季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

引いた

2016年07月04日 | スポーツ
今まで何度もサッカーについて書いてきたが、今回のW杯予選は時々見るがあまり気が乗らない。こんなことは50年弱見続けたサッカーファンとしては考えられないことである。

前回のW杯への壮行会や、毎度繰り返される実に「独特な」応援スタイルを見るにつけ、いつしか気持をそがれるようになった。
それくらいのことで気持ちがそがれるのは本当のファンとは言えない、という人へ。断言しておくが、もしこれから先、予選落ちが続いた時に真っ先に離れていくのはユニフォームを着てのべつまくなしに歌い、両手を組み涙ぐむ人たちだろう。

国立競技場にほとんど人がおらず、野原で試合しているようだった頃からのファンとしては、このような壮行会を平気でしてしまうサッカー協会は冷酷だと感じてしまう。

心ある選手がいればいたたまれなかったろうし、平気で臨んだ選手ばかりならばここから強くなる道理はない。

スポーツでも我がピアノ界でも天才の安売り、夢とやらの叩き売りである。夢は持つべきというより、誰しも持っている。問題はそれはこのような馬鹿げた形で語られるものだろうか、ということだ。

天才とやらが小国の二部リーグのスタメンにすらなれず、失意の帰国をしてもなお天才と称される。本人のためになるはずがない。サッカー自体への関心を失ってはいないからヨーロッパカップなどを見て、その仮借のない厳しさを羨ましくため息をつく。


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