e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

ハチロク

2011年07月11日 | 道路・鉄道・船
先日,ここに三重県亀山市のお城の公園で見かけた蒸気機関車をアップした。
蒸気機関車なぁ~
たしか,大和五條市の史跡公園に置かれていたのも写真に撮ったはずやけど・・・
探しに探し・・・
やっと見つけた「ハチロク」・国鉄8620形蒸気機関車!

@ハチロク
日本で初めて本格的に作られた蒸気機関車。愛称で「ハチロク」と呼ばれ、全国で使用された。
78675番の本号は、1925年に川崎造船所で作られたものらしい。
かつて和歌山線で運行し、金剛山の麓を駆けた機関車は「金剛ハロー号」と名付けられ、五條市新町3丁目にある五條史跡公園に展示されている。

おじいさんの木

2011年07月08日 | 趣味の園芸
先日,大阪府太子町で聖徳太子を探していたら,「おじいさんの木」を見かけた。
「おばあさんの木」はないのかな?

@おじいさんの木について
設立以来、取り組んでいるのが《おじいさんの木をみつけよう》という事業です。
これは、国や地方公共団体からは天然記念物や保護樹木の指定を受けていない樹木を対象に、「地域で大切にされている大きな木」「珍しい木」「由緒、謂れのある木や愛称のある木」など、その地域の人々の心と共に生き、歴史を見守ってきた老木や巨木・名木を府民から募集し「おじいさんの木」として登録し、広く府民に貴重な緑の伝承と保護、愛護精神を啓発するための活動を行うものです。

虚無僧

2011年07月07日 | 薀蓄
虚無僧の寺、明暗寺虚無僧(こむそう)とは、禅宗の一派である普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗の存在である。
普化宗は中国(唐)の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧心地覚心が中国に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら4人の居士を伴い、1254年に帰国し紀伊由良の興国寺に普化庵を設けて住まわせたことに始まる。
虚無僧の様相について、はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、江戸時代になって徳川幕府によって規定されていた。
托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯をまえに結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。 首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。 足には五枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。
旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。なお、よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた箱は、江戸時代には存在しなかったようである。
私も深編笠を被ってみたいなぁ・・・

亀山宿の骨董カフェ

2011年07月06日 | グルメ
亀山宿を訪ねたとき,「野村一里塚」への途中で電柱にみかけた「骨董カフェ」の看板。
車を停めてお店を覗いた。
お店の名前は“アンティーク 森”。

明治の終わり頃に建てられた町家を改装した連子格子の家。
お店の前は旧東海道。
お店の入り口に書かれていたメニュー
◎日替ランチ(コーヒー付)…1,000円
◎コーヒー・ココア…………350円
◎名物くず湯…………………300円
◎栗ぜんざい…………………550円
◎伊勢うどん……………500円
◎鉄板やきそば…………500円
◎カレーライス…………500円
しばらく眺めていたんやけど・・・
結局,お店に入らずに「野村一里塚」へ向かった。
あとから思ったこと,
「伊勢うどん」食べとけばよかったなぁ~

C58

2011年07月05日 | 道路・鉄道・船
三重県亀山市の城址の公園で見かけたC58。
蒸気機関車を眺めながら考えた。
私,蒸気機関車に乗ったことあるかな?

@国鉄C58形蒸気機関車
日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が導入した蒸気機関車である。
ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形と9600形の共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両が製造された。愛称はシゴハチ。

亀山城

2011年07月04日 | 
亀山城は天正18年(1590)岡本良勝によて築城されて以来、歴代藩主により城郭も整えられた。当初は三層の天守閣があったが、寛永9年(1632)に幕命により解体され、正保年間(1644~47)天守台に多聞櫓が築かれた。

天守南西の高石垣は直高14.5mもあり、野面石(自然石)を牛蒡積みとした中くぼみの扇形勾配で、堅固・優美さを整えており、四百余年の風雪に今も耐えている。
白壁の櫓・門・土塀等を連ねる景観を蝶の群が舞う姿に例えられて「粉蝶城」とも呼ばれた。
亀山は東海道の要衝であるので、江戸時代前半には幾度も城主が交代したが、延享元年(1744)六万石で石川総慶が入封後は、明治まで11代120余年、石川家が続いた。
明治以後、城郭の大半が破却され、現在は天守台・多聞櫓・外堀・土塁の一部が残るのみであるが、多聞櫓は県下で唯一現存する城郭建造物として、昭和28年三重県史跡に指定された。     
亀山市教育委員会(現地案内板より)

半夏生餅

2011年07月03日 | グルメ
昨日、7月2日は「半夏生」。
写真は、おふさ観音前にある「さなぶりや」の小麦もち。
この小麦もちのことを「さなぶり餅」という。
一般には「半夏生餅(はんげ しょうもち)」とか、そのまま「小麦餅」という。

@半夏生
雑節の一つ。
半夏(烏柄杓[からすびしゃく])が生える頃。
元々は夏至から数えて11日目の日だったが、現在では、天球上の黄経100度の点を太陽が通過する瞬間(を含む日)という定義になっている。両者はほぼ同じ日であり、毎年7月2日頃となる。
この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防ぎ、この日に採った野菜は食べてはいけないとされた。
一般的には「梅雨明け」を示す指標の一つであり、地方によっては植えられた稲の苗がよく根付くようにとタコを食べる風習が存在する(タコの脚を根に見立てて、丈夫な根が付くように、という意味である)。

ジャガイモ

2011年07月02日 | 趣味の園芸
南米アンデス山脈の高地が原産といわれる。16世紀、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。
このとき運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒が当たった為「悪魔の植物」と呼ばれた。
日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。
当時は、観賞用として栽培されたという。


ショウリョウバッタの名前の由来

2011年07月01日 | 野鳥・昆虫・野生動物
田んぼを覗き込むと,田んぼにはまった1匹のバッタの幼虫を見つけた。
たぶん・・・ ショウリョウバッタ?
なんでショウリョウバッタ?
@ショウリョウバッタの名前の由来
俗説で、8月の旧盆(精霊祭)の時季になると姿を見せ、精霊流しの精霊船に似ることから、この名(精霊蝗虫)がついたと言われる。
また、オスメスの性差が非常に大きく、別の名前が付くくらい違って見えるので「天と地ほども違う」という意味の「霄壤」から、ショウジョウバッタ(霄壤バッタ)と呼ばれる。
オスは飛ぶときに「キチキチキチ……」と音を出すことから「キチキチバッタ」とも呼ばれる。
特にメスは捕らえやすく、後脚を揃えて持った際に身体を縦に振る動作をすることから「コメツキバッタ」(米搗バッタ)とか「ハタオリバッタ」(機織バッタ)という別名もある。