2015年4月18日
熊本県高森町から宮崎県の高千穂に向かう。高森峠の快晴ロングダウンヒルが気持ち良かった。走れることに感謝しながら。
高千穂は天孫降臨の神話の里。
時間がたっぷりあるので高千穂峡と弊立神社に寄ってみた。
高千穂峡は柱状節理の渓谷美で知られ、天孫降臨の時に、この地に水が無かったたため、天村雲命(アメノムラクモノミコト)が水種を移した「天真名井」の水が滝になったという。ボートで見物する人も多い。
弊立神社。神武天皇の孫が宮崎から阿蘇に向かう途中、一羽の白鳥の案内で立ち寄り、幣帛というものを立てて天神地祇(神と自然という意味か)を祀ったという。
神武天皇を先導したという熊野本宮大社の〝八咫烏ヤチガラス伝説〟と似ている。こうした同じような神話はどのように形成されたのだろうか。
因みに3本足の八咫烏はサッカー日本代表のマークになっている。
宮司さんらしき人がいたので尋ねると「この神社は高千穂に降り立った神々が集まるまぁ政府のようなところだね」とユニークな説明をしてくれた。
案内板には「この神社に降った雨が東西の海に注いで地球を包んでいる。高天原の宮の伝承を持つ国始めの尊宮」とある。壮大である。
境内に何と樹齢15000年と伝えられる檜のご神木があった。パワースポットになっていて、訪れていた人によると「ここでは磁石が狂う」とか。
高千穂の街は山間の中腹に思ったより広く張り付くように広がっていた。
この日の宿のYHの経営者は中年の女性だった。家族の介護があり食事提供は1年前に中止していて、宿を続けるかどうか悩んでいた。
街まで離れているので車に乗せて貰って自炊要用の食材を買いに出た。久し振りに焼き肉ともりもりの野菜にした。夕食の後に再び車で『夜神楽』見物に送ってくれた。
《夜神楽を舞った農家の皆さん》
年に一度、夜から翌日昼まで舞うという。全部で33番あり、この夜は天岩戸伝説から4番。2時間の熱演だった。
力の強い神が岩戸を探し出す。
細女の舞。やっぱり男の舞い(笑)。
夫婦円満、イザナギ、イザナミの二神が仲良く酒を造って飲む。
天岩戸を持ち上げてメデタシ、めでたし。
高千穂の夜神楽は地域の農民が娯楽として、面白おかしく伝承しているが、継者不足が悩みの種とのこと。
末永く続いて欲しいものだ。
宿からの迎えの車に乗り21:00過ぎに戻った。
翌日は高千穂の峰を越えて大分県・豊後高田市に向かうと言うと宿の経営主のおばさんが黙った。
「キツイから止めときなさい」と言いかけて飲み込んだように見えた。
高千穂から標高1500m〜1600mの九州山地を越えて大分に向かうにはいくつかのルートがあったが、『天の岩戸』が県道7号沿いなので迷わずにそれに決めていた。
女将さんに聞くと「子供の頃に行ったきりで。。。舗装はされたと聞いてますけどねぇ」
ウーン。迷った。距離はあるけれど比較的平坦な延岡方面への道を選択すべきか。
しかし、折角ここまで来たのだし、「いよいよ困ったら救援を頼みます(笑)」と言うと、
「分かりましたよ。明日は昼から雨だから早く出発した方がいいよ。」と背中を押して貰った。 (つづく)