本日、東京都港区では、大規模災害時の帰宅困難者対策として、事業者に対し、
従業員の一斉帰宅の抑制努力義務を盛り込んだ条例を制定すると発表した。
3月11日の東日本大震災当日、JR品川駅、区内53ヶ所の避難所が、
約10万人の帰宅困難者で混乱したことを受けての対応であるそうだ。
(先ほどのニュースによると、罰則を設けない協力要請とのこと)
阪神淡路大震災では、交通機関がマヒし、帰宅困難者の問題がクローズアップされた。
これを契機に、歩いて家に帰る取り組みが、ウォーキングクラブを中心に取り組まれた。
取手市歩こう会では、震災直後から、東京から取手まで45㎞のウォーキングイベント
「ナイトウォーク」を実施している。
私もこのウォークに2度参加している。
古河でも実施したいと考えているが、まだ実施できていない。
今回の港区の取り組みは、行政としての対応で、災害直後の混乱を避け、
安全に帰宅できる状況になるまでの具体的な対策を企業に求め、必要に応じて、
行政では補助金などでバックアップをする。
行政、企業の取り組みとして、大きな流れとしては必要な対策だと思う。
しかし、各地のウォーキングクラブの取り組みは、
交通手段が壊滅的な被害を受け、長い期間復旧しないことがわかった場合、
歩いて自宅に帰る力を個人が備えているか、という発想から発している。
現代社会で、40㎞の長距離を歩く能力を持ちたいと思う人は少ないだろう。
ウォーキングクラブでも、通常例会で歩く距離は、10㎞から15㎞の設定が多い。
「掛川歩こう会」のように、20㎞から40㎞、50㎞の距離を歩いている会もあるが、
むしろ例外に入る。
江戸時代、すべての人が40㎞歩けたわけではないだろうが、歩く旅や、飛脚などは、
一日に30㎞から40㎞を歩いている。
戦前、陸軍の行軍も、重い荷物を担いで40㎞を歩いている。
現代人は、歩く能力が低下している。健康のために歩くことは推奨されるが、
長距離を歩くことは想定されていないし、社会全体の大きな流れとしても無い。
平成11年に、『「歩いて暮らせる街づくり」構想の推進について』が閣議決定された。
これを受けて、各地で取り組んでいるようだが、モデルとして補助金を受け、
そのかぎりにおいての取り組みのようで、大きな流れにはなっていない。
岐阜市のように「歩いて暮らせる街づくり」を目指している行政も、少数派だ。
人間の「低歩行力」が定着してしまうと、人類の未来としては寂しいものがある。
江戸時代を肯定的に捕らえる動きの中に、歩いて暮らせる社会づくりも含めてほしい。
「脱・原発」と「脱・低歩行力」は、人類が目指すべき課題であるような気がする。