タイトルには一応最近よく目にする言葉を使ってみた。でも、書くことはそれとあまり関係しないかもしれない。
僕の小さかったころは、まあ色んな遊びがあった。ピアノを職業にしようとは夢にも思わなかったが、今にして思うと、子供の遊びは動作の宝庫だ。ピアノの技術をより良くしようと努めていると、ふいに子供のときの遊びにおける動作と同じ要素を発見することがある。最近の子供は不器用だといわれれば、そんな気もする。
そこで大人は最近の子供は外で遊ばないのが問題だ、と昔の遊びをいろいろ紹介して、楽しさを体験させようと試行錯誤している。
めんこ、ビー玉、おはじき、ベーゴマ数え上げていくときりがない。地方地方で偏在する遊びもあった。
僕の育ったところは、近くにグラモフォンだったか、レコード製作工場?があって、ドーナツ盤製作の際に余る中心部が大量に廃棄されていた。敷地の中であるが、悪がき達がどうやってか嗅ぎつけて、金網の破れから入り込んで、それをごっそり持ち帰ってゲームを考案した。入り込み方を知っているところを見ると、僕も悪がきの一人だったのかもしれない。
当時の小学校の机は2人掛けだった。その端に真ん中に穴の開いた円盤を置いて、掌でポンと叩き、机の反対側にとばす。勢いがつき過ぎたら落ちてしまう。そうしたら負けで、できるだけ反対の端に近くに行ったものが勝ち、という単純そのもののゲームだった。
この遊びなどは、僕の育った地域限定の遊びだろうね。
さて、かつての子供である大人たちが、現在の子供たちにこういった遊びを教えて、どんな反応があるのだろうか。まったく見向きもしない、ということはあるまいが、それが再びかつてのように盛んになることもあるまい。
だって考えてごらんなさい、メンコなんて、ボール紙の一片を、地面に打ちつけて、相手のボール紙が裏返ったら勝ちだ。ビー玉だって、いくつか遊び方はあったが、基本的には相手の玉にぶつければ勝ちだ。こんな単純なものがそう面白いはずがないじゃないか。
では僕たちはどうしてあんなに夢中になっていたか。単純な理由による。賭けていたからだ。強い奴は、みかん箱にいくつもメンコを持っていた。ベーゴマを米袋に詰め込んでいる奴もいた。
僕は強くなかったから、メンコは特に弱かったから、ずいぶん巻き上げられていた。何が違うのか、当時は研究しようとも思わず、ただ悔しいばかりであったが、強い奴はいつも強かったところを見ると、コツがあったのだろう。
小遣いが多かったわけではないのに、毎日のように巻き上げられていたのには、実は深い深いわけがあったのだ。
強い奴は、ふんだくるだけふんだくると、相手がスッカラカンになり、ゲームを続けようにも相手がいない。そこで僕にも「あげるよ」と一束差し出すのだ。この瞬間は嬉しかったなあ。ものすごく得をした気分で。一束と言ってもメンコだよ、札束ではないぞ。
書きながらふと思ったのであるが、この快感が忘れられずに汚職に走った奴も多いのではなかろうか。いっぺん収賄側の少年期を調べてみたらよい。贈賄側も、子供ながらに、一束攻勢は丸め込むのに効果あり、と学んだのだったりしてね。どうだい、学説なんてこうやって簡単にでっち上げられるのかもしれない。
まじめに言っておけば、勝った奴は、自分ひとりで勝ち続けても世の中は回らないのだと知ったのだ。勝ち組だけが勝ちまくるのはどうもまずい、とね。負けた方は、引き際を知る大切さを学んだといえるかな。
いつから子供の遊びから賭け事の要素が消えたのだろう。僕はそれが残念でならない。負け続けの僕がいうのだ。今となっては、人為的に復活させるのは無理だろう。そうすると、年寄りが言うような、昔の遊びは元気があった、テレビゲームとは違って、という「昔は良かった」式に復活させるのはまあ、風物記念館以上の働きをするはずがない。
子供の社会は、大人が思うような無垢なものではない。同時にそんなに愚かなものでもない。子供のうちから賭け事なんかとんでもない、という健全な建て前が、「健全な」子供社会を奪い取ってしまった。
僕の小さかったころは、まあ色んな遊びがあった。ピアノを職業にしようとは夢にも思わなかったが、今にして思うと、子供の遊びは動作の宝庫だ。ピアノの技術をより良くしようと努めていると、ふいに子供のときの遊びにおける動作と同じ要素を発見することがある。最近の子供は不器用だといわれれば、そんな気もする。
そこで大人は最近の子供は外で遊ばないのが問題だ、と昔の遊びをいろいろ紹介して、楽しさを体験させようと試行錯誤している。
めんこ、ビー玉、おはじき、ベーゴマ数え上げていくときりがない。地方地方で偏在する遊びもあった。
僕の育ったところは、近くにグラモフォンだったか、レコード製作工場?があって、ドーナツ盤製作の際に余る中心部が大量に廃棄されていた。敷地の中であるが、悪がき達がどうやってか嗅ぎつけて、金網の破れから入り込んで、それをごっそり持ち帰ってゲームを考案した。入り込み方を知っているところを見ると、僕も悪がきの一人だったのかもしれない。
当時の小学校の机は2人掛けだった。その端に真ん中に穴の開いた円盤を置いて、掌でポンと叩き、机の反対側にとばす。勢いがつき過ぎたら落ちてしまう。そうしたら負けで、できるだけ反対の端に近くに行ったものが勝ち、という単純そのもののゲームだった。
この遊びなどは、僕の育った地域限定の遊びだろうね。
さて、かつての子供である大人たちが、現在の子供たちにこういった遊びを教えて、どんな反応があるのだろうか。まったく見向きもしない、ということはあるまいが、それが再びかつてのように盛んになることもあるまい。
だって考えてごらんなさい、メンコなんて、ボール紙の一片を、地面に打ちつけて、相手のボール紙が裏返ったら勝ちだ。ビー玉だって、いくつか遊び方はあったが、基本的には相手の玉にぶつければ勝ちだ。こんな単純なものがそう面白いはずがないじゃないか。
では僕たちはどうしてあんなに夢中になっていたか。単純な理由による。賭けていたからだ。強い奴は、みかん箱にいくつもメンコを持っていた。ベーゴマを米袋に詰め込んでいる奴もいた。
僕は強くなかったから、メンコは特に弱かったから、ずいぶん巻き上げられていた。何が違うのか、当時は研究しようとも思わず、ただ悔しいばかりであったが、強い奴はいつも強かったところを見ると、コツがあったのだろう。
小遣いが多かったわけではないのに、毎日のように巻き上げられていたのには、実は深い深いわけがあったのだ。
強い奴は、ふんだくるだけふんだくると、相手がスッカラカンになり、ゲームを続けようにも相手がいない。そこで僕にも「あげるよ」と一束差し出すのだ。この瞬間は嬉しかったなあ。ものすごく得をした気分で。一束と言ってもメンコだよ、札束ではないぞ。
書きながらふと思ったのであるが、この快感が忘れられずに汚職に走った奴も多いのではなかろうか。いっぺん収賄側の少年期を調べてみたらよい。贈賄側も、子供ながらに、一束攻勢は丸め込むのに効果あり、と学んだのだったりしてね。どうだい、学説なんてこうやって簡単にでっち上げられるのかもしれない。
まじめに言っておけば、勝った奴は、自分ひとりで勝ち続けても世の中は回らないのだと知ったのだ。勝ち組だけが勝ちまくるのはどうもまずい、とね。負けた方は、引き際を知る大切さを学んだといえるかな。
いつから子供の遊びから賭け事の要素が消えたのだろう。僕はそれが残念でならない。負け続けの僕がいうのだ。今となっては、人為的に復活させるのは無理だろう。そうすると、年寄りが言うような、昔の遊びは元気があった、テレビゲームとは違って、という「昔は良かった」式に復活させるのはまあ、風物記念館以上の働きをするはずがない。
子供の社会は、大人が思うような無垢なものではない。同時にそんなに愚かなものでもない。子供のうちから賭け事なんかとんでもない、という健全な建て前が、「健全な」子供社会を奪い取ってしまった。