先日もこの話題を書きました。
その中で介護をする家族の責任はあると私は判断していたのですが
最高裁の判断は、それと違って責任は無いと判断しました。
事件は認知症により徘徊して鉄道事故で亡くなった事故です。
裁判はその時の代替の輸送費用を鉄道が家族に対して損害賠償の請求をした裁判です。
結果的に一・二審の判断は家族にもそれなりの責任があると判断し、
今回の最高裁では家族にその責任は無いと判断したのです。
私は自分が自宅介護の中心として長年やった経緯があり、どうしても自宅介護をする人に覚悟を持って欲しいという気持ちが強すぎて、自宅介護の責任者に対して厳しい感覚を持っているのかも知れません。
ただ今回の判断をこの種の事故全てに当てはめるのは危険と思います。
今回は訴えたのがJR東海です。金額も鉄道の巨大な組織から考えると700万円程度はは微々たる物です。
経済的に強い者の弱い者イジメの感があり、経営に何の影響も及ぼさない損害賠償を求めるのは、
あまりにも形式的過ぎると言う感もあります。
しかし、、、、、
自宅介護で介護をされている人が徘徊する可能性を監督者が知っているにもかかわらず、
何かの理由で徘徊し、その結果、ご近所の駐車場に入り込み、もたれかかって車のミラーを折ってしまったら・・・・。
認知症の人がやったとは言え、自分の土地の中に入り車を壊されたら・・・・
「仕方ないね」と数万円の修理費用を自分で出しますか、、、、。
私が介護をしている側なら、被害に有った人に対して謝罪と弁償はします。
これ、、、、普通でしょ。
民事裁判の結果は普通じないと、、、、、。
最高裁の判断は実に曖昧で、今回は責任が無いが場合によっては責任があると言っているようです。
最高権威の判断は法律に近く、当事者になれば自分にとって有利に解釈します。
今後もこまめにケースバイケースで判断していく覚悟が裁判官にあるのか・・・少し疑問を感じます。
その中で介護をする家族の責任はあると私は判断していたのですが
最高裁の判断は、それと違って責任は無いと判断しました。
事件は認知症により徘徊して鉄道事故で亡くなった事故です。
裁判はその時の代替の輸送費用を鉄道が家族に対して損害賠償の請求をした裁判です。
結果的に一・二審の判断は家族にもそれなりの責任があると判断し、
今回の最高裁では家族にその責任は無いと判断したのです。
私は自分が自宅介護の中心として長年やった経緯があり、どうしても自宅介護をする人に覚悟を持って欲しいという気持ちが強すぎて、自宅介護の責任者に対して厳しい感覚を持っているのかも知れません。
ただ今回の判断をこの種の事故全てに当てはめるのは危険と思います。
今回は訴えたのがJR東海です。金額も鉄道の巨大な組織から考えると700万円程度はは微々たる物です。
経済的に強い者の弱い者イジメの感があり、経営に何の影響も及ぼさない損害賠償を求めるのは、
あまりにも形式的過ぎると言う感もあります。
しかし、、、、、
自宅介護で介護をされている人が徘徊する可能性を監督者が知っているにもかかわらず、
何かの理由で徘徊し、その結果、ご近所の駐車場に入り込み、もたれかかって車のミラーを折ってしまったら・・・・。
認知症の人がやったとは言え、自分の土地の中に入り車を壊されたら・・・・
「仕方ないね」と数万円の修理費用を自分で出しますか、、、、。
私が介護をしている側なら、被害に有った人に対して謝罪と弁償はします。
これ、、、、普通でしょ。
民事裁判の結果は普通じないと、、、、、。
最高裁の判断は実に曖昧で、今回は責任が無いが場合によっては責任があると言っているようです。
最高権威の判断は法律に近く、当事者になれば自分にとって有利に解釈します。
今後もこまめにケースバイケースで判断していく覚悟が裁判官にあるのか・・・少し疑問を感じます。