魂を磨く(^^)それぞれの魂には個性がありますが数秘術のエンジェルナンバーは神様から与えられた役割のように思っています(^^)でも、いきなりレギュラーメンバーにはなれません。エンジェルナンバーの役割を担えるために、この世に生まれ肉体という重い鎧いを魂は身につけ苦難、困難、老い、病気などはもちろん人間関係で揉まれながら、魂は磨かれていき、エンジェルナンバーの役割を担えるところまで磨かれてから漸く、なんとなく本人が気づくのかな(^^)気づいてから、やっとエンジェルナンバーの行動をしていけるのかも知れません。生まれたばかりは勿論、そこから何年?何十年は背中に貼られた背番号だけ。じゃないかな。
妻のカバラ数秘術でのナンバーはマスターナンバーと言われる11なのですが(^^)11の人は直感と洞察力が優れているとのこと(^^)人を見抜く力が鋭いと書いてありましたが結婚して24年。思い起こせば『なるほどね。』と思うことも数多く。でも当の本人は数秘術なるもの信じる事はなく、とても現実的な妻でもあります。マスターナンバーに求められていることは、おそらく気づく事はないかも知れませんが直感と洞察力は確かに鋭いのです。その分、論理的な事には全く無頓着ですし政治、経済など全く興味もなくテレビでチョット難しい話をされるとチャンネルを変えます(^^)日曜日、朝のサンデーモーニング程度でも『な〜んか難しい(・・;)何を言ってるのか意味不明。』などと言ってます。高校の頃、好きな科目は古文、大っ嫌いな科目は数学に物理(・・;)うなづけるなぁ。古文にはロマンを感じたそうです。数秘術?たかが数字と単なる占い扱いをする人もいるでしょう。でも生年月日って何か意味するものがあるように思えてなりません。縁起を担いだり?しますしね(^^)性格とかは私も???血液型や星占いなどで性格占いをさしてますが、私も気休め程度に思う程度。なんの気にもなりません。でも数秘術には数字の持つ性質が、その人の潜在的な、そして霊的な魂の性質とか、魂の奥底にある原石のようなものがあるように思えるのです。その原石が光り輝かせる為に苦難や困難な環境や人間関係で砥がれ、そして反省と感謝で磨きをかけるのではないかな。と なんとなく思った今日この頃です(^^)
言葉は言霊と申します(^^)使う言葉はポジティブな言葉を発しましょう。そしたら周りも明るくなります。 ポジティブワードが言えない気分になることもあります。そんな時はせめて愚痴を言わない、不平不満を言わない、八つ当たりをしない事です。言ってしまうと、その場の空気は重くなります。言ってる貴方も気分が悪く言われた周囲も気分が悪くなりますので空気の重さは一瞬にして現れます。それは夜間に明かりを消したように暗く重い空気となるのです。誰も夜間に暗い部屋で歓談したいと思わないでしょう?人は明るい部屋へと行きますよね?それと同じ(^^)ネガティヴな言葉は言ってしまうと周囲の人達の心の明かりを一瞬で消してしまうのです(・・;)え?愚痴や不満で盛り上がるときもあるじゃないかと?確かに。同じ悩みや例えば職場の上司などの不満や愚痴は盛り上がるかも。それは同じ事を思っている人同士の場合かな。可哀想ですが愚痴で盛り上がる人同士の心の部屋の中は暗く、暗い部屋で目が慣れているもの同士。人の悪口や愚痴は普通は聞きたくありません。同じ言葉でも言い方で笑えたりもすれば怒ったりも。『バカじやないの?』『アホか!』このワードだけでは文字で感情を伝える事はムリです。でも会話の中だと冗談だとわかれば笑えます。また反対に喧嘩にもなりかねない言葉でもあります。言葉は言霊と申しますが、それは声という音の周波数と表情から出る波動に乗って相手や周囲へ影響するのです。バカとかアホは言葉一つを。取り上げるとマイナス波動です。それをイントネーションや表情でプラスに変換して発しているから揉めないのかも。でも人によっては変換された言葉の波動を受けることが出来ない人もおられるので可能な限り、プラスの言葉を使った方がいいのかなと思う今日この頃です(・・;)
人生を振り返ってみると『あの時、本当にバカ事をしていたなぁ。』思い出し自分の未熟さを感じる時があります。その時、後悔ではなく反省したり今と比べて、どれだけ成長したか。場合によっては何故?あの時、そんな事をしたのか今なら考えられない事もあるかも知れません。今でも未熟でも過去は、もっと未熟な自分を支えてくれたり指導してくれたり(^^;;そのような人々に感謝の念を送ってみましょう(^^;;すると魂の針が天に触れますよ。心がクリアになりお金や物に執着心が減ってくるとお金や物に振り回されている人やお金に心を奪われてる人が可哀想(^^;;いや気の毒?いや、なんて表現してよいのか分かりませんが思う時があります。話は逸れましたが、あの時、バカな事をしたなぁとか失敗、しくじりの多くはお金と人に関わる事。そしてお金と人は密接な関係でもあります。『金の切れ目が縁の切れ目』これは金や物だけを見た結果では?でも『捨てる神かれば拾う神あり』困って途方に暮れている時、不思議と手を差し伸べてくれる人が現れることも少なくありません。しくじりや失敗でお金を失っても、そこで何かに気づけば行動や言動に変化が出て魂の針を上に向けると、きっと誰かが手を差し伸べてくれるのかな。でも失敗をいつまてもウジウジしていると魂の針は下を向いたままだと天は手を差し伸べてくれません。天は気づき努力をしている魂には手を差し伸べてくれるのですから。