男なら夢や野心は少なからず持っている人が少なくありません(^^)例えば『出世』サラリーマンになれば社内の競争に参加するとしたなら今の、目の前の仕事に全力を注ぐことが道を開けることになると思うのです。80の力で例えば営業売り上げが達成できる人は絶対に100以上の力で売り上げ目標をオーバーすることが大切です(^^)仮に手を抜いて80の力で達成していたとしたら、必ず、能力は衰えます。そこには過信、驕りなど心も曇ったり途中でサボッたり(・・;)筋肉と同じ。鍛えなければ衰えるだけ。力を出し切らないと次のアイデアや必要な能力が見えてきません。そうなると脳はサボります。思考は鈍くなりますから啓発意欲も減退。会社の目標が上がった時には途端に出来ない社員へとなってしまいます。従いまして、目先の仕事、例え掃除や雑用でも、どうすれば効率が上がるか、工夫を考えるトレーニングはしておかないと、掃除も満足に出来ない社員に普通の仕事はできません。全力で力を出し切れば不思議と給料や地位は後から付いてきます(o^^o)
妻はよく『話し方が、どうもダメ。』と言う時があります(^^)話し方や声のトーン、表情など目と耳に入ってくる感覚で自分と合う合わないがあるようで例えば、どんな話し方?とかどんなトーン?とか聞いても『言葉じゃ説明出来へん(・・;)』との事。確かに声や話し方、表情で相手の波動は感じ、その波動から何となく人柄が出ているものです。妻から長女の彼氏と会ってどうだったのか?尋ねられたので『優しい穏やかな青年。常識以上の感覚はあるように思えたよ。中年からお年寄りの女性から可愛がられる空気感満載やな(^^;;』そう伝えると安心したような感じでした。長女と長女の彼氏とはお店での待ち合わせをしたのです。私がお店に着くと、もう来ていたようでホールの従業員にテーブルまで案内されました。上手く仕切りもされていて案内されたテーブルの前の廊下で『こちらでごさいます。』パーテーションで仕切られた、その空間に足を踏み入れると、何とも柔らかい感触が私の肌に感じたのです(^^;;(おや?)そう心に呟きながら入ると長女と長女の彼氏が穏やかな笑顔でテーブルに座っていました。『初めまして』私は一言、声をかけながら椅子に座り、互いに自己紹介をしましたが何とも言えない穏やかな空気はそのまま。食事をしながら歓談をしていると、その声のトーンや声質、話し方は本当に心地よい波動を感じたのです。そして『目』優しい眼差しと目が澄んでいるのに気付きました。24歳。まだまだ、軽い所やイケイケの雰囲気とかあってもよさそうなものですが落ち着いており野心も感じられません。食事を終えてレストランを後にするとき『離すなよ。』長女に思わず言ったのです。文字や言葉では形容し難く、とにかく今の若い男性には珍しいほどピュアでした。話は逸れましたが話し方、声のイントネーション、目から出る表情は見えない波動があると思えてなりません(^^;;
私が19歳の頃喫茶店でアルバイトをしていたお店の店長か『吹田の千里に、もう一つ、お店を出すからY君、そっちに行ってもらうから。』は?と私は思ったのです。ムッチャ遠いやん(・・;)最初の頃は電車で行きましたが駅までバスに乗ってから京阪に乗り環状線で大阪経由でJR千里丘(・・;)こりゃたまらん。結局、車で(・・;)ガソリン代は自腹。3ヶ月で辞めましたがね。お店の前に実は関西では名の知れた落語家さんが住んでいます。一時期はオールナイトニッポンとかで少しエロいトークで若者から人気がありました。エロさが受けた深夜番組も。また自叙伝の本も出すほど。その落語家さんの家では毎朝、お弟子さんらしい人達が掃除をしていたり。バルコニーにはお猿さんをペットとして飼っているのです(・・;ある日、店長に頼まれ駅まで買い物に出たときのこと。落語家さん、ご帰宅されてきました。お車は当時の三菱のセダン。ご自宅の一階はお店をされていました。ゆっくりとクルマを建物前に付けたのですが、道路の端へ寄せようと幅寄せしバックした時『ガシャン!』なんと自分の店の看板にクルマをぶつけてしまいました。少し苦笑いをしながら車の凹みを気にされてたのですがお弟子さんにキーを預けたのです。私は思わず『ププッ(o^^o)』と吹いてしましましたよ(^^)あれから36年。ホント月日が経つのは早いものです。
昭和45年から50年頃、ダイエーは飛ぶ鳥を落とす勢いで大きくなりました(o^^o)買い物と言えばダイエー(^^)今のイオンモールほど大きくはありませんが専門店街と飲食店の複合施設みいな。私が住んでいた京阪電車の香里園店は噴水広場みたいなものがあり芸能人が来ると、その噴水を簡易舞台へと変えるのです。来られた芸能人は数知れず歌手、落語家、漫才師などなど。また大阪では日曜日の夕方に放送されてた『ヤングおーおー』のメンバーが。当時は司会の斎藤努さん、そしてザ、パンダというグループを結成していた落語家である月亭八方さん、桂 きん枝さん、桂 文珍さん、そして故人となられた林家小染さんも来られたミニヤングおーおーが開催されたり。勿論、スクールメイツのお姉さんも(o^^o)歌手では今では絶対にありえない五木ひろしさん、『よこはま たそがれ』がヒットしていた時代です。欧陽フイフイさんや宇多田ヒカルさんの母の藤 圭子さん、高橋マリ子さんはペドロ&カプリシャスというグループで『ジョニーへの伝言』を歌いましたよ。漫才師ならカウスボタン、レッツゴー三匹、コメディNo1坂田利夫さんですね(o^^o)落語家は明石家さんまさんの師匠で笑福亭松之助さんとか(o^^o)あ、そうそう京橋のダイエーには昭和のトレンディ女優の浅野ゆう子さんが未だ10代でしたが来ました。私は高校時代に友達と学校帰りに京橋のダイエーへ行き浅野ゆう子さんを見に行きました。小さなホールで舞台と客席は、ほんの数メートル。私達3人は舞台正面の真ん前(o^^o)舞台といっても小さな段差がある程度。当時、歌っていた『セクシーバスストップ』を歌いながら舞台から降りてきてマイクを私達3人に向けてくれたのです。もう3人とも上がりまくりと浅野さんの可愛さに魅せられっぱなし(o^^o)ミニコンサートが終わってから浅野さんの後ろで踊っていた男性のダンサーと10分ほど雑談もしたり(o^^o)浅野さんのオフィシャルな一面を話してくれましたよ。あ!もう一つ。香里園のダイエーにクールスというグループが来たのです。あの館ひろしさんや岩城滉一さんがいたグループ。キャロルの弟分的なイメージ(o^^o)ダイエーの2階飲食店が並んでいる少しオープンなお好み焼きと焼きそばのお店にクールスのメンバーが入って行ったとき友達と『なんか似合わへんなぁ』と。リーゼントに革ジャンでしたからね(o^^o)今てば本当、スーパーに一流芸能人が来ることは少ないですが当時はダイエーさん。とても儲かっていたのかな(o^^o)