明治学院礼拝堂(白金チャペル) (東京都港区白金台1-2-37 )
娘の学生へ行ってみました。目的は尊敬する建築家、W.M.ヴォーリズが設計し、
1916年に竣工しヘボン博士が創立した明治学院の象徴的存在であるチャペルを見に行くためです。
屋根の勾配がきつい素朴な建物です。
飾り窓の下のにはヘボン博士の肖像があります
鋭角な塔
礼拝堂2階の飾り窓
木組みの天井とむき出しの梁 どこか暖かみのあるチャペル内。
ヴォーリズ氏もここで結婚式をあげた場所です。
去る10月24日に奉献式を終えたばかりのピッカピカのオルガン。
オルガンビルダーであるオランダの巨匠ヘンク・ファン=エーケン氏が作成したパイプオルガン。
制作工法・装飾や細部まで18世紀西ヨーロッパの伝統的なオルガンを再現しており、
世界で4台目、日本で初めてのパイプオルガン。
近代に作成された純度の高い金属よりも、ある程度不純物を含む古い時代の材質の方が良い音色を出すそうです。
明治学院大学オルガン音楽研究会の方々による13曲の演奏が
200年前の音色としてこのチャペルで甦りました。
暫し時を忘れこの音色に耳を傾けました。私ごとき凡人にも
聴きごたえがあり、こころに栄養、良い気分転換ができ十分満足できました。
感謝
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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娘の学生へ行ってみました。目的は尊敬する建築家、W.M.ヴォーリズが設計し、
1916年に竣工しヘボン博士が創立した明治学院の象徴的存在であるチャペルを見に行くためです。
屋根の勾配がきつい素朴な建物です。
飾り窓の下のにはヘボン博士の肖像があります
鋭角な塔
礼拝堂2階の飾り窓
木組みの天井とむき出しの梁 どこか暖かみのあるチャペル内。
ヴォーリズ氏もここで結婚式をあげた場所です。
去る10月24日に奉献式を終えたばかりのピッカピカのオルガン。
オルガンビルダーであるオランダの巨匠ヘンク・ファン=エーケン氏が作成したパイプオルガン。
制作工法・装飾や細部まで18世紀西ヨーロッパの伝統的なオルガンを再現しており、
世界で4台目、日本で初めてのパイプオルガン。
近代に作成された純度の高い金属よりも、ある程度不純物を含む古い時代の材質の方が良い音色を出すそうです。
明治学院大学オルガン音楽研究会の方々による13曲の演奏が
200年前の音色としてこのチャペルで甦りました。
暫し時を忘れこの音色に耳を傾けました。私ごとき凡人にも
聴きごたえがあり、こころに栄養、良い気分転換ができ十分満足できました。
感謝
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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第21回東京時代まつり(2)(東京都台東区)
今日は江戸時代元禄から明治までを紹介します。
参勤交代(会津藩)
顔を赤く塗った奴が、掛け声をかけながら練り歩きます。
房のついた長い棒を
投げ合って交換する技を披露していました。
赤穂浪士討ち入り
大石内蔵助良雄を先頭に浪士の面々が練り歩きます
江戸町火消
かの有名な大岡越前守忠相は、いろは48組の町火消を組織して江戸の町に配置しました。
江戸の人気者 水戸黄門、大久保彦左衛門、一心太助、松尾芭蕉、播随院長兵衛、水野十郎左衛門
花川戸助六 傘を開いてポーズをとってくださいました。
江戸歌舞伎を代表する狂言といえる「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の登場人物。
江戸芸者 この方もポーズをとってくださいました。
黒船来航 ペリー他、アメリカの人たち 星条旗の星の数....?
新撰組
新選組局長 近藤 勇、新選組副長 土方歳三
一番隊隊長 沖田総司 かっこい~い 毎年女性の方です。
彰義隊 会津の白虎隊とともに有名です
明治維新
西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、大久保利通 官軍
京都の歴史に比べると短い期間ではありますが、
浅草にまつわるエピソードを歴史絵巻に残していく
人々には頭が下がる思いです。
文明開化 「江戸」は「東京」となりました おわり
雷門通り 2009.11.03撮影
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今日は江戸時代元禄から明治までを紹介します。
参勤交代(会津藩)
顔を赤く塗った奴が、掛け声をかけながら練り歩きます。
房のついた長い棒を
投げ合って交換する技を披露していました。
赤穂浪士討ち入り
大石内蔵助良雄を先頭に浪士の面々が練り歩きます
江戸町火消
かの有名な大岡越前守忠相は、いろは48組の町火消を組織して江戸の町に配置しました。
江戸の人気者 水戸黄門、大久保彦左衛門、一心太助、松尾芭蕉、播随院長兵衛、水野十郎左衛門
花川戸助六 傘を開いてポーズをとってくださいました。
江戸歌舞伎を代表する狂言といえる「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の登場人物。
江戸芸者 この方もポーズをとってくださいました。
黒船来航 ペリー他、アメリカの人たち 星条旗の星の数....?
新撰組
新選組局長 近藤 勇、新選組副長 土方歳三
一番隊隊長 沖田総司 かっこい~い 毎年女性の方です。
彰義隊 会津の白虎隊とともに有名です
明治維新
西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、大久保利通 官軍
京都の歴史に比べると短い期間ではありますが、
浅草にまつわるエピソードを歴史絵巻に残していく
人々には頭が下がる思いです。
文明開化 「江戸」は「東京」となりました おわり
雷門通り 2009.11.03撮影
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第21回東京時代まつり(東京都)
文化の日には、ここ浅草で平安・鎌倉・江戸・明治に至るまでの、
歴史的の人物・風俗などの扮装で行列を行います。
この日はひときわ寒かった日でしたが大勢の見物客でにぎわっていました。
浅草寺の山号「金龍山」から名を取った金龍(きんりゅう)の舞
中央奥には建設中のライバル スカイツリー
東京時代祭りの幕開け
東京のあけぼの浅草観音示現 可愛らしい行列
飛鳥時代、隅田川で漁をしていた檜前浜成/竹成兄弟が黄金の観音像を見つけます
これが浅草寺のはじまりです。
在原業平の東下り 美男子と称された歌人
「名にしおば いざ言問はん都鳥 わが思う人はありやなしと」
源頼朝の隅田川陣営
甲冑に身を固めた関東武士団の行列
源頼朝、畠山重忠、千葉常胤、北条時政、江戸重嗣
北条政子の浅草寺参詣 きれいな方でした
白鷺の舞 すごく神秘的です。
京都の正統を基本に慶安縁起の遷座供養祭礼行列を復元したもので
今でも三社祭の時に必ず奉納されます。
三社大権現祭礼 船渡御
三社祭の時、お神輿を船に乗せる「船祭」が行われていたそうです。
太田道灌
1456年、江戸重嗣の屋敷跡に、江戸城を築城しました。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき」
江戸城築城・お石曳き
相模国や東伊豆海岸から、城に適した石が運ばれました。
徳川家康の江戸入府・徳川四天王(井伊直政・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次)
井伊の赤備え
歴ジョにはたまりません
大奥御殿女中 貫禄あり見応えあり
つづく
雷門通り 2009.11.03撮影
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文化の日には、ここ浅草で平安・鎌倉・江戸・明治に至るまでの、
歴史的の人物・風俗などの扮装で行列を行います。
この日はひときわ寒かった日でしたが大勢の見物客でにぎわっていました。
浅草寺の山号「金龍山」から名を取った金龍(きんりゅう)の舞
中央奥には建設中のライバル スカイツリー
東京時代祭りの幕開け
東京のあけぼの浅草観音示現 可愛らしい行列
飛鳥時代、隅田川で漁をしていた檜前浜成/竹成兄弟が黄金の観音像を見つけます
これが浅草寺のはじまりです。
在原業平の東下り 美男子と称された歌人
「名にしおば いざ言問はん都鳥 わが思う人はありやなしと」
源頼朝の隅田川陣営
甲冑に身を固めた関東武士団の行列
源頼朝、畠山重忠、千葉常胤、北条時政、江戸重嗣
北条政子の浅草寺参詣 きれいな方でした
白鷺の舞 すごく神秘的です。
京都の正統を基本に慶安縁起の遷座供養祭礼行列を復元したもので
今でも三社祭の時に必ず奉納されます。
三社大権現祭礼 船渡御
三社祭の時、お神輿を船に乗せる「船祭」が行われていたそうです。
太田道灌
1456年、江戸重嗣の屋敷跡に、江戸城を築城しました。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき」
江戸城築城・お石曳き
相模国や東伊豆海岸から、城に適した石が運ばれました。
徳川家康の江戸入府・徳川四天王(井伊直政・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次)
井伊の赤備え
歴ジョにはたまりません
大奥御殿女中 貫禄あり見応えあり
つづく
雷門通り 2009.11.03撮影
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アンネのバラ
娘の学園祭で訪れた時に、
小チャペル(明治学院記念館)の入り口にバラが咲いているのが目に入りました。
1972年にアンネ・フランクの父オットー・フランク氏から送られた
「アンネのバラ」が日本での起源です。その後
接ぎ木で増やされ全国の教会、学校、平和施設等に
送られています。
その苗木がここで立派な「アンネのバラ」として咲いていました。
蕾の時は赤色、開花すると黄金色で、時が過ぎると花弁の先から
サーモンピンクになり、更に赤色に近くなります。
色の変化は寒暖の差が激しいほど鮮やかで冴えるそうです。
ホロコースト記念館(広島県福山市)より
寄贈された苗木だそうです。今ではその苗木が日本全国に行き渡り、
異国の日本でも壮絶なる生涯を送ったアンネ・フランクの意志を垣間みることができます。
「もし、神様がわたしを長生きさせてくださるなら、
私はつまらない人間で一生を終わりたくありません。
わたしは世界と人類のために働きます。」
(アンネ・フランク)
もっと平和について考えなければならないと感じました。
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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娘の学園祭で訪れた時に、
小チャペル(明治学院記念館)の入り口にバラが咲いているのが目に入りました。
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「アンネのバラ」が日本での起源です。その後
接ぎ木で増やされ全国の教会、学校、平和施設等に
送られています。
その苗木がここで立派な「アンネのバラ」として咲いていました。
蕾の時は赤色、開花すると黄金色で、時が過ぎると花弁の先から
サーモンピンクになり、更に赤色に近くなります。
色の変化は寒暖の差が激しいほど鮮やかで冴えるそうです。
ホロコースト記念館(広島県福山市)より
寄贈された苗木だそうです。今ではその苗木が日本全国に行き渡り、
異国の日本でも壮絶なる生涯を送ったアンネ・フランクの意志を垣間みることができます。
「もし、神様がわたしを長生きさせてくださるなら、
私はつまらない人間で一生を終わりたくありません。
わたしは世界と人類のために働きます。」
(アンネ・フランク)
もっと平和について考えなければならないと感じました。
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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