本日、「日米密約文書公開訴訟」の高裁判決がでて、原告は敗訴した。
原告の一人に、元原研職員の茨城県民がいる。
ジャーナリストや学者が中心の原告の中にあって、「唯一ただの人」とのこと。
毎日新聞の西山記者が逮捕されてから39年も経過している。
裁判の過程で、国家が国民を欺いてきたことは、ほぼ確定した。
そして今、元原研職員として、密約問題と同じ国家の隠す体質を、
自分の問題としても捕らえ直さざるを得ない状況におかれている。
いずれも国家が隠し、報道が枝葉末節を騒ぎ立て、事の本質をわかりにくくし、
国民の間に不信感が広がった点は同じだ。
そして、いずれの問題にも、根底には役所任せ、
自分たちの無関心があったと訴えている。
これら、国家が絡む問題だけでなく、私たちの身の回りにも、
自分の立場から考えたり、発言したりすべき問題があると思う。
個人が、すべての問題に向き合えるはずはないが、
向き合った方がよい問題もいくつかあるはずだ。
私は、子どもの頃の貧しさ体験(実際には平均的な生活だったと思うが…)と、
自分よりさらに貧しい人を馬鹿にしたという経験を持っている。
また、ボランティア活動で手話に触れ、ろうあ者と付き合う中で、
障害者を差別的に捉えている自分を自覚した。
そのような自覚は辛さを伴うが、自虐的と言って避けていれば済む問題ではないと思う。
想像力を働かせれば気がつく問題は、身の回りにいくらでもある。
身の回りに課題があったら、課題を抱えている人がいたら、
できる範囲で関わり、手を差しのべてほしい。
自分のできる範囲で、責任を持てる範囲で、関心を持ち続けていきたいと思う。