2002年3月30日 エリザベス皇太后 (英:王族,ジョ-ジ6世の妃,エリザベス2世の母) <101歳>薨去
Elizabeth the Queen Mother [1900年8月4日生]
娘である女王と同じエリザベスという名前でいらしたので、長らくクイーンマザーの呼称で親しまれたエリザベス皇太后が亡くなられたのは3年前のことだった。90才を超えてもかくしゃくとして、お腰が曲がることも無く、長寿を全うされた。英皇室中最も人気があったメンバーでもあらせられた。この方もエリザベス女王であられたこと、忘れてはいけない。
無論、我々的には、その秋のエリザベス女王杯。恐らくこれで間違いが無いと衆目の一致する圧倒的大本命馬が現われ、それが8枠に入った折り、枠順に瞠目と共に見入り、そしてある確信を深めるに至った。
2002年11月10日 第27回 エリザベス女王杯
4枠 4番 ブルーエンプレス
5番 ダイヤモンドビコー 2着
8枠 12番 ファインモーション 1着
13番 トーワトレジャー
枠連 4-8、みまかられたエリザベス皇太后のお誕生日で決したわけだ。4枠隣のブルーエンプレスとは、「悲しみの女帝」 ダイヤモンドもトレジャーも宝であり、僅か¥、350 の枠連でも、これ以外買う馬券が無いほどの仕掛けだった。女王の3種の神器 王杖の先端には アフリカの星 と呼ばれる世界最大のダイヤモンドが嵌め込まれていることは常識である。ダイヤモンド婚式は結婚60周(または75周)年を祝うものだが、此処では、婚儀ではなく、年若くして亡くなり娘に王位を譲った故ジョージ六世に代わり、娘エリザベス2世に長年寄り添ったクイーンマザーのことを指し、寄り添う=尾行 とかけたものとも見える。
翻って、お話した平成元年。日本の天皇の崩御の年、エリザベス女王杯でもあからさまな仕掛けが行われた。もうお話済み。
1989年第11月12日 14回 エリザベス女王杯
1着 3枠 6番 サンドピアリス (20番人気)
2着 7枠 17番 ヤマフリアル (10番人気)
単 ¥、43060 枠連 3-7 ¥、8460
エリザベス2世(Elizabeth II、正式には Elizabeth Alexandra Mary 1926年4月21日 - )は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の女王(在位、1952年2月6日 - )である。イギリス連邦元首。イギリス国教会の長。
現在のような、馬連 馬単 が発売されていたら、一体どの様な馬券になったか、想像に難くない。
ここで、実物の写真(日付入)をご紹介したいほどだが、私はこの年の 記念すべき 6月17日、バッキンガム宮殿前広場の喧騒の中にいた。
昼過ぎだったろうか、宮殿正面バルコニーの扉が開き、にこやかな唯お独りの民衆に手を上げるお姿が現れ、続いてロイヤルメンバーが勢揃いして、モールと呼ばれる宮殿前大通りに沿って空軍機が見事な稜線を描いて飛び、大衆の歓呼がクライマックスに達する。女王ご退出の後も、主としてアメリカ観光客であったと聞くが We want Queen! の声が止まず、いかに大統領の国が、元首 国王に憧れているか思い知ったものである。
1989年 6月17日 エリザベス女王陛下の公式誕生日
である。女王の正式の誕生日は4月21日。今年もまた、別の日が公式誕生日だそうだから、この公式誕生日という制度の仕組み、また由来。私は十分意理解しているわけではない。が、この2日くらい前、この宮殿近くのハイドパークの角をバスで通ったおり、この行事の予行演習として、煌びやかな軍服姿と飾り立てた美麗を尽くした馬車の群れに遭遇した私は、日本では見ることも叶わぬ、真の英王室の宮廷絵巻を一目見んものと、公式誕生日当日の6月17日に、観光客でごった返す日と群れに身を投じたものである。随分前のお話だが。
ま、よ~く目を凝らして頂きたい。1952年ご即位の女王は、この年、即位37年。この年の公式誕生日は 6月17日 である。一方、我が邦では、昭和天皇が崩御あそばされ、新たなモナーキが誕生した、節目であり記念すべき年である。ビクトリアカップと呼ばれていたレースが、エリザベス女王陛下の来日を記念して、エリザベス女王杯と名を換え、GⅠに生まれかわる。女王の来日が契機であった以上、日本の皇室の変転がこのレースに影を及ぼさぬ筈は無い。
日本の皇室の代替わりの年の エリザベス女王 即位37年目 のレースで、3-7 で穴を出 し、また女王の公式誕生日と同じゼッケン 6番 17番 で決着する
この唖然たる光景、如何に人気の全く無い 3枠が この平成元年の絶対ではあっても、実際にこの馬券を手にした私にも、仰天にも近いことの成り行きであった。圧倒的人気の 桜花賞馬 オークス2着 の武豊 シャダイカグラ 伊藤雄二厩舎、どこにも姿も無く、秋の3枠パレードを信じ、仕掛けを信じたファンにはなき陛下の余光とハーマジェスティ ザ・クイーン を偲ぶレースとなった。恐らく今に至るまで、あの年の女王の公式誕生日が馬券の目であること、訴えている競馬研究家、ディレッタントを私自身、自分以外おられぬと思う。多くの日本の競馬ファンも、レース後すら、その様な事実に関知しないであろう。英国在の私であったから、気づいたことと拝察する。
仕掛け、かくの如し・・・ 起源を明らかにし、このようにほかにありようが無い、というものはある。