季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

FIFAのスキャンダル

2015年06月03日 | スポーツ
FIFAについては以前から黒い噂が付きまとっていた。つい先日とうとう副理事を含む数人の理事が逮捕された。そのさなかに会長選挙が行われ、現会長が再選された。

取り立てて意見もない。よくある話だ。誰の目にも怪しげな組織だったし。開催国決定も、いつの間にか共同開催になったり、真夏のカタールが選ばれたり。

捜査が入ったことに対しヨーロッパをはじめとする70余国がブラッター現会長の再選にNoを表明した。

アジア連盟でもオーストラリアが再選反対を表明した。

日本はどうかと言えば、アジア全体の意見に従う、捜査が入ったことは遺憾だとしただけで、選挙後も賛成したとも反対したとも明言を避けている。おそらく賛成票を投じたのだと思われる。

ヨーロッパの国にはワールドカップをボイコットするとまで批判を強める向きまであり、どうなるか予断を許さない。

こんな事態になった時、我が国で想定されるのは「選手には罪がない」という「良識」の声だ。ボイコットするとの声は、他国が実際にボイコットを敢行してようやく上がるだろう。

このように、断をくだすことができない国、それが残念ながら日本である。

たった今入ったニュースでは、ヨーロッパサッカー連盟はFIFAから脱退して、ワールドカップに替わる大会も視野に入れているらしい。

ヨーロッパサッカー連盟にもきっと思惑はあるだろうが、そこまで話を広げたが最後、改革なんぞできやしない。

では日本のマスコミはどうなのか?ブラッター会長の再選は日本にとって得か損かと、情けない論を見かけたが、日本サッカー協会の態度を難じた記事は多くないようだ。

ワールドカップがなくなったら選手が可哀想、だって選手はスキャンダルとは無縁なのだから。もしもこれが「良識」なのであれば良識なぞ捨ててしまえば良いと思う。どうも情緒から抜け出せないらしい。ふだん情緒と縁がない人が一番抜けきれない。

日本サッカー協会はプリンシパルだけは守らなければならなかった。

よくスポーツの必要性を説くのに、強い心とか団結する精神が養われると言われるけれど、ホントかね?


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