悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

「狎れ」に慣れないで

2011-09-07 22:14:59 | 言葉

気になる言葉はいくつもあるが、自分だったらこうは言わない、という言葉がある。
「勇気 」や「元気」をもらった(もらう)という言い方。「タレント」はもちろんのこと、
テレビやラジオでインタビューに応じた一般人の多くが使っており、
氾濫状態ではないかとさえ感じる。

言葉というのは生きているとよく言われる。
本来は間違いであるが、多くの人が使うことによって、
通用してしまうということもある。
ここで取り上げた言葉は、間違った使い方ではないのだろう。

「勇気」、「元気」という言葉は、日常的に使うには少し重い言葉だと感じている。
だから、使うときは、少しの“ため”、“間(ま)”がないと使いにくく、
気恥ずかしい気分を伴う。

「勇気づけられる」、「元気づけられる」が、これまでの使い方だった。
「~をもらう」は、はやり言葉として使われているのではないか。

未曾有の大震災だったから、人びとは言葉を失い、
「歌」や「サッカー」に救いを求めている側面もあるのかもしれない。
特定の歌に「元気をもらい」、「なでしこ」に「元気や勇気をもらう」。

だが、そこに「狎れ」があると、
他を思いやる気持ちは定着しないのではないかと危惧する。

「お返し」の社会においては、たいてい「物」を返す。
次の機会には、ほぼ同等の「物やお金」を返すしきたりになっている。

もちろん、「物」も「勇気・元気」ももらいっぱなしで良いのであるが、
「狎れ」の結果であれば、「思いやりのある社会」の実現にはつながらないと思う。