ジャパンカップの初期の歴史を見られたい。東京の2400mの秋の大一番。くっきりと春の同じ大一番、同じ距離、同じコースの日本ダービーをなぞっていた。
81年1枠でカツトップエースがダービーを制すると、第1回ジャパンカップは1枠のフロストキングが2着。翌年、共に6枠のバンブーアトラス ハーフアイスト が勝つ。またバンブーアトラスのダービーゼッケン17番は15頭立て2番の2着 オールアロング をも示していた。83年 ダービー1-5 とJC 3-7 は繋がりが見えないが、ダービーを圧勝したミスターシービーと、日本馬で初めて連に絡んだジョッキーが吉永正人と柴田政人 古いが当時としては好く使われたネタだった。
翌年、あのルドルフが4枠10番でダービーを勝つと、ジャパンカップは6枠 同じ10番の馬の逃げ切り勝ち、カツラギエース。翌年はシリウス ルドルフの同じシンボリが両レースを制し、2着は共に12番のスダホークとロッキータイガー。
翌86年 6番ダイナガリバー 勝ちでJCは同じ6番のミホシンザンを人気に見せ3着。ガリバーが英国の古典ジョナサン・スィフトの「ガリバー旅行記」に由来するが、JCはこの競馬の母国英国のワンツー ジュピターアイランド アレミロード。パット・エデリーとグレヴィル・スターキーという、英GⅠの常連ジョッキーの直線マッチレースとなる。この年の5月8日、英王室のチャールズ皇太子とプリンセスダイアナが来日し、パレードでの沿道の人だかりぶりは、正直わずか1.4kmに終わった先だっての地味婚を凌ぐ夥しい女子学生の群れを青山通りに寄せ集めた。この年のJC週の、テレビCMでは国際色をあしらいながらJRAはバックにエルガー作曲「威風堂々」の有名なテーマを流し、英国の年であることを何ら憚らず、隠さなかった。
JCから少し寄り道するが、1986年を省みられるがよい。皐月賞ダイナコスモス 安田記念ギャロップダイナ オークスはラモーヌの2着にダイナアクトレスと同枠のユウミロク。ダービー馬はダイナガリバー。天皇賞はギャロップダイナと同じ7枠のウインザーノット2着。ウインザーは第2次大戦後、本来ハノーヴァー朝だったのが、敵国ドイツの通りの名前なのでやばいと別荘のある地名のウインザーから採った今日に至るまでの英王室の改称した王朝名 ウインザー朝そのものである。そしてJCこそギャロップダイナの枠は不発で英国2騎の叩き合いに終わったが、締めの有馬記念はあっと驚く ガリバー ギャロップのダイナの親子どんぶりであった。
実にダイアナフィーバーに沸いたこの年、関東GⅠをほぼダイナ一色で彩った演出。最大級のもてなしと外交戦略たることは言うまでも無い。ダイナ = ダイアナ。
これと並び、この86年の関西は牝馬3冠のメジロラモーヌ はじめ、春・天皇賞 宝塚記念ともにメジロトーマスを2着に突っ込ませ、菊花賞のメジロデュレン にマイルチャンピオンシップがメジロディッシュと同枠のタカラスチールの優勝。関東のダイナに対し、総て関西GⅠはメジロで決めた。英日両王室交流親善をテーマに掲げた圧倒的演出だったと言える。主役と目された前年の2冠馬 ミホシンザンにとうとう主役を担わせること無く終わる。ジュピターアイランド のジュピターとて、ホルストの組曲の中の「木星」のことであり、これが昨今平原綾香とかいう歌手のポピュラーソングで日本にもメロディーとして定着した、英国でも知らぬ者無い第2の国歌とも言われる名曲であり、21世紀の今では考えられぬ露骨な演出が繰り広げられたのである。
JCに戻ろう。87年 ダービーは メリーナイスで1-3。これを担い、フランスのルグロリューの勝ったJCでもダービー1枠1番の人気薄サニースワロー同様1枠1番のサウスジェットが11番人気から劇走し1-7で穴。翌88年はサクラチヨノオーのダービーゼッケン5番をJCではタマモクロスが背負い出走、万全2着。翌89年 ウイナーズサークルの3番はJCでは2着のオグリキャップが受け継ぎ2着。
以降、この傾向がいつまで続くわけでもなく、が、ダービーとジャパンカップの関係が途絶える訳ではない。あるレースをきっかけに、昨年に至るまで、この両レースは現在別の連なりを見せ、ある示唆で繋がれていると見ている。これ以上の詳しい話は、限定ページでする。
81年1枠でカツトップエースがダービーを制すると、第1回ジャパンカップは1枠のフロストキングが2着。翌年、共に6枠のバンブーアトラス ハーフアイスト が勝つ。またバンブーアトラスのダービーゼッケン17番は15頭立て2番の2着 オールアロング をも示していた。83年 ダービー1-5 とJC 3-7 は繋がりが見えないが、ダービーを圧勝したミスターシービーと、日本馬で初めて連に絡んだジョッキーが吉永正人と柴田政人 古いが当時としては好く使われたネタだった。
翌年、あのルドルフが4枠10番でダービーを勝つと、ジャパンカップは6枠 同じ10番の馬の逃げ切り勝ち、カツラギエース。翌年はシリウス ルドルフの同じシンボリが両レースを制し、2着は共に12番のスダホークとロッキータイガー。
翌86年 6番ダイナガリバー 勝ちでJCは同じ6番のミホシンザンを人気に見せ3着。ガリバーが英国の古典ジョナサン・スィフトの「ガリバー旅行記」に由来するが、JCはこの競馬の母国英国のワンツー ジュピターアイランド アレミロード。パット・エデリーとグレヴィル・スターキーという、英GⅠの常連ジョッキーの直線マッチレースとなる。この年の5月8日、英王室のチャールズ皇太子とプリンセスダイアナが来日し、パレードでの沿道の人だかりぶりは、正直わずか1.4kmに終わった先だっての地味婚を凌ぐ夥しい女子学生の群れを青山通りに寄せ集めた。この年のJC週の、テレビCMでは国際色をあしらいながらJRAはバックにエルガー作曲「威風堂々」の有名なテーマを流し、英国の年であることを何ら憚らず、隠さなかった。
JCから少し寄り道するが、1986年を省みられるがよい。皐月賞ダイナコスモス 安田記念ギャロップダイナ オークスはラモーヌの2着にダイナアクトレスと同枠のユウミロク。ダービー馬はダイナガリバー。天皇賞はギャロップダイナと同じ7枠のウインザーノット2着。ウインザーは第2次大戦後、本来ハノーヴァー朝だったのが、敵国ドイツの通りの名前なのでやばいと別荘のある地名のウインザーから採った今日に至るまでの英王室の改称した王朝名 ウインザー朝そのものである。そしてJCこそギャロップダイナの枠は不発で英国2騎の叩き合いに終わったが、締めの有馬記念はあっと驚く ガリバー ギャロップのダイナの親子どんぶりであった。
実にダイアナフィーバーに沸いたこの年、関東GⅠをほぼダイナ一色で彩った演出。最大級のもてなしと外交戦略たることは言うまでも無い。ダイナ = ダイアナ。
これと並び、この86年の関西は牝馬3冠のメジロラモーヌ はじめ、春・天皇賞 宝塚記念ともにメジロトーマスを2着に突っ込ませ、菊花賞のメジロデュレン にマイルチャンピオンシップがメジロディッシュと同枠のタカラスチールの優勝。関東のダイナに対し、総て関西GⅠはメジロで決めた。英日両王室交流親善をテーマに掲げた圧倒的演出だったと言える。主役と目された前年の2冠馬 ミホシンザンにとうとう主役を担わせること無く終わる。ジュピターアイランド のジュピターとて、ホルストの組曲の中の「木星」のことであり、これが昨今平原綾香とかいう歌手のポピュラーソングで日本にもメロディーとして定着した、英国でも知らぬ者無い第2の国歌とも言われる名曲であり、21世紀の今では考えられぬ露骨な演出が繰り広げられたのである。
JCに戻ろう。87年 ダービーは メリーナイスで1-3。これを担い、フランスのルグロリューの勝ったJCでもダービー1枠1番の人気薄サニースワロー同様1枠1番のサウスジェットが11番人気から劇走し1-7で穴。翌88年はサクラチヨノオーのダービーゼッケン5番をJCではタマモクロスが背負い出走、万全2着。翌89年 ウイナーズサークルの3番はJCでは2着のオグリキャップが受け継ぎ2着。
以降、この傾向がいつまで続くわけでもなく、が、ダービーとジャパンカップの関係が途絶える訳ではない。あるレースをきっかけに、昨年に至るまで、この両レースは現在別の連なりを見せ、ある示唆で繋がれていると見ている。これ以上の詳しい話は、限定ページでする。