歴代総理大臣が、国会の演説とは別に就任記者会見を開き、政治を担うに当たっての決意と抱負を語っていたような情景が頭に残っている。
TVが普及した小学中~高学年の頃、子供乍らにも今度の総理大臣は名前は何で、こんな顔をしていて、こんなこと考えているんだとボンヤリと認
識したものだった。
炭鉱という格差の激しい特殊な社会で育ったせいか、教室の窓の外を行く“鉢巻き”隊を見ながら、先生が何故あのような行動が起きているのかを
易しく説明してくれた記憶がある。考えてみれば当時の先生は立派である。おかげで政治との出会いが自然だったように思う。
スェーデンでは学校教育で政治をテーマにした討論を徹底して行っており、それが若者の選挙投票率を高めていると聞いたことがある。
今、この国で政治への無関心、不信感が高まっているのは学校教育で政治に触れることがタブーになったことも要因の一つではないか。
解消するのは容易なことではない。
菅総理大臣は9月に就任して2ヵ月経つが、今なおフリー会見を頑なに拒んでいる。官邸廊下での“立ち話”でも質問は受け付けずにクルッと立ち去
って行く。
驚いたことに国会答弁では、いきなり「いずれにしましても」と原稿を読み上げたこともあった。答えをはぐらかす時の慣用句である「いずれに
しましても」をいきなりとはいくらなんでも酷い。政治不信が加速する。
「前例を打破し、国民のために働く」と言うのであれば、まず、アベ流のぶら下がり立ち話をやめて、きちんと一問一答の記者会見で国民に向か
って説明し、国民の声を聴き、答えを見いだすというところからやって欲しいと、まさに“心から”お願いする次第だ。
記者会も強く申し入れするべきだ。