しもちゃんのブログ(おやじブログ)

仕事に家族、趣味や料理など様々なテーマを
軽くさらりと時には愚痴るおじさんのブログです。

自分の足跡を訪ねて 山形県鶴岡市編

2013-09-21 00:10:19 | 故郷

今年の5月、青森に帰郷する際東北道で真っ直ぐ行かず途中から過去に住んでいた

山形県と秋田県を抜けて行きました。

転勤族の息子である私は青森生まれ。

その後、岩手県盛岡市⇒山形県鶴岡市⇒秋田県本荘市(現由利本荘市)⇒青森県

青森市と移動しました。

以前青森市の様子はお伝えしましたが今回は、山形県鶴岡市です。

 

ここは、幼稚園の年長組から小学校3年生まで暮らしていました。

 

家は公務員官舎で三軒一棟の長屋形式で、トイレ・風呂共共同。

真ん中は誰も住んではいなかったので2世帯。

お風呂はかわりばんこに1番風呂をいただくマナー。

終われば、○○さん お風呂ど~そ~! と声をかける。

最後に入るときは出汁のでた風呂に入ることになる。

今じゃ想像できないでしょうね。

 

鶴岡駅前のロータリーから駅を見ます。

当然、当時の建物ではなく駅前もこんなに広くなかった?

45~6年前の記憶を元にしていますから、うろ覚えです。

 

現在の鶴岡駅。居酒屋が同居。

帰りもも遅くなっちゃうかな・・・

駅の脇には記憶にかすかに残る建物が・・・

 

運送会社の倉庫として現役の建物。

これは当時からあったかどうか記憶はさだかですが、かなり古い建物。

なんとなく記憶はある。

当然、昭和の香りはしますね。日曜の朝はこのへんで遊んでました。

また、駅に入ってくる列車を眺めたり。

 

さて、住んでいた所を尋ねると

 

朝の7時過ぎに行ったところ

道路は渋滞進まない。

舗装はされておらず、砂利道。

住んでいた家の前にあったのは?

 

山形大学農学部

当時は学舎はもっと手前にあり、左手にテニスコートがあった。

奥には牛舎などの畜産関係の建物。

多分左奥だと思うのですが、農産関係の研究施設があった。右奥かも・・・

このキャンパス内は私の遊び場所。

小2の頃にはテニス部の学生さんとテニスをしたり、研究施設の周りは

友達とかくれんぼにはもってこい。

 

たまには学生さんの下宿先に遊びにいったりと、小学校の友達よりは

大学の学生さんと遊ぶ日が多かった。

また、学祭にも招待されたり

当時はモンキーダンスが流行っていた頃。当然、私も教育的指導よろし

く両手をくるくるしながら、頭と腰をかっくんかっくん

よかったなぁ。

 周辺に遺跡のように当時の物が点在していましたが、道路は狭く車も止められず。

結局、当時住んでいた場所は全く変わり果て特定出来ませんでした。

かんじんの小学校は、大学のお隣。

現在の姿ですが、当時は当然木造2階建て。

右方向が山形大学。

ここも道路は砂利道です。当時はね。

 

ここが入学から3年生まで過ごした小学校。「ちょうよう第三小学校」

です。なぜかこの校舎の記憶はありません。

朝はスクールゾーンで車両進入禁止。正門には行けなかった。

 

ちなみに幼稚園は「若葉幼稚園」 今回は行きません・・・

いや、忘れてました

 

40年以上前の建物が現在もそのまま残っていたら、奇跡かゴーストタウ

ンだ。

 

街中をしばし車で回ってみたけど、思い出すものは何もなし。

4年しかすんでいなかったから当然でしょうか?

 

さて、もう一つ当時の様子を残しているものがありました。

夏の海水浴、鶴岡市民は電車に乗り湯野浜海岸へと向かいます。

鶴岡駅から、庄内交通湯野浜線 と言う私鉄がありました。

こんな車両です。

これらに乗って、ガタンゴトンとのんびり電車は走り終点湯野浜温泉に到着。

かなり昔に廃線になりましたが、一部は旧善法寺駅に保存されていました。

庄内交通の記念館として、旧駅舎を利用していましたが訪問者数の減少

とともに閉館。

現在はそのまま放置されています。資料などは付近のホテルに譲渡された

ようですが、現在は貴重な資料は行方不明。

残念なことです。

善法寺とは?

駅の由来になったのはお寺です。駅前にあり現在でもお参りする方は多い

そうです。残念ですね。

終点の湯野浜温泉。かつては手頃な温泉街として鶴岡市民や周辺から訪れ

賑わっていた街も、ひっそりと生き延びているようでした。

中央のプールのような物は足湯ですが、今はお湯も出ず。

時代の流れから取り残された温泉街。もちろん、営業している旅館やホテルも

ありますよ。写真右手は日本海。珍しく砂浜が続いています。

だから海水浴。

 

懐かしいですね。

 

 1965~6年ころのおはなしでした。

次回は秋田県編です。


祝!せんべい汁グランプリ!

2012-10-23 20:04:50 | 故郷

先日、北九州市で行われた「B-1グランプリ」
B級グルメを競う祭典として、ほぼ定着してきましたが今年は60万人も越える人手で

賑わったそうで・・・
すごいですね。

で?
今年の数多い出店から、見事グランプリに輝いたのが!!

なんと、我が故郷青森県は「せんべい汁」!!
おめでとう!

いや~嬉しいですね。
パッとしたことない青森県ですが、食べ物でグランプリなんて素晴らしいじゃないですか。
ほかにも「十和田バラ焼き」も出店していましたが結果は?
不明です・・・

でもでも、またさらなる挑戦に期待しましょう。

さて、「せんべい汁」は青森県八戸地方の郷土料理でございます。
B-1に出るために開発されたわけではなく、古くから親しまれていた庶民の料理です。
食材が満足に買えなかった人々が、余ったせんべいを鍋に入れたら以外にも美味しか

ったので、それが定着したとか そんな説もあります。

今回は 「祝! せんべい汁グランプリ獲得」を記念して市販さ
れている「せんべい汁」をご紹介しましょう。

まずは、八戸東洋水産の品。
聞き覚えのある名前に気づいたあなたは偉い!
そう、あのマルちゃんの東洋水産ですがブランドとしてはこれら
は表示していません。

全体はカップ麺のどんぶりサイズ。
どん兵衛より大きめの器。

中身はこんな感じで、せんべい・具・スープが入っています。
せんべいは3~4枚に手で割って入れます。
スープは液体、具はレトルトですよ。あと、乾燥野菜も。

出来上がりはこんな感じ。
モチモチ・ふにゃふにゃのせんべいがスープを吸っていい感じ。

しょうゆ・味噌・塩の3種の味が楽しめます。

しお味は鯖やひらたけ等が入っています。

しょうゆ味は鶏肉・ごぼう・人参入り。

味噌味は豚肉やひらたけ等が入っています。

 


続いて、宮坂醸造の品。これじゃわからないですよね。
「信州一味噌」と書いたら、これは結構わかりますよね。

カップ入の味噌汁サイズです。

中身は同様に、せんべい・具・スープですがお弁当にぴったり。
でも、せんべいは四角です。二戸(にのへ)のせんべいを使って
いるそうです。

最後は、渋川製菓です。
本格的に作りたい方用の袋入り。

こちらはお鍋に野菜などを入れて煮込む、本格的なもの。
これからの季節にはありがたいひと品。

青森県の地鶏「シャモロック」のスープが自慢。
あ、これはまだ食べてませんよ。

ここで、ご注意を!
一般に売られている「南部せんべい」とは違い、鍋用のせんべい
を使っていますので、南部せんべいを鍋に入れないようにしてく
ださいね。
どうなるか知りませんよ。どろんどろんのごま鍋になるかも?

また、これらは青森で買った物で宮城県以南では販売されている
場所は少ないと思ってください。
ちなみに物産展等が開催されれば、手に入ると思います。
先週、千葉駅で開かれた青森物産展では東洋水産は1個¥500
でした!
地元はもっと安かったのになぁ。
浅虫温泉の道の駅で全て買ったものです。

今回、せんべい汁はグランプリになりましたが気候も影響したの
かな。
真夏なら、きっと優勝はしなかったかも?

いやいや、ともかくおめでとう!
ビバ!青森!

 

最後に、十数年ぶりに鉄道模型を買ってみた。

あんまり熱を入れるとキリがないので、そこそこにしますが。

実は100円玉に乗っています。銚子電鉄の機関車。

2000年以前には考えられなかった車両。これでモーターが入っていて走ります。

携帯電話のバイブ機能に使われる、超小型モーターの出現で出来た代物。

携帯の技術はこんなところにも革命をもたらしています。

 

千葉市は暴風雨に時々見舞われて、我が家は引きこもり状態。

今も、しとしと降っています。

 

では、これにて今夜はおしまいです。

ぽちクリ、お願いしますね。


頑張れ!!

2012-08-20 21:58:16 | 故郷

夏の甲子園、今日は光星学院準決勝進出

のニュースを見て一人ガッツポーズでした。

大会新記録の奪三振記録も出ましたが、いや~よくやった光星学院

あの三振からの先制点を奪っての勝利。

中継見たかったなぁ。

実は、光星学院と私の出身校は姉妹校なんです。

青森県は八戸市にある「光星学院高等学校」と、私が卒業した「光星学院

野辺地工業高等学校(現・光星学院野辺地西高等学校)」がそうです。

いや~、嬉しくってが進んじゃいます

 

今日は「鯵の塩焼き」と「茄子バタ(居酒屋用語?)」です。

前回取り上げた「グリルパン」のおかげで、ためらうことなく焼き魚が食べら

れる幸せ。

茄子バタは茄子バターとか居酒屋で言いますが、単純にバターで焼いた?

炒めた?

フライパンにスライスしたナスを入れ、油とバターを入れて焼くだけです。

私はおろし生姜を添えてお醤油をかけていただきます。

時間があれば、焼き茄子にしたかったんですけど、今日は残業で遅い帰宅。

 

明日はお休み お天気は・・・

千葉市は

日陰があって、エルが歩ける所ないかな


自分の足跡を訪ねて 青森市・前編

2012-08-07 17:27:05 | 故郷

バグです。すみません・・・

 

寒いですね。

千葉市上空には、黒い塊がもわもわとやってきています。

雷雨が来るか? ゲリラはやだな。

今日はお休みで、今は家にいます。

 

先月青森に帰った時、青森市内を訪れました。

今回は私が中学・高校時代に住んでいた街を実に30数年ぶりに訪問。

その様子をお伝えしましょう

私が住んでいたのは昭和48年の途中から。

転勤族の父が秋田県から青森県へ移動の辞令を受けて生まれ故郷に帰ってきた。

中学1年の夏でした。

青森市浦町字奥野。

 

 右側に並ぶ一軒家。この一軒家が並ぶところに旧奥野住宅(公務員官舎)があり、その一番手前が

私の家だった。

左の集合住宅は私が在住していた時に完成した新官舎。

ボロボロのメゾネットタイプの家と違い、近代的なマンション風官舎に憧れたものでした。

実は、道路を挟み向かいには中学の同窓生の家がありました。

お店を営んでいて、パンはよく買いに行ったもの。

お店は「天内商店」と言いましたが、現在はお店をたたんだのか学習塾になっていました。

左の家も無かったぞ。

 

近所には「藤聖母園」と言う、いわゆる孤児院があり幼稚園も併設されていましたが健在でした。

 

車で移動しながらの撮影ですみません。

この聖母園前にバス停がありそこを利用していました。

この付近は当時の物も数多く残ってはいましたが、やはりあちこち見覚えのない建物が。

奥に進むと学び舎の中学校があります。

 

途中にある市場「南部魚菜市場」

建物の中にお店が数件有り、魚が安く売られていたが定休日なのか閉鎖されたのかシャッターは閉まっていた。

 

途中途中で、「この店あったな、知らないぞこれ!」などエルに話しかけながら車を進める。

中学校は表通りではなく、1本入った所にあるため道路も狭く車を長時間は止められない。

なので、さっと撮っては移動する。

学び舎の「筒井中学校」。

私が在学中にあった建物は正面の物だけ。

当時は木造平屋建て、一部プレハブの青森市立中学校で唯一の平屋建てだった。

敷地は旧帝国陸軍の病院跡地(そう聞いたし、その当時の建物もあった)を使い「ヨ」の字型に校舎はあった。

元病院跡で、しかも木造。トイレは今では考えられない男女共同汲み取り式。

夏の部活が終わったあとの暗い校舎は、とんでもなく不気味でした。

女生徒は怖いために、友人とふたりで狭い個室に入って用を足したりしてました。

その前では私は、おしっこをしている・・・ はぁ。

現在は鉄筋コンクリート2階建の校舎ですがそれでも、築30年以上は経っています。

 

現在の校舎。体育館は当時の物? あんまり記憶が無い・・・

右手の奥に新校舎を建設中?

在学中は1~3年まで各学年は1~8クラスまで有り全校生徒は約1200人ほどいました。

クラスメイトはどうしているんでしょうね。

全然連絡取れません。

 

学校の近くには銭湯があり、地元では有名な?お風呂。

十勝沖地震で傾いた煙突でその後も営業していましたが・・・

「徳ノ湯温泉」と名前も建物も新しくなっていました。

本当の温泉?

ここで、青森駅方面に移動します。

写真を撮る都合上、引き返したりしていますのでご了承を。なにせ道路が狭く交通量も多い。

 

この地域のお買い物拠点「武田ストア」よく買い物にきたものです。

お店は確か、1階部分だけであとは住宅だったような・・・

 

再び方向は逆ですが、右に曲がると「市民文化センター」や「棟方志功館」があります。

文化センターは天文の展示が多く、プラネタリウムもあってよく行きました。

私が高校時代にバイトしていた現像所。

フジカラーの名前も過去のものになりつつありますね。

「サクラカラー」覚えてますか?

 

青森市内は私鉄の類はないため、主流はバス。

青森市営、弘南バス、十和田観光電鉄、JRバスが主流。

しかし、圧倒的シェアの「青森市営バス」は

パッと見、普通ですが近づくと?

 

比較的新しいバスでもご覧の通り。

冬季に道路脇に積み上げられた雪と車体をこすって走り、塗装は剥げサビが進行したと勝手に解釈。

1~2台じゃないんです。雪国のバスは耐えているんだぞ

 

青森市民はみんな知ってる「工藤(くどう)パン」

ここは焼きたてパンや食事も出来るところ。上はビジネスホテルです。  が?

「デイリーヤマザキ」の文字が

関東で言ったら、第一製パンやパスコの建物にヤマザキが入っているようなもの

かつて、20数年前に東北進出を目指したヤマザキパンはある理由のため撤退を余儀なくされた。

それは

 

雪道を知り尽くしている地元のパン屋、それに対して販売ルートの雪情報が掴みきれなかったヤマザキ。

配送に手間取り撤退したと、ヤマザキの関係者から聞きました。

時代の流れなのか?

 

最後は青森の夏の風物詩。

 

これを食べなきゃ、青森の夏じゃない

アイス売の自転車。

チリンチリンと鐘を鳴らし、あ!人によってリズムが違います。

最盛期は各自がアイスを作っていたそうですが、現在はメーカーから購入しているそうです。

 

このアイスは、アイスクリームではなく法律上は「氷菓」の部類かも。

あっさりした味で、バニラアイスを想像してはいけません。

表現が難しいんだけど、小さな小さな氷の粒の塊 で、味はこれも難しいんだけど んんんん 

市販されている(スーパー・コンビニ等全てを含む)物とは別物です。

 

食べてみて! そうしか言えません。

基本は白ですが、赤や緑があって最後に少しだけ盛り付けてくれます。

そうそう、カップじゃないですよ。

ソフトクリームのコーンにヘラで盛り付けてくれるんです。

サーティンワンなんかがやって来る遥か前に、青森ではコーンにヘラで盛り付けるスタイルは

確立していたのだ

今日はここまで。

高校は時間の都合で行けなかった。。。

来年、また書きましょう。

 

じゃあ、いつものポチクリお願いしますね。

 

余談

今日、エルとドライブ行きました。海が見たくなり九十九里浜に行ったんです。

でも、地面があちい!裸足のエルは歩けません

あさはかでした。木陰が少しはあるかと思いきや、全く無い

海岸と言えば松並木が常識でしょ。

山形・秋田・青森と普通なのに・・・

 

 追伸 最初の画像がバグっています。

原因不明で、編集しても消えません。お許しください。

只今、調査中です。 19:52。


エルのブログ更新しました。

2012-07-23 23:53:11 | 故郷

私の愛娘、ゴールデン・レトリバー「エル」のブログを更新しました。

妻の49日で青森に帰った時の様子です。

よかったら、ご覧くださいね。

エルのお気楽日記

エルのお気楽日記
http://pub.ne.jp/ec4851501/

こちらでは、私の住んでいた青森市を足跡として紹介予定です。

今しばらく、お待ちくださいね。

 

別館、アメブロでは「今日のばんご飯」と題して今夜のご飯を笑介(紹介)

しました。

んんん、恥ずかしい結果ですが…

しもちゃん♪のブログ別館
http://ameblo.jp/ec4851501/

 

どちらも、気になりましたらご笑見くださいな。

 

では。