昭和40年前後まで町中には銭湯が至る所にありました(^^)自宅に風呂がない家庭も多かったですし。午後3時。銭湯は開店します。私も幼少期から小学校2、3年まで、母に連れられ銭湯に行ってましたね。銭湯の入口の『のれん』をくぐると左右に下駄箱があり、そこに履物を入れて『木の札』を取り中に入ります。この『木の札』は大抵、漢字、墨で書かれていますが『四』はありません。『四』はシと読むので縁起が良いとはされない数字でしたから避けていたんです(^^)中に入ると『番台』が左右の出入口中央にあって、大抵、おばさんが座っています。当時、子供の入浴料金は15円くらいだったと思います。女性は髪を洗う場合はプラス10円。余分に多く湯を使うからです(^^;;脱衣所は壁際などにロッカーがあるので、ロッカーの前で服を脱ぎ、そして浴槽のある場所へと入ります。浴槽の入口扉はガラス製で番台からも見えるように工夫。銭湯の番台は男なら一度は座ってみたい絶景の場所(o^^o)銭湯は普通の湯もあれば電気風呂、泡風呂は大抵の銭湯にありますが、たまに?サウナや薬湯がある銭湯も。そして出入口の隅っこには決まって水風呂もありますが何故か浴槽は1人しか入れない小さな浴槽で私は、そこに入っている人は見た事はありません。銭湯は昭和の代表的な文化だと思います。
魂的に思考する。(・・;)何やら小難しいこと言って申し訳ございません。人間は本能との葛藤が多かれ少なかれあります。欲は持っていいし、必要なことでもあります(^^)我欲。これがニョキニョキ出始めると?人間関係でもめたり、家族がバラバラになったり犯罪をおこしたり。我欲の限度にもよりますが、その限度(^^)限界は人それぞれでもあります。それは各々の魂の成熟度とも言えるかも知れません(^^)話は逸れましたが魂的に思考しながらドラマなどを見たりすると意外と今迄、気づかなかったことが気づいたり、理由もなく涙が出たりします。ドラマの中で『この主人公は子供じみてるなぁ。とか、こんな事で怒る?』とか。あると魂が子供なんだなぁと(^^)それだけではありません。ドラマの脚本や演出にも寄りますが、話全体に何か、いや、なんとなくですが胸の奥が反応さしたりもします。脚本家や演出家の表現自体に何かを感じたりも(^^)脳出血で倒れるまでは、ドラマはストーリーだけに集中していましたし滅多な事で泣いたりもしませんでした。私自身、かなり感性が鈍かったんだと実感をしています。他人の足を踏んでることすら気づかない、そんな感性だったと。足を踏まれたら踏み返せばいいと(・・;)違うんですね。足を踏まれたら、その痛みを知り決して他人の足を踏み返したりしたらいけない。それだけでなく、それ以上に意識した行動をしないといけないのかな?とも思うのです。子供の頃、喧嘩して殴られたら殴り返せ!と父親から言われたこともありますが、殴られても殴り返してはいけないのです。そうしないと喧嘩と言うものは無くなりません(・・;)殴り返すと相手は、今度は素手でなく棒とか?武器を手にしてやってくるかも知れません。じゃ、立ち上がれないほど痛めつければいいのか?違うんです。そんな事すると相手の仲間がやってくるかも知れません。喧嘩は無くなるどころか大きくなる可能性の方が高いのだと。そして殴り返さない方が、ある意味強いのだとも。魂的思考の幅や範囲は広いですが、その一端だけでも意識できるのであれば、色々と考えてみたいなぁと思う今日この頃です。
22歳で結婚しましまが結婚生活は5年で一旦、ピリオドを打つことに(・・;)その理由は妻の浮気でした。おそらく、それまでにほかの男と遊んでいたのかも知れません。今になって思うと、そのような事や、???と思う事もありました。私の鈍さに呆れるしかありません。それは私が消費者金融に勤め、もうすぐ3年になろうかと言う頃でしたかね。26歳で支店長に昇進し妻のM紀も喜んでくれてました。やっと収入も上がると。しかし、まだ若い2人にはお金が欲しくM紀も色々と仕事を変えたりしながら、生計をやりくり。そんな中、とある八尾市内の1DKのマンションから柏原市の国分というところへ引っ越しました(^^)賃貸でしたが3DK(^^)駅から徒歩3〜5分のところでした。M紀もパートから正規雇用として働き夫婦2人で月50万円近くの収入も得るようになったのに?『もっとお金が欲しいやん!私、夜、働いていい?』賛成するわけありません。しかし?これまでのビンボーな生活からか一気に物欲と金銭欲が爆発したのか『チョットはプランドも欲しい!美味しいものも食べたい!』まだ25歳の妻。私もシブシブ了解してしまったのです(・・;)そして近鉄布施駅近くのスナックで夜、働き始めました。これが、やっぱり間違いの始まりだったかも知れません。