1年前の当ブログの記事がメールで送られてきて、去年の初雪が11月11日だったことを知った。まだ最低気温が3℃辺りなので初雪はもう少し先になりそうだ。
《2021.11.11 右の2本の上と下に椎茸が出ている》
そんな今年の11月11日に椎茸が五つ顔を出しているのを発見した。菌を植え込んで2年目のこの秋は毎朝、ほだ木を眺めるのが楽しみだったが気配は無く、来年の楽しみにしようと暫く眺めることはしていなかった。
大きいのは直径5センチ位なので今月初め頃に出たのだろうか。保護色なのか目立たない。
10月下旬に雨が降ったり晴れたりの日が続き、最高気温もこの時期にしては高かった。ひよっとして勘違いしないかなぁと冗談半分に思っていただけにびっくりだ。
小さな〝椎茸さま〟を冬間近のこの時期にどのようにして育て、そして味わうか、暫く楽しませてくれそうだ。
天気予報からも目が離せない。
収穫の写真も楽しみにしております。
ところで、宋氏のお寺の門の右側突き当たりの階段って、ずっと高くまで行く奴だったですか? ずっと昔に行った時のおぼろげな記憶ですが。
遣唐使の入り江はよく覚えています。
そうです。宗氏の霊廟は階段を登ったところにありました。初代藩主・義智の墓は質素でしたが後代になってでかくなっていた(笑)のが印象的でした。
僕も確かに確認した覚えがあるこのことについて、思い巡らしたことが以下でした。
戦国時代から徳川300年の平和に入って、戦国時代に急成長した流通・開発が庶民生活に回る様になった。鎖国ゆえに「経済の海外発展」などというものが原則なかったから、国内経済の「需要と供給との好循環発展」だ。かくして元禄時代には、それまでの1日2食が3食になったと分かっています。江戸と大坂の世界的大都市化もこのころのこと。
というわけで宋氏もどんどん裕福に? ただし宋氏は、李朝との取り引きもあったのでしょうか?