小さな土鍋がぐつぐつと音を立て始め…白い湯気を噴出した…。
祥はもう一度…大きく溜息をつくと…杯の中の酒をぐいと飲み干した…。
もう何も…隠す必要はない…。
洗いざらい話してしまえば良い…。
後はただ…紫苑の心ひとつ…。
「西沢の血とおまえは言ったが…おまえの中には裁定人主流の血も流れている…。
今のようにすべての家門が協力体制にある状況ならともかく…そうでない時におまえは生まれた…。
万が一…西沢家にことが起こった場合…おまえの口から宗主に西沢家の内情が伝わることだけは避けねばならなかった…。
何れ…何らかの形で…裁きの宗主が接触を計るだろうことは…想像に難くない…。
実を言えば宗主は…有の意思に反して…西沢家がおまえを養子にしたことを未だに認めていないのだ…。
何かあればすぐにでも…取り返そうとすることは眼に見えていた…。
それゆえ…ひとつには育ててきた我子を失いたくないために…ひとつには外部に内情を知られないようにするために…おまえを西沢家の蚊帳の外に置き…小鳥のように閉じ込めた…。
こちらの事情だけではない…。
もしも…板ばさみになった場合に…おまえが内情を知っていれば…話したくなくても話さねばならなくなるかも知れんし…逆に…話したくても話せないかも知れん…。
どちらにせよ…おまえは…悩み…苦しむことになるだろう…。
けれども…何も知らなければ知らないで済む話だ…と…その時は思ったのだ…。
まさか…宗主がおまえを登録家族に迎え入れて…宗主の実子扱いにするとは考えてもみなかった…。
私の想いとは裏腹に…知らないでは済まされない立場に…なってしまった…。
それでも私は…あがくことをやめたくはなかった…。
誰が何と言おうと…どう動こうと…紫苑は私のものだ…。
宗主にも有にも渡すつもりはない…。 」
西沢は祥の真意を測りかねた…。
祥の西沢に対する執着心は…どう考えても常軌を逸している…。
息子を他人の手に渡したくないという父親の気持ちは分かるが…そのわりには西沢との間にいつでもかなりの距離を置いている…。
実際に手塩にかけて西沢を育ててくれたのは相庭である…。
祥はそのために必要な経費を支払ったに過ぎない…。
いつも優しい人…では…あったのだけれど…。
「美郷がおまえを着せ替え人形のように扱うのを…止められなかった…。
おまえが内心…ひどく嫌がっていることには…ちゃんと気付いていたのに…。
美郷の遊びは…おまえが中学に入るまで続いたかな…。
絵里にそっくりのおまえが女の子の服を着ると…絵里がそこに居るような気がした…。
本物ではないと分かってはいても…絵里の元気な姿を見るのが…嬉しかったのだ…。
馬鹿で我儘で人騒がせなやつだが…私にとっては可愛い妹…。
おそらく…絵里を死なせてしまった美郷も…記憶を消されているとはいえ…女の子の服を着たおまえを見ることで…絵里の無事を確認して無意識に安心していたのではないかと思う…。 」
僕を…母に見立てていた…?
思わず…フッと笑みを漏らした…。
いつも…それだ…。
誰かの身代わりに愛される紫苑…。
滑稽だったらありゃしない…。
笑っちゃうぜ…まったく…。
結局…そういうことなんだ…。
身代わりでも…捨てられなかっただけ…有り難く思えってか…。
切なさとも…諦めともつかない…溜息をついた…。
「お父さん…それ…頂いていいですか…? 」
西沢が突然…祥の前のお通し…を指差した…。
お通しの中に…西沢の好きな生麩料理があった…。
「これか…相変わらず…妙なものが好きだな…。
怜雄や英武は…肉だの刺身だのを欲しがるのに…おまえはこんなものばかり…。
それも…こちらが訊いてやって初めて…欲しいというのだから…。
自分から言い出すとは珍しい…。 」
祥は笑いながら皿を渡してやった…。
「御菓子の代わりですよ…。 何処となく…可愛いでしょう…これ…。
怜雄や英武は好きなだけ御菓子を食べられるけど…僕は止められてたんですから…。
それに…相庭からはいつも…他人の皿のものを欲しがるのは卑しいこと…絶対にしてはいけない…と言われてたんですよ…。
はい…これはお返し…お父さん…アワビがお好きでしょ…。 」
西沢が自分の皿を渡すと…祥は嬉しそうに頷いた…。
それをきっかけに…ゆっくりと…ふたりの箸が…動き始めた…。
何事もなかったかのように…ごく自然に…。
子供たちを寝かしつけて部屋に戻ると…滝川はすでに眠ってしまったようで…部屋の空気全体がやけに静かだった…。
起こさないようにそっとベッドにもぐりこんだが…なかなか寝付かれなかった…。
西沢の居ないベッドは広過ぎて…寝心地が悪い…とノエルは思った…。
ノエルの居場所は…西沢と滝川の間…。
それが最も気の休まるところ…。
「紫苑さん…大丈夫かなぁ…? 」
思わず声に出してしまった…。
「心配ない…。
紫苑は上手くやるよ…。 」
眠っていたはずの滝川が答えた…。
「起きてたの…先生…?
けどさぁ…紫苑さんは…お養父さんには口答えひとつできないんだよ…。
僕だったら大喧嘩になるところだけど…。
人の土地に家建てて…何…勝手なことやってんだよ~…ってね…。 」
滝川がクックッと喉を鳴らして笑った…。
「口答え…できないんじゃなくて…しないんだよ…。
大勢に影響がないから…。
ああ見えても紫苑は…言う時はきっぱり言うやつなんだ…。
いつでもウジウジと堪えているばかりじゃないよ…。
それが証拠に…ノエルとの結婚決めた時は…ちゃんと宣言したぜ…。
両親は相当面食らっただろうが…反対はできなかったな…。 」
面食らったのはこっちだし…とノエルは言った…。
「結婚…なんて…考えてなかったんだ…全然…。
別の男だったら蹴り入れて…おととい来やがれ…ってボコすとこなんだけど…。
紫苑さんのこと…心底…好きだったから…さ…。
ずっと傍に居たかったのもほんとだし…。
正直…今だって…結婚してるって実感ないし…男の僕の中に女の僕が居るなんて自覚ないし…でも実際に…子供ふたり…生んじゃったんだもんね…。
あっ…そうだ…!
先生にも赤ちゃんプレゼントしちゃおか…? 」
はぁぁぁ…?
瞬時…滝川が固まったのがノエルにもはっきりと分かった…。
あっけらかんと…とんでもねぇことを…何考えてんだ…こいつ…?
「馬鹿言ってんじゃないよ…。
そりゃぁ…ノエルと僕はお友達だけど…子供までは…。
そんなこと言っちゃ…紫苑が可哀想だぜ…。 」
まったく…困った奴っちゃなぁ…。
とんでもない申し出に滝川は閉口した…。
そうかな…?
ノエルは首を傾げた…。
「ケントは僕と輝さんの子だけど…僕を介してアランやクルトとは兄弟だ…。
結果として…紫苑さんと輝さんは子供の代で繋がった…。
もし…僕が先生の子供を産めたら…紫苑さんと先生も繋がるんだ…。
眼に見えない心だけが頼りの絆じゃなく…ちゃんと形あるものを絆として…本物の家族になれるんだよ…。 」
それは…そうなんだが…。
少しばかり心が揺れた…。
ノエルを介して紫苑と繋がりができる…子供という確かな繋がりが…。
けれど…紫苑は…それを望むだろうか…?
「まぁ…きみの申し出は…有り難いっちゃぁ有り難いんだけど…それじゃぁ…お願いしますって言うわけには…いかないなぁ…。 」
そう答えながらも…滝川の心は…ノエルの提案をはっきりと拒絶することはできず…迷っていた…。
比較的早い時間に向こうを発ったこともあって…途中…あちらこちらへ寄り道しながらも…まだ明るいうちに到着した…。
祥を乗せた車を見送った後…西沢は部屋には戻らず…歩き始めた…。
西沢が取り立てて咎め立てするようなことを言わなかったせいか…祥は終始穏やかだった…。
これ以上…祥を責めて何になろう…。
西沢としては新しい家のことさえ解決を見たなら…過去は問うまい…と思っていたのだが…。
西沢が買った木之内家祖先の土地…そこにはすでに内装段階に入った新しい屋敷が建てられていた…。
すでに今日の仕事を終えたのか…作業する者の姿はない…。
新しい…鳥籠…か…。
ひとりじゃないってだけが…前よりはマシだな…。
自嘲するような笑みが口許に浮かんだ…。
不意に…西沢の足許の…暮れかけた陽光が揺らいだ…。
それが誰であるのか…西沢にはすぐに分かったが…今日は覗きに来ただけらしく…声もかけずに消えていった…。
「ニシザワ…。 」
代わりに…あの気配が消えると…別の気配が声をかけた…。
聞き覚えのある…男の声…。
「時の輪の…まだ…この辺りをうろうろしていたのか…?
とっくにこの国から…出て行ったとばかり思っていたが…。 」
問いかける西沢の口調は皮肉たっぷり…。
時の輪…はニヤリと笑った…。
「出たさ…。 先週…戻ってきたばかりだ…。
また…この国で働けとの…大長老のご命令でな…。 」
大長老…?
へぇ~…あの首座兄弟の他にも…上が居たんだ…?
古い組織だから…それも当たり前か…。
HISTORIANはあちらこちらの国に支部を置く組織…それを考えれば首座兄弟だけが組織の要であるはずがないことを…何故か今になって認識した…。
それだけ…あのじいさんたちの印象が強烈だったってことかな…。
「大長老は…首座兄弟とは違って…争いごとの嫌いな御方だ…。
もともと…首座の地位にはこの方が就かれるはずだった…。
が…権力に固執する首座兄弟との対立を避けて自ら退かれたのだ…。
このたび…新しい首座の後見として…また復帰された…。
世話になったニシザワに就任のご挨拶を…との…お言葉でな…。 」
世話に…?
報復を企んでいるような様子はなかった…。
むしろ…時の輪の態度は以前よりずっと友好的だ…。
なるほど…知らぬ間に…大長老さんのお役に立っていたらしい…。
「大長老は現状に満足しておられる…。 それ以上は言わぬが…。
とりあえず…我々は…世界救済と奉仕のためのアカシックレコードの研究者に戻るつもりだ…。 」
時の輪はどうやら…大長老側の人間だったようだ…。
マーキスがあっさり切り捨てられたのも…案外…そんなところが原因かもしれない…。
仲間とはいえ…敵対する勢力の息のかかった者に戻ってきて貰っても…邪魔なだけだ…。
「組織を立て直すには…何かと物入りだ…。
この国で…がっぽりと…稼がせてもらうのさ…。
まぁ…店の宣伝を兼ねて…ご挨拶に伺ったというわけだ…。 」
いけしゃぁしゃぁと時の輪は言った…。
おやおや…販促かよ…。
「なぁに…料理に毒など盛ったりしないから…ご心配なく…。 」
それだけ告げると…時の輪は背を向けた…。
「贔屓にしてやってもいいが…条件がある…。
そっちに面倒看る気がないのなら…もうあの子には近付くな…。
里心つかせるだけ罪だ…。
無論…追っ手を差し向けてあの子に手を出すことも許さねぇ…。 」
時の輪の背中目掛けて…西沢は言葉の飛礫を投げつけた…。
届いているのかいないのか…時の輪の身体は微動だにしなかった…。
それと…と…西沢は続けた…。
「誘いを受けるからには…それなりのサービスを…期待してるぜ…。 」
うって変わって冗談めいた口調…。
時の輪は西沢を振り返り…ちょっと眉を吊り上げて見せ…愉快そうに笑いながらその場を去って行った…。
ノエルのお気に入り…寝室の籐のソファ…最近では滝川もよくこれに座って音楽を聴いて楽しんだりしている…。
座り心地が抜群なので…時々居眠りしてしまうほどだ…。
ガクンッと身体が傾いて…ハッと目が覚める…。
いけねぇ…そろそろ…買い物行かねぇと…。
そう思って立ち上がろうとした刹那…あの光に捕まった…。
これで二度目だ…。
おいおい…僕を捕まえても…あんたたちが何を言ってるのか分からんぜ…。
そう思った瞬間…全身を包み込まれた…。
次回へ。
祥はもう一度…大きく溜息をつくと…杯の中の酒をぐいと飲み干した…。
もう何も…隠す必要はない…。
洗いざらい話してしまえば良い…。
後はただ…紫苑の心ひとつ…。
「西沢の血とおまえは言ったが…おまえの中には裁定人主流の血も流れている…。
今のようにすべての家門が協力体制にある状況ならともかく…そうでない時におまえは生まれた…。
万が一…西沢家にことが起こった場合…おまえの口から宗主に西沢家の内情が伝わることだけは避けねばならなかった…。
何れ…何らかの形で…裁きの宗主が接触を計るだろうことは…想像に難くない…。
実を言えば宗主は…有の意思に反して…西沢家がおまえを養子にしたことを未だに認めていないのだ…。
何かあればすぐにでも…取り返そうとすることは眼に見えていた…。
それゆえ…ひとつには育ててきた我子を失いたくないために…ひとつには外部に内情を知られないようにするために…おまえを西沢家の蚊帳の外に置き…小鳥のように閉じ込めた…。
こちらの事情だけではない…。
もしも…板ばさみになった場合に…おまえが内情を知っていれば…話したくなくても話さねばならなくなるかも知れんし…逆に…話したくても話せないかも知れん…。
どちらにせよ…おまえは…悩み…苦しむことになるだろう…。
けれども…何も知らなければ知らないで済む話だ…と…その時は思ったのだ…。
まさか…宗主がおまえを登録家族に迎え入れて…宗主の実子扱いにするとは考えてもみなかった…。
私の想いとは裏腹に…知らないでは済まされない立場に…なってしまった…。
それでも私は…あがくことをやめたくはなかった…。
誰が何と言おうと…どう動こうと…紫苑は私のものだ…。
宗主にも有にも渡すつもりはない…。 」
西沢は祥の真意を測りかねた…。
祥の西沢に対する執着心は…どう考えても常軌を逸している…。
息子を他人の手に渡したくないという父親の気持ちは分かるが…そのわりには西沢との間にいつでもかなりの距離を置いている…。
実際に手塩にかけて西沢を育ててくれたのは相庭である…。
祥はそのために必要な経費を支払ったに過ぎない…。
いつも優しい人…では…あったのだけれど…。
「美郷がおまえを着せ替え人形のように扱うのを…止められなかった…。
おまえが内心…ひどく嫌がっていることには…ちゃんと気付いていたのに…。
美郷の遊びは…おまえが中学に入るまで続いたかな…。
絵里にそっくりのおまえが女の子の服を着ると…絵里がそこに居るような気がした…。
本物ではないと分かってはいても…絵里の元気な姿を見るのが…嬉しかったのだ…。
馬鹿で我儘で人騒がせなやつだが…私にとっては可愛い妹…。
おそらく…絵里を死なせてしまった美郷も…記憶を消されているとはいえ…女の子の服を着たおまえを見ることで…絵里の無事を確認して無意識に安心していたのではないかと思う…。 」
僕を…母に見立てていた…?
思わず…フッと笑みを漏らした…。
いつも…それだ…。
誰かの身代わりに愛される紫苑…。
滑稽だったらありゃしない…。
笑っちゃうぜ…まったく…。
結局…そういうことなんだ…。
身代わりでも…捨てられなかっただけ…有り難く思えってか…。
切なさとも…諦めともつかない…溜息をついた…。
「お父さん…それ…頂いていいですか…? 」
西沢が突然…祥の前のお通し…を指差した…。
お通しの中に…西沢の好きな生麩料理があった…。
「これか…相変わらず…妙なものが好きだな…。
怜雄や英武は…肉だの刺身だのを欲しがるのに…おまえはこんなものばかり…。
それも…こちらが訊いてやって初めて…欲しいというのだから…。
自分から言い出すとは珍しい…。 」
祥は笑いながら皿を渡してやった…。
「御菓子の代わりですよ…。 何処となく…可愛いでしょう…これ…。
怜雄や英武は好きなだけ御菓子を食べられるけど…僕は止められてたんですから…。
それに…相庭からはいつも…他人の皿のものを欲しがるのは卑しいこと…絶対にしてはいけない…と言われてたんですよ…。
はい…これはお返し…お父さん…アワビがお好きでしょ…。 」
西沢が自分の皿を渡すと…祥は嬉しそうに頷いた…。
それをきっかけに…ゆっくりと…ふたりの箸が…動き始めた…。
何事もなかったかのように…ごく自然に…。
子供たちを寝かしつけて部屋に戻ると…滝川はすでに眠ってしまったようで…部屋の空気全体がやけに静かだった…。
起こさないようにそっとベッドにもぐりこんだが…なかなか寝付かれなかった…。
西沢の居ないベッドは広過ぎて…寝心地が悪い…とノエルは思った…。
ノエルの居場所は…西沢と滝川の間…。
それが最も気の休まるところ…。
「紫苑さん…大丈夫かなぁ…? 」
思わず声に出してしまった…。
「心配ない…。
紫苑は上手くやるよ…。 」
眠っていたはずの滝川が答えた…。
「起きてたの…先生…?
けどさぁ…紫苑さんは…お養父さんには口答えひとつできないんだよ…。
僕だったら大喧嘩になるところだけど…。
人の土地に家建てて…何…勝手なことやってんだよ~…ってね…。 」
滝川がクックッと喉を鳴らして笑った…。
「口答え…できないんじゃなくて…しないんだよ…。
大勢に影響がないから…。
ああ見えても紫苑は…言う時はきっぱり言うやつなんだ…。
いつでもウジウジと堪えているばかりじゃないよ…。
それが証拠に…ノエルとの結婚決めた時は…ちゃんと宣言したぜ…。
両親は相当面食らっただろうが…反対はできなかったな…。 」
面食らったのはこっちだし…とノエルは言った…。
「結婚…なんて…考えてなかったんだ…全然…。
別の男だったら蹴り入れて…おととい来やがれ…ってボコすとこなんだけど…。
紫苑さんのこと…心底…好きだったから…さ…。
ずっと傍に居たかったのもほんとだし…。
正直…今だって…結婚してるって実感ないし…男の僕の中に女の僕が居るなんて自覚ないし…でも実際に…子供ふたり…生んじゃったんだもんね…。
あっ…そうだ…!
先生にも赤ちゃんプレゼントしちゃおか…? 」
はぁぁぁ…?
瞬時…滝川が固まったのがノエルにもはっきりと分かった…。
あっけらかんと…とんでもねぇことを…何考えてんだ…こいつ…?
「馬鹿言ってんじゃないよ…。
そりゃぁ…ノエルと僕はお友達だけど…子供までは…。
そんなこと言っちゃ…紫苑が可哀想だぜ…。 」
まったく…困った奴っちゃなぁ…。
とんでもない申し出に滝川は閉口した…。
そうかな…?
ノエルは首を傾げた…。
「ケントは僕と輝さんの子だけど…僕を介してアランやクルトとは兄弟だ…。
結果として…紫苑さんと輝さんは子供の代で繋がった…。
もし…僕が先生の子供を産めたら…紫苑さんと先生も繋がるんだ…。
眼に見えない心だけが頼りの絆じゃなく…ちゃんと形あるものを絆として…本物の家族になれるんだよ…。 」
それは…そうなんだが…。
少しばかり心が揺れた…。
ノエルを介して紫苑と繋がりができる…子供という確かな繋がりが…。
けれど…紫苑は…それを望むだろうか…?
「まぁ…きみの申し出は…有り難いっちゃぁ有り難いんだけど…それじゃぁ…お願いしますって言うわけには…いかないなぁ…。 」
そう答えながらも…滝川の心は…ノエルの提案をはっきりと拒絶することはできず…迷っていた…。
比較的早い時間に向こうを発ったこともあって…途中…あちらこちらへ寄り道しながらも…まだ明るいうちに到着した…。
祥を乗せた車を見送った後…西沢は部屋には戻らず…歩き始めた…。
西沢が取り立てて咎め立てするようなことを言わなかったせいか…祥は終始穏やかだった…。
これ以上…祥を責めて何になろう…。
西沢としては新しい家のことさえ解決を見たなら…過去は問うまい…と思っていたのだが…。
西沢が買った木之内家祖先の土地…そこにはすでに内装段階に入った新しい屋敷が建てられていた…。
すでに今日の仕事を終えたのか…作業する者の姿はない…。
新しい…鳥籠…か…。
ひとりじゃないってだけが…前よりはマシだな…。
自嘲するような笑みが口許に浮かんだ…。
不意に…西沢の足許の…暮れかけた陽光が揺らいだ…。
それが誰であるのか…西沢にはすぐに分かったが…今日は覗きに来ただけらしく…声もかけずに消えていった…。
「ニシザワ…。 」
代わりに…あの気配が消えると…別の気配が声をかけた…。
聞き覚えのある…男の声…。
「時の輪の…まだ…この辺りをうろうろしていたのか…?
とっくにこの国から…出て行ったとばかり思っていたが…。 」
問いかける西沢の口調は皮肉たっぷり…。
時の輪…はニヤリと笑った…。
「出たさ…。 先週…戻ってきたばかりだ…。
また…この国で働けとの…大長老のご命令でな…。 」
大長老…?
へぇ~…あの首座兄弟の他にも…上が居たんだ…?
古い組織だから…それも当たり前か…。
HISTORIANはあちらこちらの国に支部を置く組織…それを考えれば首座兄弟だけが組織の要であるはずがないことを…何故か今になって認識した…。
それだけ…あのじいさんたちの印象が強烈だったってことかな…。
「大長老は…首座兄弟とは違って…争いごとの嫌いな御方だ…。
もともと…首座の地位にはこの方が就かれるはずだった…。
が…権力に固執する首座兄弟との対立を避けて自ら退かれたのだ…。
このたび…新しい首座の後見として…また復帰された…。
世話になったニシザワに就任のご挨拶を…との…お言葉でな…。 」
世話に…?
報復を企んでいるような様子はなかった…。
むしろ…時の輪の態度は以前よりずっと友好的だ…。
なるほど…知らぬ間に…大長老さんのお役に立っていたらしい…。
「大長老は現状に満足しておられる…。 それ以上は言わぬが…。
とりあえず…我々は…世界救済と奉仕のためのアカシックレコードの研究者に戻るつもりだ…。 」
時の輪はどうやら…大長老側の人間だったようだ…。
マーキスがあっさり切り捨てられたのも…案外…そんなところが原因かもしれない…。
仲間とはいえ…敵対する勢力の息のかかった者に戻ってきて貰っても…邪魔なだけだ…。
「組織を立て直すには…何かと物入りだ…。
この国で…がっぽりと…稼がせてもらうのさ…。
まぁ…店の宣伝を兼ねて…ご挨拶に伺ったというわけだ…。 」
いけしゃぁしゃぁと時の輪は言った…。
おやおや…販促かよ…。
「なぁに…料理に毒など盛ったりしないから…ご心配なく…。 」
それだけ告げると…時の輪は背を向けた…。
「贔屓にしてやってもいいが…条件がある…。
そっちに面倒看る気がないのなら…もうあの子には近付くな…。
里心つかせるだけ罪だ…。
無論…追っ手を差し向けてあの子に手を出すことも許さねぇ…。 」
時の輪の背中目掛けて…西沢は言葉の飛礫を投げつけた…。
届いているのかいないのか…時の輪の身体は微動だにしなかった…。
それと…と…西沢は続けた…。
「誘いを受けるからには…それなりのサービスを…期待してるぜ…。 」
うって変わって冗談めいた口調…。
時の輪は西沢を振り返り…ちょっと眉を吊り上げて見せ…愉快そうに笑いながらその場を去って行った…。
ノエルのお気に入り…寝室の籐のソファ…最近では滝川もよくこれに座って音楽を聴いて楽しんだりしている…。
座り心地が抜群なので…時々居眠りしてしまうほどだ…。
ガクンッと身体が傾いて…ハッと目が覚める…。
いけねぇ…そろそろ…買い物行かねぇと…。
そう思って立ち上がろうとした刹那…あの光に捕まった…。
これで二度目だ…。
おいおい…僕を捕まえても…あんたたちが何を言ってるのか分からんぜ…。
そう思った瞬間…全身を包み込まれた…。
次回へ。