生きてるだけで丸儲け!
㉗ 正司 敏江・玲児
「どつき漫才」という分野があるのかないのか、分からないがこのコンビはどつき漫才で世に出て来た。元々はしゃべくりで勝負していたが、敏江のセリフ覚えの悪さで、切れた玲児が本気で張り倒したところウケたという。さらに逆切れした敏江が、反撃して大爆笑を取ることでメジャーデビューした。
敏江は、小豆島出身で苦労して中学出て大阪に出て来た。かしまし娘の付き人から弟子になり、ちゃっかり娘という音曲漫才でギターを担当していたが、売れなかった。一方、玲児も中卒で九州から大阪に出てきて、芸能プロダクションでパシリをしていた。特に、横山やすしと親しくしていた。二人はコンビを組む前から付き合っており、芸人とプロダクションの人間の交際については厳しい掟があり、その事で二人は正司歌江から破門されている。
売れっ子になっても、夫婦である事は隠し、兄妹漫才で売り出した。その後夫婦であることを公表し離婚しても漫才を続けた。蝶々・雄二や、鳳啓介・京唄子と同様、夫婦の関係は破たんしても芸人としては「稼業」として続けたのである。途中、破門を許され「正司」の屋号を名乗っている。
しかし、漫才のしゃべくりそのものは2流の域を出ず、玲児の振舞いが「天狗になった。」と悪評を呼び、急速に人気は急落した。その後、玲児が急死した後、敏江はピンで活動している。筆者は、先年、繁昌亭でその姿を見たが、70歳を超えた敏江が振袖で短髪の頭にリボンをのせている姿は、悲しいほどだった。大助・花子のように長く愛される芸人になれなかったのは、何が違ったのか?芸人は「運」が大半を占める。
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