季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

予感

2009年07月05日 | 音楽
シューベルトはあまりにも若くして死んだ。僕たちは何とはなしに、この人も他の若くして死んだ人たちと同様病弱だったと思い込んでいる。思い込んでいるというより、イメージが定着してしまっているというべきか。

ショパン、メンデルスゾーン、シューマン。音楽家に限らない、パスカル、ラファエロ等々、早世した人々を見ていくと神経が細やかで、体も弱そうだ。

シューベルトはしかし、けっこう丈夫な人で、性格も明朗だったそうである。本当だろうか?少なくとも友人たちとカフェに集い、ラ・ボエームの世界を地で行ったような生活をしていたのは本当らしい。

彼が死んだ部屋はウィーンの中心からやや外れたところにある。一度訪れたことがある。一応博物館になっているが、なにしろウィーンには音楽家ゆかりの博物館がやたらに多く、シューベルトの死んだ家といってもすぐにピンと来る人はそんなに多くないのだと思う。

ガランとした2部屋(だったはず)は、天井も低く、トイレも共同で(これも記憶が定かではない。住んでいる人、訪れたことのある人、記憶力のある人が偶然この文を読んで、間違っていたら正してください)あれほどの天才がこんな質素な住居にいて、僕ら同様腹がへればグーと鳴り、眠たくなればうつらうつら居眠りをしたとはなかなか想像できなかった。

博物館とは名ばかりで、展示品は思い切り少ないが、例の丸眼鏡と髪の毛ひと房がおいてあり、ドキリとする。シューベルトその人であった髪の毛と、あの短い鼻に乗っていた眼鏡、それだけで充分だ。胸が痛くなったことを今でも思い出す。

ウィーンに行く人はぜひ訪れてみることをお勧めする。

決して病弱な体質ではなかったということは、己の死について予感することもなかったように思うけれど、それにしては彼の晩年の諸作品が語りかける異様な世界はなんだろう。

あれらは文字通り白鳥の歌ではないか。若いころの!作品からも、早死にする人特有の淡い、透明なリリシズムが感じられる。

彼らは皆、自分の運命を知っていたのではないかとさえ言いたくなる。

たとえばフェルメール。有名な「ミルクを注ぐ女」に見られる朝の光も、健康な希望に溢れたものではない。と言って不健康というのではさらさらない。

人がなぜかも分からずまた今日一日を過ごさなければならない。毎日がこうして過ぎていく。私は悲しまない。平穏な一日を願うのみ。

そんな声を僕は聞いてしまう。

彼らがどんなに鋭敏な薄い皮膚を持っていたか。

シューベルトのピアノトリオ変ロ長調の第2楽章を聴いてみたまえ。冒頭のピアノが奏でるスタッカートの和音、奏者にとって決して易しいものではないのだが、ここで死はほとんど軽やかに歩を進めている。

死はいつも私の隣にあって、親しい存在です、とモーツァルトは書いた。シューベルトは同じようなセリフを吐いたであろうか。

それは分からないが、彼が撒き散らしていった幾多の曲からは同じ言葉が聴こえてこないだろうか。自らの宿命を知る、こういう不思議が芸術では往々にして起こるのである。








青山二郎

2009年07月02日 | 骨董、器
昨年、いや一昨年になるのか、世田谷美術館で青山二郎展が開催された。会場は空いていて落ち着いて見ることができるのがありがたかった。青山二郎とは、と書いてみてはたと困る。展覧会というからには何かが展示されたのである。

展示されたものは、彼が収集した焼き物だ。しかし、その道の人だと紹介できない、不思議な人なのだ。絵も描いた。本の装丁もたくさん手掛けた。それらはどれも実に独特な、正確さと美しさを併せ持つものだ。それにも係らず、すべてが余技であった人。

知る人ぞ知る、天才、奇人である。知らない人のために少しだけ紹介しよう。実は展覧会を見た後すぐに書いておこうと思ったのだが、どうにも書きようがなくてずるずると引き延ばしてきたのだ。彼には「陶経」という本があるけれど、難解で、それをブログで書く気には到底なれず、とはいっても紹介したい、というのが本当のところなのだ。

青山二郎という人は、小林秀雄さんの周りの文士たちと深い交流のあった人である。深い交流というよりも、大きな影響を与えた人というべきだろうか。

僕は昔小林さんの全集で知り、ついで河上徹太郎さんの書くもので知り、宇野千代さんの「青山二郎」白洲正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」など、目に入るものを次々に読んできた。

ここに載せた写真は骨董屋における小林さんと青山さんの姿だ。若いころ見て、近づき難い迫力を感じた。最近は「トンボの本」で青山二郎特集があって、若いころの風貌に接することもできる。それをネットで探して載せようと思ったがなかなか見つからなかったので、気になる人は本屋で立ち読みして見てください。いや、できたら購入することを勧める。僕は人を顔で判断することが多い。ここで見られる若い青山二郎の顔には圧倒される。

河上さんが青山の風貌を、ヴァレリーのテスト氏を思わせる、つるんとした顔に眼光だけ鋭い、と書いていたように思うが、まさに言いえて妙だ。

若くして死んだ中原中也をはじめ大岡昇平などの文士だけにとどまらず、その辺のおかみさんやバーのマダム、ありとあらゆる人と隔てなく付き合ったのだそうである。そこいら辺の感じもよく窺える。

上述の白洲さんや宇野さんの本もじつに克明に青山二郎の人となりを伝えているのはさすがであるが、それでもかなり手を焼いている様子なのが見て取れる。二人とも、話題をあちらこちらに散らしながら、何とかこの人の魅力を伝えようと努力している。しいて言うならば、宇野さんは女の目で、白州さんはそれよりも直接人間としてぶち当たって見ようとしている。

小林さんとの出来事を綴った「高級な友情」という本もある。様々な人に大きなインパクトを与えていた人であることの証である。

僕が読んだ限りにおいては、洲之内徹さんが書いた短文がいちばんしっくり来るように感じた。

実際に青山さんについて書かれている箇所はじつにわずかなのだ。洲之内さんの文章は、相変わらずあっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、いつのまにか対象の内側に入り込む。とても真似できるものではない。

いろんな人との会話の中で偶然幾度も青山二郎の名前が出て、州之内さんは、名前だけはとうに知っていた青山という人について思いをめぐらせる。

最後に、この何ものでもないというのが青山二郎なのだ、と納得するともなく納得していく。そこの呼吸がじつにうまい。「きまぐれ美術館」というシリーズが洲之内さんにはある。そのどこかに入っている。

どの巻にある、と紹介するのが不親切なのは分かっているが、僕はこのブログを、ほんのちょっとした暇を見つけては、ほとんど即興的に書いている。本箱を探すだけの時間はないのだ。

興味を持った人は、青山二郎についてでなくても構わない、どの巻でもよいから読んでみることをお勧めする。青山さんも、現代では洲之内徹だけを批評家と見做すと言って、芸術新潮を読んでいたそうだ。

青山二郎を知ろうと思ったら、白洲さん、宇野さんをはじめかなりの量があるから、どれでもまず読んでみるとよい。