1918年3月17日、近畿財務局の赤木俊夫氏が自死した。朝日新聞が不明朗な国有地売却のスクープ記事を出して1年後のことだった。
それから2年が経って生前に書き残していた「手記」が週刊文春によって公開された。
NHK大阪放送局の記者としてこの森友事件を追っていた相澤冬樹記者(現・大阪日日新聞)の執念のスクープだ。
「手記」を読んでみて真っ先に思ったのは、どうして赤木さんは生きてこの告発をしなかったのだろうということだった。
末尾にある「事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。」という一文が胸に刺さる。
2018年2月から書き始めた「手記」は〝はじめに”で始まる。普通、研究論文か役所の文書以外にこのような書き出しはしないと思う。
死の間際に書いたものではなく、落ち着いた中で書き始めていたような気がする。4項目に分けて実名を上げて経緯を詳述した役所の文書だ。人柄が偲ばれる。
全くの推測だが、問題の国有地の払下げ事務には元々はタッチしていなかったのに、その後始末を担当することになった赤木さんは機会をみて不正事実を告発、告白するために「手記」を書き進めていたのではないか。
しかし、人事異動で一人残され、国有地売却の書類までが全て無くなっていることに気づいた時にその意欲も削がれ、最期は「遺書」に変わっていったとしたらこんな残酷で無念なことはない。残された問いかけの遺志は重い。
自己の責任を突き詰め、悩んで悩んで最期に向かった日々が読んでいて苦しい。手記の公開に踏み切った奥様の苦悩も想像を絶する。
赤木さんは国鉄に就職したが分割民営化で中国財務局に転職していることを文春記事で知った。
そのような仲間を迎えた経験があった。赤木さんと同年代だ。優秀で、仕事に熱心。選ばれて来たことへの責任感が強い人だった。人柄が重なった。
安倍首相は「徹底した財務省調査と検察捜査で事実は解明され、“終わっている”」との役所が書いたテンプレートを繰り返し、世間の“疲れ”を待つだろうが、財務省調査は〝新たな事実が明らかとなるような場合は〟再調査の道を残している。会計検査院も隠された資料を見ていない。国会はこの点を追求すべきだ。
そして、何より「手記」が問うているのは「主導した当時の財務省佐川理財局長に指示を出したのは誰か。」という一点と財務省に限らない世の不条理だ。
この先、国会に佐川氏が証人出廷するかどうかははっきり言って可能性は低い。しかし、刑事訴追の恐れがあるという理由で国会証言をことごとく拒否したことと黒川検事総長の就任は世論の力で変えられる。
- 思っていることが言えない、知っていて知らないふりをする、平気で嘘をつく、信頼する人に裏切られる。 -
そんな今の世の中に赤木さんは遂には死の抗議をするに至ったのではないかと思われてならない。
「手記」は国有地の不正取引ばかりでなく役所組織のガバナンスの糾弾もあり、単に森友事件の真実ばかりでない。
この裁判を忘れないでいたい。奥様には頑張って欲しい。