motoの徒然なるままに…

日々是好日日記

「人間失格」

2020年12月26日 | 日々徒然

今日も奇跡的に、はじまります🤗

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。太宰治の名言✍️

激動過ぎる……。鎌倉での心中でふたりとも死んでしまっていたら、いろいろな作品が残されていないということも、なんとも数奇な運命だなと思う。

「人間失格」という作品は、このプロフィールがすべてである、といっても過言ではないほどだ。自伝的な作品であり、遺書のようなものだと言われるのも納得させられる内容だった。

自分自身はとても弱く、非力でなにも成すべきこともなく、ただ道化を演じているだけ。まわりに流されながらも、嘘で塗り固め、身動きが取れなくなってしまう。自分自身で「人間として失格」だと烙印を押さなくてはいけないほどの喪失感。

すっと心に入ってくる内容か、といわれると難しい部分もある。けれど、「わたしは、生きていていいのだろうか? 自分の生き方は、これで良いのだろうか?」と、読み終えたあともじっくり考えてしまうものだった。

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「人間は誰でも死ぬ」

2020年12月26日 | 日々徒然

人は誰でもやがて老いる。そして必ず死ぬ。

当たり前の事実で知ってはいることだけど、その「誰でも」に自分や大切な人が入ることは考えたくない。そんな感情に気付かされた。

人の生死を医療のコントロールのもとにおいていいのか。
すでに高齢でかつ医師でもある人から淡々と発せられた問いかけに改めて、考えさせられた。

どう老いるか、どう死にたいか。

自分の思うようにタイミングも方法も選べないけれど、どう受け止めるかは自分で決められる。

これまでの医学は若い人の医学だったという言葉が印象に残った。

この先まだ長い患者さんなら、患者さんの死=失敗という捉えかたでも大きな問題はない。でも、年をとれば誰だって病気や不調は抱えているものだし、80歳になれば半分は亡くなる。そんななかで、本人に苦しい思いをさせてまで、医療技術を駆使して命を引き延ばそうとすることが、果たして本人にとって幸せなことなのか。

その人らしく人生に幕を引けるように、病への対処のしかたも一人ひとり違ってもいいのではないか。

でも、認知症になっていたら本人がそんな判断を下せない。たとえ簡単なことでも医療行為ならば、目の前で苦しんでいる人がいても、介護士さんには手を出すことができない。胃から栄養をとるための処置をするかどうかも、人によって違うと、どこで線引きをするのかが難しくなる。

考えるべきことがたくさんあるのだということを知った。

さすがにまだ自分のこととしては考えられないけれども、自分の親にはもう、老いの問題が身近なものになり始めているような気がする。

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「日常生活」

2020年12月26日 | 日々徒然

何気ない生活は発見を連れてくることもある。

悲しみをいなして暮らしていたころ、「俺、これが好きなんだよね」と本を勧められた。正確に言うと、彼は自分が好きな本を挙げただけで、私も軽い気持ちで読んだ。そこには「生きろ」なんて書いていないし、前向きな言葉は何ひとつなかった。希望などない。でも、純粋にとても美しい文章だった。読書嫌いで「小説を読む意味がわからない」と豪語していた自分にとって新鮮な感情が湧いた。初めて文章の美しさを知ったのだ。

塵のように積もっていく時間は、いつか悲しみを和らげる。3日かもしれないし、20年かかるかもしれない。

でも、日常は誰にでも平等に訪れる。だからきっとあなたも大丈夫だ。

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「死んでも美しい」

2020年12月26日 | 日々徒然

「死んでも美しい。」

昨年の祖母の葬儀の時。

94才になる僕の祖父が車椅子から身を乗り出して、棺の中いっぱいの花に包まれた、その妻の顔を見つめるなりそう言って泣き崩れた。

世の中に二つと無い、本当に美しいものを見た思いに心満たされながら、

「保存」と書かれた古い封筒をそっと棺の中に入れた。

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「御節料理」

2020年12月26日 | 日々徒然

クリスマスが終わると、もうすぐ正月。「おせち料理」の用意をする頃となりました。もともと「おせち料理」は正月だけのものではなく、節供の料理全般を「御節供(おせちく)」「御節料理」と呼んでいました。やがて、節供の中でも一番重要な正月の「年神様にお供えする料理」を指して「おせち料理」と呼ぶようになりました。

年神様へのお供え料理ですから、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全、無病息災、長寿などの祈りを込めて、縁起の良い海の幸、山の幸を豊富に盛り込みます。そして、年神様に供えたものを食べることで、年神様の力を体内に取り入れようとしたのです。年神様はご先祖様でもあると考えられていたので、地元で採れた食材を使って、毎年同じ料理をお供えするようになったといわれています。

重箱に詰めるのは、めでたさが重なるように。また、三が日はかまどの神様にも休んでいただくため、おせち料理は作り置きできるものが中心で、それを重箱に詰めておくと保存がきいたということもあるようです。美しく詰められた重詰めを見ると一気に正月気分も盛り上がりますね。

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「麋角解 (さわしかのつのおつる)」

2020年12月26日 | 日々徒然

第六十五候「麋角解 (さわしかのつのおつる)」 12/26~12/30頃🦌

七十二候が冬至の次候に変わり、オス鹿の角が落ちる頃となりました。
 
メスの鹿は角が生えませんが、オスの鹿は一年に一度、角が根元から自然にポロっと取れて、春にはまた新しい角が生え始めます。
 
「麋」とは、「なれしか」というトナカイの一種の大鹿、またはヘラジカのことだとされています。

生え始めの角には、毛が生えていて柔らかく、中には血管も通っているのですが、秋頃になると角の内部がだんだんと骨のように硬く変化するそうです。
 
こうして、まるで木の枝みたいな立派な角に変わっていきます。

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「なかにしれい先生逝去」

2020年12月26日 | 日々徒然

「北酒場」を作曲した中村泰士さん(享年81)が20日に死去した3日後、同曲を作詞したなかにしさんも天に召されました。同じ青森の空気を吸って、曲づくりにも共感を覚えます。心より哀悼の意を表します。

15年3月、食道がん再発を発表。10月には「克服」と診断されたことを発表しました。その後、再発を振り返り、「自分は『がんと生きる』なんて気持ちにはさらさらなれない。がんがある限り闘わないといけない」と強調しておりました。壮絶な闘病中、大量吐血した際、「生でもない、死でもない、生と死をつなぐ途中の世界にいた」と表現しておられました。

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「24時間戦えますか?」

2020年12月26日 | 日々徒然

今日、どんな24時間をどう生きますか?平安閣ホワイトインパルス午前5時出動❣️

それがたとえ悲しいものでも、嬉しいものでも、忘れたいものでも、明日を迎えるとき、あなたの心が、今より少しでも晴れやかでありますように🙏ハレルヤ☀️

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「寂しさ」

2020年12月26日 | 日々徒然

幾山河

   越えさり行かば

     寂しさの

        はてなむ国ぞ

           今日も旅ゆく

                              若山牧水✍️

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「痛み悲しみ」

2020年12月26日 | 日々徒然

自分の痛み悲しみとは誰にも分からないもの。そう苦しみはどんな人にでも同じようにあること。だから人は傷つくことでちゃんと磨かれていく。そして人の苦労や寂しさを分かってあげられる人になる。生きていれば必ず全ての出来事に遭遇するものなんです。それが大人になるという事なのかも知れません👤

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