千葉に帰って来たのはいいけれど、自分の薬をそっくり忘れて来た
おバカさん。
おかげで、精神的に落ち着かなくなり私と共に、再び埼玉の義姉の家に戻って来たとさ。
はあ~ 何でこうなるのかなあ。
右のひざが痛くて、仕事も大変なのに薬を取りにわざわざ来るなんて。
今日は久しぶりに、我が家の用事を我が家の近辺で過ごした。
買い物や、耳の病気になった愛娘の「エル」を病院に連れて行ったりと。
なんだかんだと用事を済ませ、3時過ぎた時
あ!今日は診察の日だった!
13:30からだった。国立の病院に通っている私と妻
あわてて病院にいったけど、治療を受けている科にはだれもいない…
別の科の看護師さんに呼んでもらう。
看護師さんが病棟から来てくれた。事情を話して… 予約の時間に来られない場合は連絡してくださいね。
と、やさしく言ってくれたのはいいけど、怖い顔をして先生がやってきた。
開口一番「こうゆうことは、常識を外れてますよね! 社会人としてこんなこと許されないですよ!」
と、言われてしまった。
「私より年上ですけど、言わせてもらえばこんなこと初めてですよ!常軌を逸しています!!二度とこんなこと
しないでください。」
とも言われた。
「忘れたからと、救急外来に来ても対応しませんからね」
とも言われた。
先生が来た時に、まず私は「すみません、時間に遅れてしまいましたが急用で来られませんでした」
と、まず謝ったんです。
あれこれ言われ、「本当に申し訳ありませんでした」と、頭も下げた。
「今後は二度とこのようなことはしません」と謝った。
でもね、精神的な病気で通っているんですけど(現在は眠るための薬だけもらっている)、そんな人に言う言葉かな?
会社でミスを犯したら指摘され、怒られるのは当たり前だから私もそれは平気。だって、間違ったなら当然だもん。
だけど、どうなの?そんな人に、どなりはしないけど怒るのって精神障害の人にとっては、それが原因で落ち込み、
自ら命を落とす方もいるのに、それを治す医者が言っていいの?
実際、私だってちょっと落ち込みましたよ。
これが役所仕事なんでしょうね。遅れた私が悪いのはわかってるんですけど。
今は、大丈夫ですよ。うつは治ってますから。
ただ、医者の言うことじゃないと思ったんです。禁酒、禁煙とかじゃないし。
こんなことしたら、命が無いよ! ってわけでもないし。
遅刻は悪いと思うけど…
どうなんでしょうね
5月の10日、義姉の姉妹たちがお顔を見るためお寺に向かった時。
葬儀屋さんから、「警察が遺体を調べたいそうです」と言ってきた。
なんで?
実は亡くなる2週間ほど前に、二男から暴力を受け脇腹に大きなあざがあったんです。
それを搬送先の病院から不審に思い、警察に連絡したようなんです。
二男は保護観察中の身 なおさら警察は黙っていません。私と妻以外は一旦、義姉の家に戻り私達は警察からここにいるように
指示を受ける。
数十分の検死が終わって、刑事さんから葬儀屋さんに遺体を解剖するので警察で預かると話があり、11日の火葬ができなくなっ
てしまった。結果は変死体として扱われたようです。
受け入れ先が見つかるまでは、警察で安置する… そんな 警察内部とのやり取りの後、受け入れ先が決まり東京の大学病院に
運ばれることになった。時刻は14時頃だから、当日運んでもその場ではしないらしい。
聞くと、早くて一晩は帰ってこないらしいし、そのため火葬の予約が取れないし 大番狂わせになってしまった。
いざ、警察に運ぶ際私たちも同行するようにとまた指示が出る。いろいろ聞きたいことがあるそうで。
いわゆる事情聴取。
警察ではいろんなことを聞かれました。二男がいつ頃、どんなきっかけで暴力をふるうようになったか? とか、その時の義姉の様子
はどうだったか?とか、延々4時間あまりの事情聴取でこっちはクタクタになるし、お腹も減ってくるし。
冷房の入っていない取調室で、暑いし… さすがに冷たいペットボトルのお茶を差し入れてくれましたけどね。
段取りの悪い若い刑事さんで、最初は会議室だったのが予約が入ってるからと他の部署の方から追い出され、交通事故の取調室に
移動し、時々どこかへ消えては帰って来て、あれこれ聞いてパソコンで調書を作成し、いざ印刷! って時に、印刷の設定が出来てい
なくて、エラーになるし、印刷したらミスってしまうし、用紙がなくなって取りに行ったりと
それで、印刷したのはたったの4枚。 どうなのさ
やっと解放されて、義姉の自宅に戻ったら姉妹達は買い物に出かけていた。
当の二男は相当不安になっていて、落ち着きもなく無口になっていた。自分の暴力が死因だったら、大変なことになってしまう。
義姉が亡くなった時、妻に「僕のせいだ!僕が悪いんだ!」と泣きながら言っていたそうです。
我々もどう言葉をかけていいのか分からないし。
そうこうしているうちに、警察から連絡があって亡くなった時に着ていた服が必要だから取りに行きます と、なったから二男はよけいに
混乱する。間もなく刑事さんが到着し、すでに片付け始めている義姉の持ち物から服を取り出したが、どうしても上着が見つからない。
証拠品リストにはエプロンとあるがそれがない。もともと義姉はエプロンはしないひと。立ち会っていた妻が服の写真を見せてくれたら
分かるから! と言えば、先ほどの刑事さんはもう検察に送っちゃった… なんて始末で、二男の不安をあおるばかり。
どうにか見つけ出し、提供しましたが二男は心臓が止まりそうだったでしょう。
姉妹達は火葬の当日、お骨を持って青森に帰る予定だったので、11日には帰ってしまう。
翌日、私が役所関係に書類を提出したり、届け出をしたりしているうちに警察から連絡があって、最初の診断書通り病死であったことが
判明し、二男はおとがめはなくなった。さぞ安心したんだろう 会話もするようになり、ご飯も食べるようになった。
やれやれ。しかし、義姉の火葬は12日はすでに予約で埋まり、13日は友引で火葬場はお休み、で、14日となったのです。
今日自宅に戻り、もう疲れました。おとといの夜から埼玉行って、子供たちのことでかけずり回って行ったから。
熊谷の施設に長男の面接ために送り迎えをしたし。
では、長文になりましたが、おやすみなさいませ。
昨日は、自分に負けないようにあんなこと書いていますが、本当は自分を責めて落ち込んでいます。
義姉が私に電話をかけてきた時に、何で異変に気がつかなかったんだろう
なんで、もっと早く手を打たなかったんだろう
義姉の死因は「虚血性心疾患」と死亡診断書に記載されていました。
なんだろう? と、調べたら「心筋梗塞」と「狭心症」を合わせて言うのだそうです。
義姉、妻のお父さんは「心筋梗塞」で亡くなった。
胸が痛かっただろう… 苦しかっただろう…
それで、私に電話をかけてきたかもしれない 助けを求めていたのかもしれない…
それに気がついたら、救急要請を出来たのに・・・ 助かったのに・・・
義姉のことを思うと、私も胸が苦しくなってきます。
本当の弟と思ってくれた義姉、好きだと言われた義姉…
亡くなる3日前には我が家に来て、普通に過ごしたのに。
お風呂に入った時、「背中流してちょうだい」と、言われ妻に背中流してほしいって言ってるよ。
妻は、背中流してあげて 義姉と言えども他人だけど、私は背中を洗ってあげた。
嬉しそうに「気持ちいいなぁ~」 洗った背中が手の中に感触が残る。 変な関係と思うでしょうね。
「また、来るね~」と出勤の私に話しかけ、「いってきま~す」と義姉にチュッ。
その唇の感触も残っている。
なのに、なのに、なんで気がつかなかったんだろう。
ごめんね、ごめんね と、謝りながら 楽しかったよ、嬉しかったよ と、話しかけています。
苦しくって、痛くって、倒れて 辛かったよね。ごめんね。
「ダメなお姉ちゃんだね」って、自分で言って
あと、5年したら千葉に引っ越して3人で仲良く住もうねって、約束したじゃん!
また、遊ぼうって約束したじゃん!!
なんで、なんで 行っちゃうんだよ!! せっかくお姉さんが出来たのに、弟が出来たのに。
愛してくれたじゃん
ばか!! 息子もおいて行って。私もおいて行って…