必要以上に購買意欲を煽るのは良くない。とは言ってみても、どこまでが必要なのか、
適切な、あるいは自然な購買意欲とは果たしてあるものなのか、わからない。
「衣食足りて礼節を知る」とは、遙かに2,700年前、中国春秋時代の宰相の言葉。
この時代、今で言えば総理大臣たる「管仲」は、衣食が行き渡らないので、
犯罪が横行していたのを憂えてこのように考え、政治を行なったのだろう。
日本でも戦後しばらくの間は、この言葉が当てはまる時代だったと思う。
もちろんいつの時代にも、我が道を行く生き方をする人はいただろう。
“清貧”を言葉通りに生きた人もいたと思う。
現代は、衣食住に困る人もいるだろうが、+アルファの部分を、
“これでもかというほど”作り出すことを良しとする社会になった。
1950年代は、絶対的貧困の時代、その後次第に相対的貧困の時代に移行してきた。
言葉自体は、1970年代に世界銀行で使い始めたらしい。
私が福祉の勉強をしていた頃、確かによく使われていた。
相対的貧困とは、衣食住が足りているのはもちろんのこと、
その国、あるいは地域の80%以上の人が所有している物をすべて満たしていても、
さらに不足感にさいなまれるような状態。
所有欲を煽り続ければ、とどまるところがないから、
永遠に所有欲の飢餓状態に置かれざるを得ない。
どこかで意識改革が行われないと、社会的な何らかのブレーキが働かないと、
永遠の欲求運動の悪循環に陥ってしまう。
“断捨離”は、捨てて買うのを促進するという考え方もある。
社会の片一方では、消費を良しとして煽り続けるので、
捨てては買うの悪循環地獄に陥るからという。
作る側は、物の無い事に人間は耐えられないと踏んでいるから、
この“断捨離”ばやりをほくそ笑んでいる。
時代劇の裏長屋状態を良しとする人はいないだろうが、私は少し憧れている。
これまでの私の行動からすると矛盾しているが…。
“断捨離本”がベストセラーになるという時代は、おかしな時代だと思う。