地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

中高年の遊び

2018-10-11 14:47:00 | 日記
年令の高い人の遊びで、今よく目にするのは、公園でやってるグランドゴルフです。

昔は町内会・自治会・何かの組合・農協・政治家の後援会などの、団体旅行に参加する程度だった高齢者の遊び。

それがカラオケになり、ゲートボールなった。
暫くはゲートボールの時代がつづいたのですが、団塊世代が定年を迎えて遊びの内容が広がりましたね。

その中の「健康マージャン」
賭けない、飲まない、吸わない。

頭の体操にもなり、ボケ防止になるかも、、、なんて話です。

テレビで紹介されたのを何度か見ましたが、、、、賭けないマージャンなんてマージャンでは無いとの思いがあった。

ところが
私に二人の姉が居てるのですが、上の姉が最近になり「健康マージャン」を始めたらしいんです。

正直なところマージャンの事は頭から消えていました。
若いときはジャン荘に居ない日は無い生活だったのに。。。
なんせ、遊び人ですからマージャンとはセットの時代でしたネ。

マージャンと言っても色々とあります。

バクチ感の強い、あがり麻雀、3人打ちから本格的な四人の麻雀まで。基本的なルールはよく似ていますが、勝負所はかなり違います。

麻雀荘でフリーの客がやるのは、殆どがブー麻雀です。
これは持ち点が無くなった時点で終了です。
麻雀荘が早く回転させて、ゲーム代を多くしたいのが始まりです。

徳島は3人打ち発祥の地と言われて、麻雀荘だけじゃなくて、会社の仲間がするのも3人打ちの麻雀でした。
これは大阪の雀荘でも広まっていましたね。
これは4人打ちに比べ、スピード感と賭博感は段違いです。

今、麻雀荘でフリーの客がするのは、4人打ちのブー麻雀が主流です。

麻雀人口はかなり少なくなってるのですが、ゲーム麻雀から入った若い人も雀荘で見かける様子です。

「健康マージャン」と聞くと、自分がやってた麻雀と比べてしまうのですが。

これは別物と考えた方が正しいかも知れません。

ヤクザと不動産屋と麻雀荘とタバコ、、、、
刑事ドラマで悪者が集まる場所には欠かせない。
そんなイメージは・・・・消えたのかな❓





息子を殺した母親

2018-10-09 11:32:00 | 最近のニュースから
7日午前0時過ぎ 、ベッドで寝ていた次男の修志さん(49歳)の首を母親がロープで絞めて殺害。

徳島・鳴門市大津町木津野で発生した事件です。

母親・真田かよ子(73)は10年にわたり難病(パーキンソン)の息子を介護していました。

夫(76)は何時も居てるところに妻が居ないので探した。
納屋でうずくまる妻を見つけ、話を聞き次男の所に行き、ベッドに横たわる次男を発見・・・

夫は近くで住む長男に連絡。
長男が駆けつけた。

午前1時20分過ぎに、、、119番
「弟が呼吸していない」

病院に運ばれたが、 1時間後に死亡確認。

首に絞められた痕跡があり鳴門消防本部から鳴門署に通報。

午前3時過ぎに自宅に居た容疑者に同行を求める。

母親・かよ子容疑者は容疑を認めたうえで
「介護に疲れた。息子の病気が進み将来に不安」

長男が119番通報するまでの時間は親子で色々と話し合ったと想像できますが、、、、
何とも言えない苦しい時間だったと察します。

このニュースを聞いた時、直ぐに頭に浮かんだ事があります。

それはここでも何度か書いた、徳島・小松島市で発生した嘱託殺人です。

母親が精神障害の娘を殺してしまった事件です。
その事件の判決は執行猶予が着きました。

徳島では地元の新聞やテレビで、何度も報道されて多くの人が知っていると思います。
特に、同じ様に障害を持つ子供の親は、その事件に注視した事でしょう。

思いたくはないが、、、、
長い介護の生活の中で、一瞬の魔がさしても不思議じゃない。

その時に・・・・
執行猶予と言う判決が、
『許される事』だと自分に言い聞かせる働きに成らないだろうか❓





孤独死ですが・・・

2018-10-08 11:01:00 | 最近のニュースから
連休だし、久しぶりに全国的に良い天気の時に、少し重い話題ですが・・

昨日の夕方のテレビ
バンキシャで孤独死を話題として取り上げていました。

過去3年で2000人あまり、その内で50才以下が40%強と言う数字には少し驚きました。

孤独死→大半は過疎地の老人の話で。
街中で、時々ニュースになる孤独死は、そんなに多くはないと・・
勝手に思っていたのです。

家族の人数が少なくなり、今後も孤独死は増え続けると予測されています。
解決策の1つとして、独り生活の人はネットでそれなりの人と繋がっておく。
そんな話もあったり・・・


でも、、、この話、少しモヤモヤする点があるんです。
孤独死の定義って有るのでしょうか❓

私のように独り生活していても、死んだ数時間後に発見されたら孤独死じゃなくて。三日後に発見されたら孤独死になったりします。

五人家族で、四人が仕事などで出払っている間に死んでも孤独死にはならない。

これって、、、、

亡くなった人の話じゃなくて、その後の話ですよね。

少し乱暴な言い方ですが、亡くなったままで、発見が遅かった場合を孤独死と言うなら、大した問題じゃない。
亡くなった人には何の関係もないですから。


私は亡くなる人の立場で考えてみたいですネ。

孤独死した2000人余りの中で50才以下が800人余り。
その800人は誰かが横に居てたら死ぬ事の無かった人じゃないだろうか、、、、。

心臓・脳の病気は一瞬で意識を失う事が多いが、医学の進歩で対応が早ければ助かる可能性は大きくなっています。

誰も介抱したり、救急車を呼ぶ人が存在しなかった為に命を失ったのでは・・・
それが孤独死なんじゃないでしょうか。

亡くなって、発見されるまでの長さで孤独死となったり、ならなかったりは、少し変だと思うのです。

現在は夫婦で仲良く暮らしていても、長生きした方は一人になります。その時に子供と同居出来るかどうか、または老人施設に入る経済力が有るか、、、
これは、その両方とも不可能な人が増え続けるでしょう。

そして、、、、

施設で亡くなる場合は、寂しい孤独死ではないとする考え方は正しいのでしょうか‼


私のオヤジは短い期間ですが、寝たきりになりオムツの交換が必要でした。
ケアマネと相談して、深夜の1時に私がオムツ交換する。
朝はヘルパーさんに来てもらい、オムツ交換と朝食をしてもらう。

そのプランで日々を過ごしていました。
もちろん、他の時間帯もヘルパーさんや看護師さんに来てもらっていました。

ある日の夜、何時ものように深夜にオムツ交換をして
「オヤスミ、また明日。」
と何時ものように言葉を交わし、私は別の家に行き寝る事に・・・

翌朝、ヘルパーさんから電話があった。
そんな事はよく有る事です。

ところが、その時は声が違った。

「意識が無くなりました、、、」
「暗いと言うのでカーテンを開けて振り向くと・・・・」

正確には覚えていないのですが、オヤジの状態が危ないのは解った。
急いで家に帰ると、医者も来ていて、私の方を向いてうなずくだけでした。

私は看取ってやる事が出来ず、、、
仕方ないと自分に言い聞かせるのですが、どうしても割りきれない。

オヤジの立場で考えれば、これだって孤独死だ‼
自分の子や孫はそこに存在せずに、知らないヘルパーさんに看取られ、寂しく死んでしまった。

オヤジの死後、しばらくはこの事が頭から離れなかった。

しかし、時間の経過は思いも考え方も変えてくれます。

今は、、、、、、
死後・死の直前・それまでの期間と3つに別けて、それまでの期間が一番大切だと思う様になりました。

何故なら、、、
死後・死の直前にオヤジは寂しいとか悲しいとか痛いとかは感じない。
だから自分はこれで良かったんだと。死の直前までの期間に、お互いの顔を毎日見たし、イッパイ話もした。
だから、絶対に孤独死じゃない‼

今、社会で言う孤独死は死後に、誰にも気づかれず放置された時間のある人を言う。

しかし、それは正しくない。

本当の孤独死は死ぬ前の生活がどうだったか。
そこが大事な所です。

独りで生活して、
苦しくなった時、医者に連絡して来てもらう事が出来たとしても。

医者と看護師に見守られながら亡くなっても、、、、私は孤独死と思います。

確かに孤独死は発見後に色々と問題が発生します。

まず、
事件か否かの判断が必要です。
相続人(身内)を探す必要もあります。
相続財産が有ればあったで、無ければないで問題が発生します。

結果、
行政機関はけっこうな時間と手間をとられます。

そう‼
孤独死を社会が問題化しているのは、後処理が面倒だからです。

孤独死に至る、その人の人生を優先して考えるべき事を、生き残った人の都合を優先しているのです。

これは、この事を考える入り口が間違っています。

水商売の女たち

2018-10-06 22:47:00 | 日記
若いときから夜の街をフラフラして、色んな女の子に接して来ました。

その女の子たちに、かなり高い確率で共通するのが「劣等感」です。
※一瞬だけ居てた子は含まれません。

例えば、、、、

親が居ないか、居ても片方だけ。 
中学しか出ていない(高校、専門学校を中退してる) 

自分の腕とか脚に、服で隠れるが大きな火傷跡など傷がある。

体臭がヒドイ。

出身地が差別地区。

親がヤクザか遊び人。

家が非常に貧しい。

これ等のどれかにあたる女の子はかなり多いと思います。

同じ様な条件でも、持ってる能力の高い子は劣等感をバネに出来るのですが、、、、

劣等感を持つ必要は無い‼
他人からは見れば、そうなのかも知れない。

言うのは簡単だが、現実にはなかなか難しいです。

離婚で水商売を始める人は、やはり生活の為の比重が大きいと思います。

例外はバブルの頃で、恵まれた家庭環境で育ち、けっこう難しい大学に行ってる女の子も。
形としてはバイトですが、そのまま夜の街にで居続けている人も存在します。
まぁ、そう言う子は大抵がオッサンにひっかかていますね。

かなり年上のオッサンと付き合った女の子は、考え方等にその影響が残りますね。
それを脱け出すのに少し時間が必要です。
オッサンから吹き出るガスはけっこう身に染みるんです(笑)

また、何故あんなに綺麗な女の子が、仕事もろくにしない男を選んでしまうのか❓
店に来る客で、もっと他に良い男が居てるだろ~と思ったりしますが。

やはり難しいんです。

例えば、、、、
若い銀行員に口説かれたとします。
外見や性格も許容範囲内。
それでも、迷いますね。
結局は遊び相手に選ばれてるだけと、感じる部分が解決出来ないんです。
表面上はしっかりしていて、たくましいのですが・・・
いざ自分の事で大事な場面になると、慎重と言うか、臆病と言うか、、、、弱い子が多いと思います。

その深い原因が「劣等感」に有ることに当人は気づきません。


ごく稀ですが、かなり年上の男との恋愛が壊れて、水商売に入って来る女の子が居てます。

かなり年上の男と恋愛をしていた時点で、親など反対されたり、嘘をついていたりして、自分の世界を狭めてしまってるんです。
・・・で、男と別れて一人になった時に、何時でも受け入れてくれそうな水商売を選ぶのです。


女の子は3年有れば、結婚・出産・離婚を経験します。
3年前の若々しい感覚と姿、そんな女の子が母子家庭の主人公になり、全てにおいてパワーアップ⤴

いざと言うときに弱気になる子が、生活力の強い女の人になってるんです。

もちろん、その状況になっても、誰かを頼って生きていこうとする人も存在します。

水商売の女たち、、、、総じて学歴は低い。
しかし、彼女たちの生きる力に男はかないません。
長年にわたり彼女たちを見ていると。彼女たちと比べ、男の中途半端な学歴なんか何の意味もない。

逆に邪魔になったりしている人を多く見かけたりしますね。
ソコソコの学歴をもってるのでプライドだけは高い。ところが、その学歴では職場で通用しない。その屈辱の人生を送った中高年が、夜の街で娘より若い女の子を相手に能書きを言ってる。

そんな男の姿は、生活力溢れ働く女の子と比べ哀れです。
夜の女たちに一番嫌われるタイプの男に、知らぬ間に成っているんです。

くっそぉ~

2018-10-05 20:20:00 | 日記
徳島の夜の歓楽街・秋田町。

1~2丁目付近に飲み屋などが乱立しています。
5丁目は旧赤線地帯で、今も何軒かの売春屋が活躍⁉しています。

その通りの真ん中辺りに深夜まで営業しているスーパーがあり、私もよく利用します。

そのスーパーで、明らかに30才過ぎの夜の女が、金曜日の午後八時頃にゆったりと買い物をしてるんです。

顔もスタイルもけっこう良い女です。

なんとなく、その女の子に見とれていると・・
その視界に70才過ぎのジイサンの笑顔が入ってきた。

そして二人は自然な感じで近寄り、買い物カゴの中を見ながら話をしているんです。

空気感は絶対に孫とお爺さんじゃない。

年の差が40才は有る💑カップルです。

そのジイサン、流石に身なりは若々しくスッキリしている。
これが、不細工な女だったり、ロシアンクラブの子なら、何とも感じないのですが、、、

悔しいかな、良い女なんです。

そのオヤジを見てると、ずぅ~っと笑顔なんです。
そりゃあ~自然と笑顔になるわな。

羨ましいと言うか、悔しいと言うか、、、、

その年齢で、それなりの性欲もあり、若い良い女をゲット出来る資金力もあり訳ですから・・・・

独りメシの為に買い物してる私にすれば、、、、

ちっくしょおぉぉぉ~です😰