今年の盆に弟が線香を上げにきた折、「最後の忠臣蔵」のDVDを持参した。
その後、原作を文庫で読み、今晩2度目の映像を見た。
「忠臣蔵」には、謎の部分が多いと思うが、本作は、作者の創作により、
一人は討ち入り後に現場から立ち去り、
もう一人は、討ち入り前に脱盟し、内蔵助の隠し子を育て上げるという設定であった。
二人とも、内蔵助の命により、現場から逃れるわけだが、
世のさげすみを受けながらそれぞれ使命を果たす。
寺坂吉右衛門は、討ち入り後の幕府の対応を見届け、正しく趣旨が伝わるよう見守り、
また、残された遺族が後ろ指さされることなく世過ぎができるよう立ち働く。
寺坂は、原作では幕府に自首し、大赦により、他の処罰を待っていた者とともに、
その罪を許されるというエピソードがあり、この部分は面白かった。
瀬尾孫左衛門は、内蔵助の隠し子(女児)の成長を見守るという役目。
この孫左衛門は、最後に切腹して果てる。
内蔵助の最後の願いとして、我が子が、無事嫁ぐまでを見届けてほしいというのは、
単なるわがままではないのだろうか。
かの時代だったからこそ、あり得た話しなのだろうか。
現代の法律、道徳で過去を裁くことはできないとよく言われるが、
上級武士で経済的に余裕があってこそできたことではないだろうか。
むしろ、孫左衛門が隠し子の母(可留)に思いを寄せていて、
その子を守るという設定の方が真実みがあると思う。
瀬尾孫左衛門、よく役目を果たしたと思うが、
内蔵助の命令だけが脱盟の理由であるという設定には無理があったと思う。