言も喋らない。意思の疎通は即興の身振りに頼るのみ。しかし愛するアメリアとの間では、彼得意の絵から連続漫画を思いつき、絵を通して思いの丈を伝える。青春小説にもなっていて、読む進むうちにマイクルに次第に感情移入してしまう。

 物語の進行とは独立して楽しめる場面がある。シリンダー錠のピッキングやダイヤル錠の解錠シーンが何度も登場する。精神を集中して、鋭い触感でキーナンバーを探り当て、その幾つかの数の順列を順番に試していく。若干数学めいて面白い。

 「真犯人は誰か」と言う謎が提出される訳ではない。マイクルはどうして一言も喋れなくなったのか?どのような経過で刑務所入りとなってしまったのか?アメリアとの愛の行方は?その謎を一刻も早く知りたくて、先へ先へと読み進むことと相成った。最終章で、アメリアと再会出来る日が来れば、「僕は何か言ってみせる。かならず」と書かれ、幕が閉じられる。
 本書は、「このミステリーがすごい!」「文春ミステリーベスト10」のいずれでも第1位に輝き、文庫でも出版された。
 
 

 


『のぞき坂』から覗く

2013年02月16日 | 

 東京が大雪に見舞われた1月14日(月)の翌日の朝、「のぞき坂」別名胸突坂が、テレビに登場したそうで、想像するに、この坂がにわかゲレンデに早変わりし、にわかスキーヤーの滑降が見られたのだろう。私の関心はその映像よりも”東京で一番の急坂”の一番にあった。目黒区で生まれ育った私にとって、行人坂と富士見坂こそが、区内で一番急な坂と信じて疑っていなかったからだ。
 品川区にある東急線目黒駅から、途中大円寺を左手に見て、目黒雅叙園へと下る行人坂。途中都立教育相談所を右手に見て、目黒川の造る谷側へと下る急坂の富士見坂。特に中学生時代の印象が強いが、これらの急坂を何度も上り下りした。私の知っている坂の方が急坂だぞとの思いから、のぞき坂と比較したくて、月の湯と併せの、2月12日の”訪問”と相成った訳だ。

 目白駅から目白通りを椿山荘方向に進む。台地を切り通して出来た明治通りと立体交差し、直ぐを右折するとのぞき坂だ。坂上に立つと、なるほど急な坂が真っすぐに伸びていて、下まで見通せる。彼方には高田馬場の街の屋根並みと、その向こうに新宿のビルも望める。坂を下り切る辺りは上りかと思えるほど凹に湾曲しているよう見える。ただ行人坂と比較して、こちらの方が急坂だろうか。見た目には分からないし、比較する術が無い。下り切ってから、逆方向の上りに掛って初めてこれはキツイ登りだと実感した。行人坂ではここまでの厳しさは経験しなかった。なるほど恐れいりやした。
 胸突坂とのネイミングも頷けるが「のぞき坂」が良い。崖から下を覗く、そんな雰囲気が坂名から連想される。(写真:のぞき坂)


 目白通りを更に東へ進むと、豊島区と文京区の区界の「日無坂」。鷺宮高校に勤務していた頃、深酒をすると、必ず高田馬場からタクシーを利用した。どのドライバーもこの坂を上り、不忍通りへと抜けた。そんな理由で何度も通った坂だが、歩いたことはなかった。こちらも神田川方向へと通じる坂。のぞき坂ほどの急坂ではないが、長い真っすぐの坂だ。下り始めてすぐ、階段状の坂が左手へ枝分かれしていて、両坂に面して立つ日本家屋が印象深かった。偶然にもその翌日に、WOWOWで観た「八日目の蝉」で、誘拐・解放された後、成長した主人公が自転車で下る場面を見て、”日無坂だ”と私は叫んでしまったが、果たして正解か?映画に坂と川が登場すると、さて何坂・さて何川などと、枝葉末節が気になってしょうがない。(写真:日無坂
 
 (日無坂と枝分かれの坂)           (人気のない幽霊坂)

  
 この日は目白台運動公園脇の幽霊坂と小布施坂(両坂とも初めての坂)を下り、永青文庫へ通じる胸突き坂を登り、月の湯へと回った。区内の、名の付いた坂は115。”完坂”まで残るはあと僅かとなった。(写真:小布施坂)

 

 

 

 


   (小布施坂上の公園から新宿方面を望む)

     (神田川上の橋から椿山荘ホテルを望む)


銭湯『月の湯』へ

2013年02月13日 | 銭湯

 銭湯の減少傾向に歯止めがかからないらしい。文京区に限っても、2年前まで11あった公衆浴場組合加盟の銭湯のうち、3・11の大地震で煙突が破損した、根津神社そばの「山の湯」は廃業し、今年中に「おとめ湯」も廃業との噂が流れている。
 現在100円入浴可能な、文京の銭湯は10ヶ所あるが、9ヶ所は既に入湯していた。いまだ訪れていない銭湯は1ヶ所で、目白台にある「月の湯」である。ここの湯が、2月1日の東京新聞に「ケロリン桶 50周年」と題して紹介されていたのをきっかけに、未だ行っていない最後の湯に浸かろうと、2月12日(火)に、中学勤務の帰り、JR目白駅へ向かった。(写真:月の湯入口)

 その時、豊島区の「のぞき坂(胸突坂)」や文京区の「幽霊坂」をも併せ探索しようと思い立った。どちらも関口台地から神田川方向へ下る坂。特に「のぞき坂」は1月14日(月)の大雪の翌日、テレビに登場していたそうで、”東京で一番の急坂”と言われている坂である。この日は
 目白駅⇒のぞき坂⇒日無坂⇒小布施坂⇒幽霊坂⇒胸突坂⇒月の湯⇒江戸川橋 と巡った。

 「月の湯」は昔ながらの銭湯だった。番台があり、脱衣した衣類は竹駕籠へ。番台に座る年配のご婦人と話し込んだ。東京新聞だけでなく、2月上旬には朝日テレビにも登場したとか。週のうち、火・木・日の3日間のみの営業は「私が勤務出来る日がその日だけなの」とか。周りにあった幾つかの銭湯も消えていったと寂しそうに語った。
 板の間の天井が非常に高い。銭湯内部の壁絵はやはり富士山だが、中島盛夫の絵ではない(彼も2月10日の3チャンネルテレビ”課外授業”で教師として登場していた)。それは一目で分かる。湯には薬湯など特別な工夫はなされていないが、41・2度の湯は非常に心地良く、長湯をしてしまった。この数年、銭湯に通ううちに、だんだん高い温度の湯に慣れて来ているような気がする。
 建物の外観も、銭湯内部もレトロな雰囲気濃厚で、昭和30年代にタイムスリップしたような気分だ。(写真:由緒ありそうな高い天井)




       (写真:壁絵の富士山)

 月の湯が東京新聞に登場したのは黄色い「ケロリン桶」の故。その新聞記事を要約すると、
 『銭湯の創業は1933年(昭和8年)で、都内では現存最古級の湯。誕生当時から「ケロリン桶」を使用。プラスチックだから木桶に比べ丈夫で衛生管理も楽な上に、広告媒体なので”ただ”。いいことずくめの桶、と店主山田義雄さんは笑った』とある。
 そういえば、他の風呂屋さんでもこの桶を見たことがあったが特に意識したことは無かった。1963年に富山市「内外薬品」が鎮痛剤・ケロリンの広告用に作ったそうだ。記事は後半、そのケロリン桶の栄枯盛衰物語となり、これこれで面白いのだが、ここでは省略。(写真:ケロリン桶)

 「湯ざめしないようにネ」との、番台さんの暖かい言葉に送られて月の湯を辞した。これで文京区10の銭湯全てに”完湯”したことになった。
 


「水に眠る」より『恋愛小説』(著:北村薫 文春文庫)を聴く

2013年02月12日 | 映画・美術・芝居・落語

 ブログへのコメントは何時も唐突にやって来る。12月8日のブログ「奉教人の死を聴く」へ、”光栄です”と題した、”語り人”さんからのコメントには「何とも、有り難いお言葉の数々、恐縮しつつ拝読しました。今後の励みにしてまいります」とあった。そのブログ、実際に感じたありのままを記したものだが、ご本人にはかなり嬉しく受け取って頂いたようだ。更に、そこには次回のライブ案内も載っていた。
 そこで、演目:「恋愛小説」の語りが2月10日(日)にあることを思い出し、慌てて、直接北原さん(=語り人)に、17時の部の電話申し込みをし、併せて今回の案内を郵送して頂いた。到着した郵便の差出人の住所の欄を見て、我が家から徒歩15分くらいのご近所住まいであることを知り、驚いた。
 
 2月10日(日)はひとりで南阿佐ヶ谷へ出掛けた。当日の語りは、
 場所:南阿佐ヶ谷 ドーモ・アラベカス
 出演:北原久仁香(語り)、町田陽子(ピアノ) である。


 語りに入る前に、会場と原作に触れておきたい。会場は「ドーモ・アラベカス」。エスペラント語で「アラビア風 唐草模様の住まい」。1974年築の洋風建築。象設計集団の住宅作品で、今は、その創設メンバー富田玲子さんの弟さんが住んでおられるそうで、当日、語りに先立ち、ご挨拶があった。その作りは以下の写真をご覧あれ。








 原作は北村薫初めての短編集「水に眠る」より、その冒頭の作品「恋愛小説」。主人公美也子は28歳の独身女性。一人いる部屋で笑う事に哀しみを覚え、母からの見合い話にいらだち、後輩の若さが眩しくなる日々。そこへ突然掛ってくる謎の電話。電話口から流れ来るピアノの調べにときめきと不安を覚える。その電話が日常に溶け込んで1年が過ぎ・・・・・・。
 覆面デビューした北村薫は女性作家かと推測されたほど、女性の微妙な心理を描かせては現代一流の名手。その手により、若き女性の”せつない想い”が描かれた「恋愛小説」。

 さて当日、語り人は、12月の和服とは異なり、白いコートを羽織って登場し、客席を背にして語り始めた。
 ”ゆらりと揺れた。
 美也子は目を閉じたまま考える”
 と、静かに語り始めた。
 主として、地の部分は囁くような細い声で、会話部分は感情を込めて、時に激しく。
 コートを脱ぐと黒のワンピース。小さな舞台の中央に立ち、時としてイスに腰かけて。
 ピアノの調べとともに、北原ワールドが展開する。
 ハッピーエンドが予感されつつ物語は終わる。
 
 殆どが女性の聴衆も語り人も、共に、28歳を生きる美也子に共感を覚えている様な空間が生まれていた。男性の私は、余り感情移入出来ないが・・・。

 語りが終わった舞台に北村薫氏が登場。北村作品朗読の折りには、彼は毎回参加しているそうで、「声薫る夕べ」とは言いえて妙。4月は「高瀬舟」。花見と重なり、こちらには参加できませんと、北原さんとは言葉を交わし、会場を後にした。


『われ敗れたり』(著:米長邦雄 出版:中央公論新社)再読

2013年02月10日 | 読書

 前将棋連盟会長で、名人だった米長邦雄永世棋聖が12月18日、前立腺ガンのため69歳で亡くなられた。衷心よりお悔やみを申し上げます。
 「さわやか流」とも「泥沼流」とも呼ばれた棋風で多くのファンを魅了した棋士だった。

 
本に触れる前に語るべきことが多いので少々脱線を。
 将棋指しとしては一番好きな棋士だった。20歳代の頃、朝日新聞の順位戦(当時は彼はB1クラスに在籍)に初めて登場した彼の棋譜を見て、躍動感溢れる駒捌きで、将棋好きの私は、たちまち彼のファンとなった。”学生村”での日々だった事も記憶にある。その後、A級に上り、王将や棋聖も含め4冠王の栄冠を手にするも、中原誠名人に6回挑戦し、ことごとく敗れ、名人には手が届かず。私も何度も悔しい思いをした。

 彼の出身高校は都立鷺宮高校。1992年(平成4年)に私が偶然にもその鷺宮高校へ転勤した翌年に、7度目の挑戦で漸く名人位獲得。名人位の最高年齢を更新した。自分の事の様に嬉しかった。学校付近で犬を連れて散歩する姿や、高田馬場駅近辺の飲み屋街に消えるラフな姿の彼を見かけたこともあった。
 しかし、その後東京都教育委員になった頃から、その考えや言動は私の考え方と逆方向のベクトルを持つことを知る。高校時代に授業を抜け出して安保デモに出掛けた面影はなかった。2004年の園遊会で彼が
「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言したのに対し、天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と冷静に返されたことが強く印象に残る。東京都の教育現場に幾多の混乱をももたらした。

 昨年出版した「われ敗れたり」が遺作となった。将棋ソフト「ボンクラーズ」と対戦して敗れた一部始終が語られている。棋士が今後コンピューターソフトと対戦する際に前もって読むべき”バイブル”となるなるほどの力作である。
 ボンクラーズとの対戦が決まると、彼は数ヶ月にわたって相手の研究を重ね、断酒し、戦略を練るのだ。思えば彼が癌と闘う日々と重なる。
 対戦は”ニコニコ生放送”で中継され100万人以上が観戦したという。それだけ関心が高かった。後手米長の初手は「6二玉」。プロの将棋指しの間では全く指されない”
悪手”のはずである。1秒間に1800万手を読み、定跡の記憶が凄い将棋ソフトに対し、定跡戦から外れ、力戦に持ち込もうとする彼の遠大な作戦だった。79手までは後手米長が圧倒的優勢に進むが、80手目にミスが出て、彼は敗れた。中盤戦で五分だとまずソフトには勝てないらしい。戦う前も含め、天晴な戦いだったと思う。
 
 コンピュター棋戦でも彼の功績大ある。3月23日の電王戦 第1局 阿部光瑠四段 vs ソフト「習甦}戦を皮切りに、5人の棋士が将棋ソフトと対戦するイベントが組まれている。A級棋士三浦弘行八段 vs GPS将棋も予定され、ニコニコ生放送の有料会員となってしまった私は今から観戦を楽しみにしている。
 
 「われ敗れたり」を再読し、私にとって、最後には良き思い出を残して世を去られた永世棋聖に感謝しし、ご冥福をお祈りします。