覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

回顧 消費税

2005年11月01日 02時37分51秒 | Weblog
 回想序に、競馬は仕掛けである と私が確信し出した頃のお話をしよう。平成元年、ダービー馬は 1枠3番 ウイナーズサークル であった。この年から、消費税の導入が決まり、競馬はお金に大変関係が深く、またこれほどの国民的な出来事、競馬のテーマにならない筈はない。当初の税率は3%であった。にも増して競馬会を騒擾させたのは、言うまでもない。昭和天皇崩御 である。前年、千代の富士の連勝が'条件戦から勝ち上がった貧相な馬タマモクロス'の連勝と共に続いた。やがて年末に千代の富士は納めの場所も優勝を決めながら、連勝記録が途絶える。タマモクロスは引退レース有馬記念で、レース前ほぼ年度代表馬を手中にし オグリキャップに敗れる。
 この 途絶える ということが、何を暗示し指しているものかは、朧に私の背筋にも流れ込んできた。畏れ多くもご推察申し上げる。この戦後未曾有ともいえる国事 天皇崩御は年明け間もなくである という国家中枢としてゆるがせに出来ない情報はこの千代の富士 タマモクロスの連勝ストップの頃合、それとなく、この中枢から下賜あらせられたものと見える。角界も競馬界もそれをこのようにして国民に伝えたわけである。言うまでもなく、この両者の連勝は、陛下ガンバレ! であることは言うまでもなく、相撲ファン 競馬ファンとも固唾を呑んでこの記録を見守っていた筈である痩せた身を駆って疾駆するタマモクロスに闘病の陛下をファンが見ることを競馬会は要求した筈である。



 3番 ウイナーズサークル(円)



 消費税3%の導入は、見事に反映した。正直、私ここのレース当時、いやこのシーズンロンドンに滞在中で、ウエストエンドのどこかの日本書店で、朝日新聞などの遅れ気味に届く一般新聞で枠順を見守ったものである。馬券を買わないいや買えない環境での発見はまた格別である。弟子がいてくれれば馬券には手を出させず、そこで見てなさい と説諭したくなる所以である。
 この年の競馬は、徹頭徹尾3% に終始した。春シーズンをそれで過ごし、秋も同じことが・・・と疑っていると、寧ろ秋の方が直裁だった。文字通り結果だけをご覧頂こう。



 1989年  平成元年  秋  GⅠ



天皇賞・秋    3-8  スーパークリーク  オグリキャップ
菊花賞      2-3  バンブービギン   レインボーアンバー
エリザベス女王杯 3-7  サンドピアリス   ヤマフリアル
マイルCS    1-3  オグリキャップ   バンブーメモリー
ジャパンカップ  2-2  ホーリックス    オグリキャップ(3番)
有馬記念     3-8  イナリワン     スーパークリーク



 ちなみに、現在でいう2歳戦は 3枠は絡まず、ともに5-7である。今のように2歳統一GⅠでもなく、牡牝馬入り混じり、何故か関西と関東で同じ日に3歳(現在の2歳)GⅠを行うのである。GⅠといい、真のチャンピオン決定戦の飽くまで予告編の趣である。ちなみにこの年の勝ち馬はアイネスフウジンとコガネタイフウ。



 この秋の結果をつぶさに見続け、どれほどの競馬ファンが競馬は本当は競走ではなく演出だと気づきまた疑ったであろうか。寧ろ前半戦春シーズンで 3%がテーマであることに基づく演出 であることに気付かないと、この堂々たる臆面も無い3枠のオンパレードの単純さに逆に心至らないのだろうか。じゃ、3枠からと、ジャパンカップ前に思い至り、3枠が来ない、今度こそと有馬記念を待つとスーパークリークという、如何にも来そうな馬が入りがっかりする、などという心理効果を研究した上での向こうの所業なのである。ちなみに、唯一3枠を絡めないジャパンカップは、オグリが2枠の3番で発射した。その3枠を見て、私はこれは今回は3枠が不要、囮、ダミーだと宣言した根拠を記す。
 1つはマイルチャンピオンと同じく、続けて3枠5番に同じ馬 バンブーメモリーが入ったことだが、



  3枠4番 イブンベイ
  3枠5番 バンブーメモリー



 舞台はジャパンカップ。皆様はどう思われるだろうか。テーマは国際親善、友好、ひいては日本競馬の地位向上の筈である。この枠は ベイ(湾)のメモリー(思い出) になっている。これは直ちに、真珠湾の思い出、日本の先制攻撃 を連想させる。果たしてこの国際招待レースで、このような枠が発射するだろうか。総て秋シーズンGⅠを3枠尽くしでは終わらせぬ、向こうの仕掛けであり、この組み合わせでこの枠は3枠と言えども買ってはならないという、向こうの訴えなのである。3枠と思いきや3番だった、という肩透かしも狙いの内であろう。私はこのレース当日、友人の結婚式に招かれており、今や経済産業省の高級官僚となった友人と披露宴を中座抜け出し、オークラのバーか何かのテレビで観戦したものである。私はホーリックスの勝ちを読んでいた。が、私にとり、不覚であったことには、7枠12番 イナリワンにも手を出したことである。真珠湾といい、湾の思い出はこのレースでは禁物と前夜都内某所のある鮨屋の座敷で友人に力説しておきながら、私は2-7をも勝った。が、イナリワンにも湾があり真珠湾攻撃はアメリカ時間では12月7日、即ち7枠12番という、英語表記だと 7 12 の並びになること、ジャパンカップでは基本的に7枠12番を避けなければならないことをこのレースで学んだ。結局、ジャパンカップでの7枠12番の連対はヒシアマゾンにまで待たなければならなかった。
 ちなみに、3枠尽くしと読んで、有馬記念前まででまだ出ていない 3-4 3-5 3-6 の組に拘り、狙うことの無意味さも、向こうの術中である。寧ろ鮮やかに総並べを嫌うのである。最期は何事も偶然を装いたいのである。
 さらにちなみに、ジャパンカップは第1回8枠14番メアジードーツというアメリカの2線級牝馬が圧倒的レコードで勝ったが、(世界演出の中での日本競馬、このくらいが程々と判断されたのだろう) 8月14日は事実上日本が敗戦を決定した日であり、2着がフロストキング という、フロスト(凍結状態)であり、第2回勝ち馬がハーフアイスト(半解凍) であることも、示唆的で、レースの格 位置付けを暗示している。



 話を戻し、1989年 春シーズンGⅠ での 3% ぶりをお話しよう。但し、ファン限定で・・・

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向こう様の趣味

2005年11月01日 01時34分54秒 | Weblog
 私は先週の月曜、天皇賞で真っ先に ヘヴンリーロマンス という馬に注目していることを申し上げた。その根拠として、終戦60周年の週にメインで相次いで発射したことをご紹介した。前述の天声人語=ヘヴンリーヴォイスは18頭立て18着。この前の菊花賞の最下位はレットバトラーであった。私は、しばしばサインを見つけ、この馬が怪しいと睨んだ馬の最下位という着順に出会った。サインは実は、膨大に発せられており、不正解に導く示唆の方が多いと言ってよいだろう。問題は、示唆してあるだけでなく、それを否定するものもきちんと準備されているということだ。天皇賞前に、ゼンノとスズカの1、2着馬券が出た。これで、もし来るならロブロイの相手は1枠はスズカマンボではなく、ヘヴンリー自身だとの判断を持つことが出来た。そして、レットバトラーのように、示唆を打ってあるものが最下位に終わるという結末は、結局肯定的示唆を掴んではいたが否定的示唆を見逃していることになる。私は菊花賞当日、5枠のレッドバラードが早いレースで発射したことを指摘した。これで菊花賞5枠のレットバトラーは弱くなる、と判断できる。これと見込んだ馬の最下位着。これは、なかなかやるが君はまだまだだ という向こうのメッセージである。



 夢の蹄跡を刻む。



これはトウカイテイオーがメジロマックイーンに敗れ初敗戦を喫した天皇賞の競馬会の放ったコピーである。蹄とは、そのまま帝王の帝に繋がるのは事実だが、刻む とは、夢の無敗街道の終焉を込めていたわけだ。否定的言語に注目せよ。今回の天皇賞ポスターのコピー 違う という言葉、この否定的表現は1番人気危うし、少なくとも勝利を掴みきれないという暗示である。逆に、好敵手はいない、 との菊花賞のRDはこれまで好敵手であった間柄の馬の登場との反意と読まなければいけない。サインとは、示唆であり、はっきりと好敵手が来る、では示唆にならないからである。示唆とは、暗示的、要解釈的で、頭を働かす余地を受け手側に残しまた強く要求するものである。前にも牽いたが



 天知る、地知る、我知る。春の盾



 このコピーを、私は、「正義」が行われることを暗示するものであり(天知る地知る人が知る の故事のもじりで悪事はやがて露見するの意)、蛯名正義の単勝20倍 ステージチャンプが勝つ と読んだが、届かず2着であったこと、お話したと思う。春の天皇賞のこのコピーは、我知る 春の盾 既に知っている勝ったことがあるというダブルミーニングを孕み、前々年の勝ち馬 出走中唯一の過去優勝馬ライスシャワーをも併せ指し示していたことが判明する。ま、GⅠのように思い切り難しく創る大仕掛けはこのような味のあるものであり、一般レースは示唆直接容易なものは多い。「優駿」147ページからメジロのゾロ目に注目しようと待ち構え、馬連3万円馬券は獲れる。そして、この大き目の馬券が出たことで本番天皇賞の7-7のゾロ目は弱めになると判断し得る。この味の噛み締め、玩味こそが相手様とコミュニケーションを深くする道であり、醍醐味を味わえば、レースが競走でなく、仕掛けにより、しかし官僚的な言い方を採れば、主催者側により厳格に統制管理されていることが実感されてくるだろう。



 私は今、さんまちゃんに注目している。キムタクがJRAメインを降りてからほぼ10ヶ月以上経ち、ダイタクヤマトが急に発射し、穴馬券の活躍を果たしたこと、忘れられない。終わって舞台から退いたキャラクターをこのように使うのである。競馬は終わって残念がっても仕方が無い。終わってもその余韻、この幾度も幾度も繰り返し練習したミッキーの馬上の最敬礼や、皐月賞での豊の落馬しそうなそぶり、脚本演出は施しても、幕が上がれば役者が無事舞台をつつがなく勤め上げるかどうか、向こうも固唾を呑んで見守っている筈だ。鼻差で決着する、このようなジョッキーの瞬時の腕とパートナーシップに裏打ちされた興行を無事終え、その労苦や余韻に誰よりも浸っているのは向こう様である。その忘れ難い余韻を、どちらかと言うとどうでも好いレースで回顧し味わう。一種の老人的懐古趣味が向こうにはあり、一般ファンと違い、ほぼ常に事前の予想通りに! レースを見終える向こうの、的中したレースは何時見ても面白い という気分を引きずることにも繋がるのである。1番 で行くと決めてから、若手演出者に知らないよ~そんなの と渋がられながら、ニホンピロムーテーを選び出し132ページに乗っける演出者側の、頑迷なお年寄り演出者元締め。典型的な年功序列社会内でのメカニズム、匂ってくるではないか。
コメント (1)
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