宿直係りに差し入れを買うついでにテイクアウトしました。それにしても、夜になり、また雪が激しく降ってきました。積もりそうな感じです。そうは簡単には問屋は卸さないという感じで冬将軍は粘ります。ごちそうさま!
宿直係りに差し入れを買うついでにテイクアウトしました。それにしても、夜になり、また雪が激しく降ってきました。積もりそうな感じです。そうは簡単には問屋は卸さないという感じで冬将軍は粘ります。ごちそうさま!
死、それは成長の最終段階(キューブラー・ロス女史)
死生一如…死を見詰めることは良く生きること。
「デス・エデュケーション(死の教育)」の必要性を説きました。
ご覧頂けましたら有難いことです。
「死を見詰める教育 今こそ必要では」
連日、殺人事件の報道があり、鬱々と過ごしています。殺害された川崎市の中学1年生上村遼太君のいたいけな顔をニュースで見るたび胸にナイフが突き刺さります。どうしてこんな事件が起こるのだろうといつも考えています。子供は大人を映し出す鏡だと言われます。社会のゆがみが子供たちに出ているのは間違いないことでしょう。大人として自己嫌悪にかられ、責任を感じています。世の中に光と闇があるのは真実ですが、現代はグレーで善悪が可視化できなくなっています。上村遼太君の死を無駄にしないためにも事件の全容解明を願います。
◇精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの著書「新・死ぬ瞬間」の中に「幼いうちから祖父母や親戚の死にかかわることを許された子供たちは、将来、彼らの両親やきょうだいの病床が末期になったときでも、これに対応する心の準備ができているだろう」ということが書かれています。ロス博士の主張は、昨今の子供たちを巻き込んだ事件を目や耳にするたび、切実にそう思います。子供たちに、いずれは必ず訪れる死というものに心の準備ができるよう、今こそ「デス・エデュケーション(死への準備教育)」が必要だと痛感しています。
◇医療・福祉関係者、宗教者、葬儀事業者を含め、日常的に死に直面する者として「死の教育は命の教育」だと、現場から訴え続けていかねばならないと思います。死をよく見詰めることは良く生きること…「死生一如」なのです。
(青森市・船橋素幸・NPO法人「いのちの教育ネットワーク」理事長)
※2015年3月12日 東奥日報社 明鏡掲載予定
人間の悲鳴のような声まじる凩窓を叩き吹き荒れる(波濤青森・澁田紀子氏)