この事件の捜査に当たった 刑事や検察は 、テレビに出てくる悪徳刑事や検事よりひどい話です。
ザックリと・・・
1985年1月8日 熊本県宇城市(旧松橋町)で、 男性59歳が首を刺されて死亡。
数日前に口論していた宮田浩喜さんが 取り調べで犯行を自白して逮捕された。
物的な証拠は何一つないのですが、判断の決め手となったのは自白の内容が具体的だったと言うことです。
その内容は凶器とされた小刀に、シャツの切れ端を巻いて犯行に及び、犯行後に小刀は磨ぎ、シャツの切れ端は焼却したと。
実刑が終わった後 、日弁連の調べにより、 破ったとされるシャツが押収物から出てきたんです。
ところがそのシャツを確認すると 全てが揃っていた。
決め手となった、自白の重要な部分である 、シャツの切れ端を焼却したと言うのが、嘘と証明されました。
これで再審が認められ、無罪判決を受けるのは当然のことなのですが、、、
無罪と無実は違います‼
やっていない事の証明なんて、よく言う「悪魔の証明」で、それを証明するのは不可能に近い。
もし、私がこの事件の真犯人とされたら。
それこそ、別の事件で逮捕でもされていない限り100%の無実の証明は出来ないでしょうネ。
チョッと不思議に思うのが。
警察にとりそんな不都合なシャツをどうして保管していたのだろうか❓
さっさと処分しておけば、警察の主張の矛盾は証明されないのに・・
そんな事を思ったり、、、
それは取り調べに集団心理が働いた証拠でもあります。
犯人と決めて ストーリーを作り上げ 、それを認めさすのは 捜査に当たった刑事たちの方針です。
つまり個人の責任ではないのです。ところが、押収物を破棄するのは個人でやるので、それは責任を取らされる可能性があるのでやりたくないんです。
集団だと「これは慣習だ」と、あやしい事でもやってしまう公務員らしいヘマです。
本当の犯罪者なら。嘘の証拠は一番に無くするでしょうね。
刑事がストーリーを作って、それに沿った自白をさせる。
そんなテレビドラマのようなことを実際にやっている。
ところが、、、
そんな悪事がバレても、 誰もその責任を取らされない。
やりっぱなしOK では、警察が望む市民警察なんて、戯言に過ぎません。
無実の証明もできないし、失われた34年間も帰ってこない。
また、真犯人は誰❓
被害者の遺族は、今後どう考えれば良いのか⁉
宮田さんは高齢で認知症になっていて、言いたいことも言えない。
人としての感情をもって考えても、答えの出ない嫌な出来事です。
ザックリと・・・
1985年1月8日 熊本県宇城市(旧松橋町)で、 男性59歳が首を刺されて死亡。
数日前に口論していた宮田浩喜さんが 取り調べで犯行を自白して逮捕された。
物的な証拠は何一つないのですが、判断の決め手となったのは自白の内容が具体的だったと言うことです。
その内容は凶器とされた小刀に、シャツの切れ端を巻いて犯行に及び、犯行後に小刀は磨ぎ、シャツの切れ端は焼却したと。
実刑が終わった後 、日弁連の調べにより、 破ったとされるシャツが押収物から出てきたんです。
ところがそのシャツを確認すると 全てが揃っていた。
決め手となった、自白の重要な部分である 、シャツの切れ端を焼却したと言うのが、嘘と証明されました。
これで再審が認められ、無罪判決を受けるのは当然のことなのですが、、、
無罪と無実は違います‼
やっていない事の証明なんて、よく言う「悪魔の証明」で、それを証明するのは不可能に近い。
もし、私がこの事件の真犯人とされたら。
それこそ、別の事件で逮捕でもされていない限り100%の無実の証明は出来ないでしょうネ。
チョッと不思議に思うのが。
警察にとりそんな不都合なシャツをどうして保管していたのだろうか❓
さっさと処分しておけば、警察の主張の矛盾は証明されないのに・・
そんな事を思ったり、、、
それは取り調べに集団心理が働いた証拠でもあります。
犯人と決めて ストーリーを作り上げ 、それを認めさすのは 捜査に当たった刑事たちの方針です。
つまり個人の責任ではないのです。ところが、押収物を破棄するのは個人でやるので、それは責任を取らされる可能性があるのでやりたくないんです。
集団だと「これは慣習だ」と、あやしい事でもやってしまう公務員らしいヘマです。
本当の犯罪者なら。嘘の証拠は一番に無くするでしょうね。
刑事がストーリーを作って、それに沿った自白をさせる。
そんなテレビドラマのようなことを実際にやっている。
ところが、、、
そんな悪事がバレても、 誰もその責任を取らされない。
やりっぱなしOK では、警察が望む市民警察なんて、戯言に過ぎません。
無実の証明もできないし、失われた34年間も帰ってこない。
また、真犯人は誰❓
被害者の遺族は、今後どう考えれば良いのか⁉
宮田さんは高齢で認知症になっていて、言いたいことも言えない。
人としての感情をもって考えても、答えの出ない嫌な出来事です。