居間のローテーブルに並べて敷かれた三枚のランチョンマット…子供たちの食器が乗せてある…。
ノエルひとりで子供たちを看ている時の食事の定番スタイル…。
今夜のメニューはハンバーグ…蒸し焼きブロッコリー&ニンジン添え…。
子供たちの好きなコーンスープ付き…。
キッチンから運んできたものを…手早く皿に盛っていく…。
テーブルの前に座って今か今かと待っている三人…。
なんてったって…ハンバーグなんだから…。
ハンバーグは…出かける前に西沢が作って冷凍しておいてくれたものを…ケチャップかけてチンしただけ…。
蒸し焼き野菜とコーンスープの作り方は…西沢の夜食用に…と…ノエルが料理を覚え始めた頃に滝川が教えてくれた…。
野菜も輝が料理するばかりに刻んでおいてくれたものに火を通してお終い…。
未だに家事の苦手なノエルの為に…総出で至れり尽くせりの御膳立て…。
いたらきま~ちゅ…。
吾蘭が弟ふたりの面倒をよく看てくれるので、ノエルはただ危険のないように見張っていればいい…。
玄関の方で音がする…。
絢人が慌てて持っていたフォークを放り出し…飛んで行く…。
ノエルの胸が少し…シクッと痛む…。
ただいま…と…居間に姿を現した滝川の腕の中には絢人が居る…。
お帰りなちゃい…と後のふたりが応える…。
できるだけ…滝川と絢人を見ないようにして…ノエルはキッチンに向かった…。
滝川の夕飯を温めた…。
「輝は…? 」
背後から滝川が訊いた…。
「得意先と飲み会なんだ…。
遅くなるだろうからケントは今夜こっちで寝かせる…。 」
ケント…今日はお泊りかぁ…という滝川にあれやこれや嬉しげに答える絢人…。
口に出す言葉は…先生…だが…胸の内では…とうたん…と呼んでいるんだろう…。
ノエルは滝川の皿を運びながら…仕方がないんだ…と自分に言い聞かせた…。
滝川に笑顔を向けながらも…胸に迫る想いは…ある…。
すべては…僕が招いたことで…先生のせいじゃないんだから…。
輝さんに協力する時点で…こうなるかもしれないと…考えるべきだったんだ…。
考えなしに行動した罰…だな…。
無心にハンバーグを食べている吾蘭と来人…。
このふたりも…ノエルを…かあたん…とは呼べない…。
呼ばせられない…。
僕は…結局…どちらにもなれない…。
生ませて生んで…三人の子供の親にはなっても…ノエルの置かれた立場は微妙だった…。
滝川の傍で屈託なく笑う絢人を見つめながら…人知れず切ない溜息をついた…。
今朝…玄関を後にした段階で…もう考えまいと決めていたはずなのに…いざ顔を見てしまうと心が萎える…。
飽きるほど何度も溜息をついた後…いつまでも躊躇っている自分に嫌気が差して…ようよう腹を括った…。
成るように成れだ…。
自分自身に向かって…そう呟いた…。
平屋作りの豪奢な客室に設えられてある広々とした優雅な露天風呂…西沢のように大柄な男がうんと手足を伸ばしてもどれほどのこともない…。
落ち着いた眺めの…贅沢な空間…。
相変わらず忙しい身ではあるが…祥は時々…この客室を利用しているようだ…。
ひとりで…なのかどうかは…家族の誰も知らない…。
祥は今…運転手をお供に本館の方へ行っている…。
本館の方には…この老舗旅館の御自慢のひとつ…眺望の良い大きな露天風呂があるのだ…。
できるだけ他人の眼を避けたい西沢は…ひとり…部屋に残った…。
付き合って…背中のひとつも流してあげればよかったかな…。
ふと…そんなことを思った…。
この部屋に到着するまでの道中を…当たり障りのない会話で遣り過ごし…そのせいか…祥は頗る上機嫌だった…。
10人が10人とも振り返るような美形の次男を連れ歩くのは…父親として…それほど悪い気はしない…。
祥の自慢の息子であり…西沢家の広告塔なのだ…。
客室付きの仲居によって豪華な御膳が整えられる頃…本館で運転手と別れた祥が部屋に戻ってきた…。
運転手も本館のわりといい部屋をあてがわれている…。
長年…祥の為に骨身を惜しまず働いてくれている男には…祥もそれなりの待遇を以って応えていた…。
祥も西沢も…嗜む程度の酒だが…それでも…久々に親子で交わす杯…。
ほろ酔い気分も手伝ってか…祥はいつも以上に穏やかで優しい笑みを浮かべている…。
「ところで…紫苑…新しい家は…気に入ってもらえたかな…? 」
西沢に酒を勧めながら…不意に祥が問いかけた…。
瞬時…西沢が表情を強張らせた…。
「今月中には…完成する…。
来月以降…都合の良い時に…新居に移るといい…。 」
いつものことながら…西沢がどう感じていようと一向に構わない…。
勝手にことを進めていく…。
西沢はそっと杯を置くと…真正面から祥を見つめた…。
「そのことですが…あの家を…僕に売って頂けないでしょうか…? 」
祥の口許から笑みが消えた…。
怪訝そうに西沢を見た…。
「余計な心配は…しなくて良いのだよ…紫苑…。
子供たちが大きくなっても快適に暮らせるようにと…私の一存で造らせただけのことだ…。
今のマンションでは手狭だろうからなぁ…。
おまえから金を取ろうなどとはつゆほども考えてはおらん…。 」
それは…重々…分かっている…と西沢は思った…。
「勝手に発注したのが…気に障ったか…?
家に関しては…おまえにも…ああしたい…こうしたい…はあったかも知れん…。
それでもあれは…なかなか…良い家だと思うがな…。 」
そりゃぁ…そうだろう…。
あの設計士が予算を気にせず腕によりをかけたとなりゃ…。
内心…溜息ものだった…。
こっちは…できるだけ手頃な価格で済まそうと思っていたんだが…。
「そういうことではなくて…僕はもう…いい加減…良い齢なんで…いつまでもお父さんに甘えているわけにはいかないんですよ…。 」
そう言って…普段通りに微笑んでみせた…。
「紫苑…何もそんなに気を使うことはないのだよ…。
おまえは昔からそうだった…。
何も言わないし…強請りもしない…。
こちらから動いてやらなければ…欲しいものがあっても我慢するばかりで…。
おまえも私の息子なのだから…親の好意には甘えておればいい…。 」
甘んじていろ…の間違いだろ…と西沢は苦笑した…。
「紫苑は…西沢の家にとって大事な子だからね…。
住居のことも…生活のことも…何も心配しなくていいのだよ…。
必要なものは私がすべて手配する…。
新しい家で…好きな絵を描きながら…穏やかに暮らしなさい…。 」
祥はまるで幼い子供に言って聞かせるように…優しく話した…。
穏やかに…ね…。
表立って動くな…と…はっきり言われた方が…まだましだ…。
「それほどまでに…信じられませんか…?
西沢の血を…それもあなたと同じ…あなたの実妹の血を引く僕のことが…? 」
哀しげな眼が祥に向けられた…。
「僕が…西沢家の転覆を謀るとでも…思っているのですか…?
息子と呼んでおきながら…西沢家に関するすべての情報から僕を遠ざけ…ずっと鳥籠の中に閉じ込めてきた…。
この上まだ…僕を閉じ込めようとなさるのですか…? 」
祥の顔に驚きの色が浮かんだ…。
「閉じ込めるなどと…そんなことは…。
私は…ただ…おまえが可愛いだけで…。 」
決して取り乱すことなどないはずの祥が明らかに動揺していた…。
読んでいる…紫苑は…すべてを知っている…。
「あなたが…大好きでした…。 あなたこそが僕の父だと信じていました…。
母の死でパニックを起こした四歳の僕を…しっかりと抱きしめてくれたあなたが…。
大丈夫だよ…お養父さんが傍にいる…そう囁いてくれたあなたが…。
だから…僕はずっと…自分自身を封印し続けてきた…。
あなたが望むのなら…僕は何も見ない…何も知らない…それが一番いいことだ…。
あなたを悲しませずに済むのなら…怜雄や英武の発作で…僕の身体や心がどれほど傷付けられても…それは仕方がない…耐えるしかないのだ…と…。
怜雄や英武の症状は母と僕のせいだと…お祖父さまから言われ続けてきたけれど…それだけで自分を抑えて我慢してきたわけじゃない…。
あなたを父親と想えばこそ…だ…。
あれは…あれは…誰だったのですか…? 」
温厚で従順な西沢が祥に対して、これほど厳しい態度を見せるのは、祥の知る限りでは生まれて初めてのことだった…。
問い詰められて…祥は言葉に窮した…。
どう応えたら…いいのか…。
さすがの祥も…これ以上…黙っているわけにはいかなくなった…。
誤魔化しは効かない…真実をありのままに伝えるしかないと…覚悟を決めた…。
「有だ…。 」
喉の奥から搾り出すような声で…祥は第一声を発した…。
西沢を縛り付けていたもの…鳥籠の中のすべての鎖が…崩壊を始めた…。
何もかもが崩れた後に祥に対して…西沢の中に残るものがあるのかどうか…西沢自身にも分からなかった…。
「絵里の葬儀の後…有がお前を返して欲しいと言ってきた…。
絵里が逝ってしまった以上は…実父の自分が引き取って育てたい…と…。
お祖父さまは西沢の秘密と体面を護ることや…おまえの持つ裁きの一族の血の権威を手放さないために…有がまだ学生であることを理由に…渡すことはできないと断わった…。
けれど…体面や権威の維持よりも…私には…生まれた瞬間から四年もの間…この手に抱いてきたおまえを手放すことの方が…問題だったのだ…。
生涯…手元においておくために…有がいなくなってくれれば良い…とまで考えていた…。
有は必死で食い下がり…卒業して仕事に就いたら必ず紫苑を迎えに来る…と断言した…。
お祖父さまはのらりくらりと明確な返事を避けていたが…。
そんな話し合いの最中に…おまえがパニックを起こしたのだ…。
いち早くそれを察した有は離れに飛んで行き…自分の身の危険も顧みず…おまえを抱きしめ…宥め続けた…。
二十歳そこそこの有が…大丈夫だよ…お父さんが傍にいてあげるから…と…囁き続け…パニックを抑えた…。
ショックだった…。
これで…私との四年間など吹き飛んでしまうに違いない…。
紫苑の心から…私が消し飛んだ時のことを考え…怒りに震えた…。
私だって…もし…その力があるのなら…そうしていただろう…。
しかし…悔しいことに…暴発した裁きの一族の主流の力を抑えることは…私ほどの力を以ってしても困難だった…。
だから…西沢家ではわざわざ…裁きの一族出身である相庭という抑えを雇っていたのだ…。
おまえの中の有の記憶を操作した…。
おまえを宥めたのは…この私だという記憶に…すり替えた…。
その記憶のお蔭か…おまえは何時どんな時でも黙って私に従った…。
家族思いの…優しくて素直な…息子だった…。 」
大きな溜息とともに…祥は話を終えた…。
これですべてが終わりだ…とでもいうような絶望的な表情で…。
「そんなことをしなくても…僕はあなたを愛せたのに…。 」
西沢が呟いた…。
「ただ…心から僕を…息子と想ってくださるだけで…十分…だった…。
わざわざ鳥籠など作らなくても…僕は…どこへも逃げたりはしなかったのに…。
僕は…西沢で生まれて…西沢の子として…育ったんですよ…。 」
遣り切れない思いが…身体中から溢れ出た…。
切なくて…泣きたいほど胸が痛んだ…。
次回へ
ノエルひとりで子供たちを看ている時の食事の定番スタイル…。
今夜のメニューはハンバーグ…蒸し焼きブロッコリー&ニンジン添え…。
子供たちの好きなコーンスープ付き…。
キッチンから運んできたものを…手早く皿に盛っていく…。
テーブルの前に座って今か今かと待っている三人…。
なんてったって…ハンバーグなんだから…。
ハンバーグは…出かける前に西沢が作って冷凍しておいてくれたものを…ケチャップかけてチンしただけ…。
蒸し焼き野菜とコーンスープの作り方は…西沢の夜食用に…と…ノエルが料理を覚え始めた頃に滝川が教えてくれた…。
野菜も輝が料理するばかりに刻んでおいてくれたものに火を通してお終い…。
未だに家事の苦手なノエルの為に…総出で至れり尽くせりの御膳立て…。
いたらきま~ちゅ…。
吾蘭が弟ふたりの面倒をよく看てくれるので、ノエルはただ危険のないように見張っていればいい…。
玄関の方で音がする…。
絢人が慌てて持っていたフォークを放り出し…飛んで行く…。
ノエルの胸が少し…シクッと痛む…。
ただいま…と…居間に姿を現した滝川の腕の中には絢人が居る…。
お帰りなちゃい…と後のふたりが応える…。
できるだけ…滝川と絢人を見ないようにして…ノエルはキッチンに向かった…。
滝川の夕飯を温めた…。
「輝は…? 」
背後から滝川が訊いた…。
「得意先と飲み会なんだ…。
遅くなるだろうからケントは今夜こっちで寝かせる…。 」
ケント…今日はお泊りかぁ…という滝川にあれやこれや嬉しげに答える絢人…。
口に出す言葉は…先生…だが…胸の内では…とうたん…と呼んでいるんだろう…。
ノエルは滝川の皿を運びながら…仕方がないんだ…と自分に言い聞かせた…。
滝川に笑顔を向けながらも…胸に迫る想いは…ある…。
すべては…僕が招いたことで…先生のせいじゃないんだから…。
輝さんに協力する時点で…こうなるかもしれないと…考えるべきだったんだ…。
考えなしに行動した罰…だな…。
無心にハンバーグを食べている吾蘭と来人…。
このふたりも…ノエルを…かあたん…とは呼べない…。
呼ばせられない…。
僕は…結局…どちらにもなれない…。
生ませて生んで…三人の子供の親にはなっても…ノエルの置かれた立場は微妙だった…。
滝川の傍で屈託なく笑う絢人を見つめながら…人知れず切ない溜息をついた…。
今朝…玄関を後にした段階で…もう考えまいと決めていたはずなのに…いざ顔を見てしまうと心が萎える…。
飽きるほど何度も溜息をついた後…いつまでも躊躇っている自分に嫌気が差して…ようよう腹を括った…。
成るように成れだ…。
自分自身に向かって…そう呟いた…。
平屋作りの豪奢な客室に設えられてある広々とした優雅な露天風呂…西沢のように大柄な男がうんと手足を伸ばしてもどれほどのこともない…。
落ち着いた眺めの…贅沢な空間…。
相変わらず忙しい身ではあるが…祥は時々…この客室を利用しているようだ…。
ひとりで…なのかどうかは…家族の誰も知らない…。
祥は今…運転手をお供に本館の方へ行っている…。
本館の方には…この老舗旅館の御自慢のひとつ…眺望の良い大きな露天風呂があるのだ…。
できるだけ他人の眼を避けたい西沢は…ひとり…部屋に残った…。
付き合って…背中のひとつも流してあげればよかったかな…。
ふと…そんなことを思った…。
この部屋に到着するまでの道中を…当たり障りのない会話で遣り過ごし…そのせいか…祥は頗る上機嫌だった…。
10人が10人とも振り返るような美形の次男を連れ歩くのは…父親として…それほど悪い気はしない…。
祥の自慢の息子であり…西沢家の広告塔なのだ…。
客室付きの仲居によって豪華な御膳が整えられる頃…本館で運転手と別れた祥が部屋に戻ってきた…。
運転手も本館のわりといい部屋をあてがわれている…。
長年…祥の為に骨身を惜しまず働いてくれている男には…祥もそれなりの待遇を以って応えていた…。
祥も西沢も…嗜む程度の酒だが…それでも…久々に親子で交わす杯…。
ほろ酔い気分も手伝ってか…祥はいつも以上に穏やかで優しい笑みを浮かべている…。
「ところで…紫苑…新しい家は…気に入ってもらえたかな…? 」
西沢に酒を勧めながら…不意に祥が問いかけた…。
瞬時…西沢が表情を強張らせた…。
「今月中には…完成する…。
来月以降…都合の良い時に…新居に移るといい…。 」
いつものことながら…西沢がどう感じていようと一向に構わない…。
勝手にことを進めていく…。
西沢はそっと杯を置くと…真正面から祥を見つめた…。
「そのことですが…あの家を…僕に売って頂けないでしょうか…? 」
祥の口許から笑みが消えた…。
怪訝そうに西沢を見た…。
「余計な心配は…しなくて良いのだよ…紫苑…。
子供たちが大きくなっても快適に暮らせるようにと…私の一存で造らせただけのことだ…。
今のマンションでは手狭だろうからなぁ…。
おまえから金を取ろうなどとはつゆほども考えてはおらん…。 」
それは…重々…分かっている…と西沢は思った…。
「勝手に発注したのが…気に障ったか…?
家に関しては…おまえにも…ああしたい…こうしたい…はあったかも知れん…。
それでもあれは…なかなか…良い家だと思うがな…。 」
そりゃぁ…そうだろう…。
あの設計士が予算を気にせず腕によりをかけたとなりゃ…。
内心…溜息ものだった…。
こっちは…できるだけ手頃な価格で済まそうと思っていたんだが…。
「そういうことではなくて…僕はもう…いい加減…良い齢なんで…いつまでもお父さんに甘えているわけにはいかないんですよ…。 」
そう言って…普段通りに微笑んでみせた…。
「紫苑…何もそんなに気を使うことはないのだよ…。
おまえは昔からそうだった…。
何も言わないし…強請りもしない…。
こちらから動いてやらなければ…欲しいものがあっても我慢するばかりで…。
おまえも私の息子なのだから…親の好意には甘えておればいい…。 」
甘んじていろ…の間違いだろ…と西沢は苦笑した…。
「紫苑は…西沢の家にとって大事な子だからね…。
住居のことも…生活のことも…何も心配しなくていいのだよ…。
必要なものは私がすべて手配する…。
新しい家で…好きな絵を描きながら…穏やかに暮らしなさい…。 」
祥はまるで幼い子供に言って聞かせるように…優しく話した…。
穏やかに…ね…。
表立って動くな…と…はっきり言われた方が…まだましだ…。
「それほどまでに…信じられませんか…?
西沢の血を…それもあなたと同じ…あなたの実妹の血を引く僕のことが…? 」
哀しげな眼が祥に向けられた…。
「僕が…西沢家の転覆を謀るとでも…思っているのですか…?
息子と呼んでおきながら…西沢家に関するすべての情報から僕を遠ざけ…ずっと鳥籠の中に閉じ込めてきた…。
この上まだ…僕を閉じ込めようとなさるのですか…? 」
祥の顔に驚きの色が浮かんだ…。
「閉じ込めるなどと…そんなことは…。
私は…ただ…おまえが可愛いだけで…。 」
決して取り乱すことなどないはずの祥が明らかに動揺していた…。
読んでいる…紫苑は…すべてを知っている…。
「あなたが…大好きでした…。 あなたこそが僕の父だと信じていました…。
母の死でパニックを起こした四歳の僕を…しっかりと抱きしめてくれたあなたが…。
大丈夫だよ…お養父さんが傍にいる…そう囁いてくれたあなたが…。
だから…僕はずっと…自分自身を封印し続けてきた…。
あなたが望むのなら…僕は何も見ない…何も知らない…それが一番いいことだ…。
あなたを悲しませずに済むのなら…怜雄や英武の発作で…僕の身体や心がどれほど傷付けられても…それは仕方がない…耐えるしかないのだ…と…。
怜雄や英武の症状は母と僕のせいだと…お祖父さまから言われ続けてきたけれど…それだけで自分を抑えて我慢してきたわけじゃない…。
あなたを父親と想えばこそ…だ…。
あれは…あれは…誰だったのですか…? 」
温厚で従順な西沢が祥に対して、これほど厳しい態度を見せるのは、祥の知る限りでは生まれて初めてのことだった…。
問い詰められて…祥は言葉に窮した…。
どう応えたら…いいのか…。
さすがの祥も…これ以上…黙っているわけにはいかなくなった…。
誤魔化しは効かない…真実をありのままに伝えるしかないと…覚悟を決めた…。
「有だ…。 」
喉の奥から搾り出すような声で…祥は第一声を発した…。
西沢を縛り付けていたもの…鳥籠の中のすべての鎖が…崩壊を始めた…。
何もかもが崩れた後に祥に対して…西沢の中に残るものがあるのかどうか…西沢自身にも分からなかった…。
「絵里の葬儀の後…有がお前を返して欲しいと言ってきた…。
絵里が逝ってしまった以上は…実父の自分が引き取って育てたい…と…。
お祖父さまは西沢の秘密と体面を護ることや…おまえの持つ裁きの一族の血の権威を手放さないために…有がまだ学生であることを理由に…渡すことはできないと断わった…。
けれど…体面や権威の維持よりも…私には…生まれた瞬間から四年もの間…この手に抱いてきたおまえを手放すことの方が…問題だったのだ…。
生涯…手元においておくために…有がいなくなってくれれば良い…とまで考えていた…。
有は必死で食い下がり…卒業して仕事に就いたら必ず紫苑を迎えに来る…と断言した…。
お祖父さまはのらりくらりと明確な返事を避けていたが…。
そんな話し合いの最中に…おまえがパニックを起こしたのだ…。
いち早くそれを察した有は離れに飛んで行き…自分の身の危険も顧みず…おまえを抱きしめ…宥め続けた…。
二十歳そこそこの有が…大丈夫だよ…お父さんが傍にいてあげるから…と…囁き続け…パニックを抑えた…。
ショックだった…。
これで…私との四年間など吹き飛んでしまうに違いない…。
紫苑の心から…私が消し飛んだ時のことを考え…怒りに震えた…。
私だって…もし…その力があるのなら…そうしていただろう…。
しかし…悔しいことに…暴発した裁きの一族の主流の力を抑えることは…私ほどの力を以ってしても困難だった…。
だから…西沢家ではわざわざ…裁きの一族出身である相庭という抑えを雇っていたのだ…。
おまえの中の有の記憶を操作した…。
おまえを宥めたのは…この私だという記憶に…すり替えた…。
その記憶のお蔭か…おまえは何時どんな時でも黙って私に従った…。
家族思いの…優しくて素直な…息子だった…。 」
大きな溜息とともに…祥は話を終えた…。
これですべてが終わりだ…とでもいうような絶望的な表情で…。
「そんなことをしなくても…僕はあなたを愛せたのに…。 」
西沢が呟いた…。
「ただ…心から僕を…息子と想ってくださるだけで…十分…だった…。
わざわざ鳥籠など作らなくても…僕は…どこへも逃げたりはしなかったのに…。
僕は…西沢で生まれて…西沢の子として…育ったんですよ…。 」
遣り切れない思いが…身体中から溢れ出た…。
切なくて…泣きたいほど胸が痛んだ…。
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