季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

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2009年07月28日 | スポーツ
病院の待合室に自転車の雑誌があった。こういうところで見かけることはあまりない雑誌だから、ことによると医師は自転車好きなのかもしれない。へたに話を振るのはやめよう。理由ですか?お察しください。

自転車といっても勿論ママチャリファンのための雑誌ではない。ママチャリに関しての記事だって探せばあるのだが。いわゆる競技用バイク、マウンテンバイクやロードバイクに関する記事がほとんどである。

ぱらぱらページを繰っていたらプロ選手がテクニックについてアドヴァイスしている記事を見つけた。自分が呼び出されるまでの短い時間だったけれど、およそのことは記憶して帰った。

こうしてみるとまだボケてはいないのかもしれない。プロの立ち読みストの面目躍如である。(そうそう、思い出したが、ブックオフってありますね。あの店では立ち読み自由なのです。先日えらく疲れたときがあって、買うまでの本ではないにしろ中断するのも残念だ。そこでしゃがんで読んでいたら注意された。しゃがんだら立ち読みではないということでした。厳密な解釈に脱帽します。皆さん、ブックオフではきちんと立って立ち読みしてください)

多くのスポーツファン同様、僕はもう自分でスポーツはしないで、もっぱら観戦である。自転車なんかは自分で乗っても良さそうなのだが、歩道を走ると叱られ、車道を走ると心ない車に煽られ、危険なことこの上ない。規則上は自転車は車道を走らなければならない。ヨーロッパの都市部で立派な自転車レーンがあるでしょう、あれは羨ましいな。

自転車も、好きな人ともなると100キロなんてへっちゃららしい。近所の男性も、ちょいと同窓会で伊豆まで、とか自転車に跨っていく。

そのレベルまで来ると、ペダリングが大きな影響を持つのだという。

ここでこの文の題名を思い出して「ははん、共通するものはペダルだな」と思った人はなかなか良い記憶力と注意力を持っている。

だが、おあいにくさま。

そう連想した人はまだまだ並みの空想力しか持たないのかもしれない、と自省したほうがよい。

長い距離をこいでいくと、少しずつの力のロスが大きな差となってくるのだという。まあこれは言われなくとも分かる。

ペダリングの良し悪しは、尻が安定するかにも影響するというのだ。ここはピアノととくに共通しない。尻が安定しないとまずいという点では、しかし共通する。

面白かったのは、尻をどうやって安定させるのか、というアドヴァイスである。

お腹をぐっと引き締めて背中というか、肩甲骨あたりを丸く保って、そこの力で体全体を押し付ける感じで、というのだ。

この感じはピアノを弾いている状態とよく似ている。と言ったところで、解説するのは至難を極めるからそれはやめておくけれど。分かる人には分かるだろうか。レッスンの場で言うと、なるほどと頷くひとがいるところをみると、分かる人もいるのでしょう。

ピアノの世界で無反省に脱力が唱えられているのを見る。これほど害のある教えもなかろう。

上記のアドヴァイスはスキーの選手でも頷くのではなかろうか。スキーはまったくしたことがないに等しい僕が請合っておく。スキーヤーが猛スピードで滑降して瘤を越えるときジャンプしますね、あのときの身体の縮め方と共通するように思われる。

ピアノを弾くときの身体のあり方とも共通する。

土屋賢二さんという哲学の先生が面白エッセイ中でピアノ演奏について書いていたな。この人は、ジャズピアノをたしなむそうだ。

ピアノ奏法でもっとも大切なのは脱力だ。完璧な脱力ができなければ弾けないそうだ。でも完璧な脱力をしたら座っていられないと思うのだが等々、もっともなことが書いてある、ピアノを弾く人たちは笑ってばかりいないで、ちょいと観察したらよいと思う。