文を書くという作業は、自分の思い、考え方を形にすること。
私の書くものは、非常に浅い、思想というのもはばかられるような思い、
考え方であるが。
書く中身は、深い内容を書くわけでも、特別な思いを発信したいというわけでもない。
ごく些細な、身の回りの少しだけ気になることや、気がついたこと、などを書いている。
ただ、こうして毎日書いていると、文の書き方にいつも気を配るようになる。
句読点の打ち方、てにをは、語感、漢字かひらがなか、などにも気を配るが、
最終的には、超個人的な好みで書いている。
ここで、長男の名前の由来について思い出した。
長男の名前は、「むのたけじ」の講演を聴いて決めた。
文化の語源は、「土地を耕すこと」だそうだ。それで、「耕作」となった。
その後、ラジオで「むのたけじ」と「森村誠一」の対談を聞いた。
その対談で、森村誠一は、本は面白くて、売れる本が良い本だ、と主張していた。
むのたけじは、売れればよいとは言えない。思想、中身が問題だと言っていた。
論点がずれていたのかもしれないが、その時は、森村がやたらに浅薄に思い、
読んでいた小説も急に嫌いになった。
小説は、確かに面白くなくてはいけないが、面白い中にも、
表そうとしている内容こそが大切だと思う。
森村の論点は、「売れればよい」に近い主張をしていたと記憶している。
二人のような、プロの物書きとでは比較にもならないが、
「文章」は、謙虚に考え、語彙を選び、あまり脚色をせず、書きたいと思う。