こんな下手くそな画像で大変
、申し訳ありません。
名古屋市天白区の島田停留所にて撮影。
いずれも名古屋市営バスの後部で、NH-96号車は“平針住宅”、NH-212号車は“島田住宅”と橙色で表示されています。平針住宅行きは幹新瑞1(旧57)、島田住宅行きは八事11(旧84)ですね。
いずれも、島田とか、おおね荘の経由地ぐらいは入るのでは?
いずれも緑車庫配属中だが、NH-96号車の方は白文字LED方向幕初搭載の次期新NF車導入に伴い、残念ながらも本年度中には引退し、廃車の見込みです。
しかしながら、昔のツーマン専用車に比べると、今のノンステ・ワンマン車の後部行き先表示は、何ともかなり粗っぽい。
そりゃあ、あの時代、つまり昭和30〜40年代頃のツーマン専用車の方が余程か丁寧な表記だったわ。(苦笑)
確かにツーマン車でも、“赤萩町”(初代19)、“菊井町”(初代40)、“市役所”(初代17)といった、ごく単純な表記もありましたが、この系統の全区間便は“名古屋駅前←布池町・赤萩町・大松→守山”だったか?と記憶しています。確か、当時は赤萩町〜百人町〜豊前〜大松間は昔からの狭苦しい旧道経由。空襲を免れたと聞く界隈で、まさしく郡道情緒が近年までは満点でしたね。これぞ、ホンマのバス通り!!
敢えて系統番号を入れなかったのも、きっと視認性を考慮したのだろうね。
後年には程なくワンマン化されましたが、後方幕がまだなく、且つ赤帯入りの若かりしワンマン専用車(ワHR車)たちは恐る恐る、あの古い飲食店や市場などが立ち並ぶ旧道を通過していたものでしたね。懐かしいです。
そして、今は代わりに52改め栄15の大型ノンステ車が新道経由で運行していますね。
先にも述べた姉妹系統の17も懐かしいです。手回し後方幕は“名古屋駅前←市役所・赤塚・山口町→守山”だったかな? また“名古屋駅前←市役所→赤塚”もありましたね。19と同じく那古野車庫の担当でした。若い女性車掌も多かったなぁ。
その頃、初代2改め名駅15、同じく50改め栄18、85改め金山12はワンマン車とツーマン車が、なぜかずっと共存。2、85はHR車、50はSR車も、真新しいワンマン専用車に交じって働いていたものでした。50は浄心車庫が本担当、天白車庫が副担当だったかと思います。そのため、ワNR車も時折、名駅前に姿を見せていましたね。また、45や60の中には名古屋駅前への直通便も60分間隔で運行されていましたが、さすがにワンマン化はされませんでしたよ。
今の基幹1の前身ともみられる初代41も、ようやくワンマン車が走り出したばかりの頃かな。確か、当時の老松車庫担当で、名古屋駅前〜栄〜白川通大津〜丸田町〜堀田駅前〜堀田通九丁目(地下鉄堀田)〜呼続大橋間を結んでいました。しかし、昔から、かなり混雑していたせいか、一度はツーマン車主体に戻ったこともあり、栄〜千竃通二丁目(もともとは呼続大橋止まりの予定だった)間での運用に。それが今なお、あのFC-1号車も活躍する大黒柱のような路線系統として健在なのは嬉しい限りですね。
………さて、名古屋の市バス路線系統の場合、例えば1改め名駅13は往路は“上飯田”、復路は“辻本通・名古屋駅”。53改め栄23ならば同じく“高杉町・中川車庫前”“栄”。それにしても“上飯田”はスペース的には辻本通の3文字が綺麗に入る筈だ。“栄”も上前津ぐらいは楽勝だが。うん。
ちなみに栄23の前面表示は上前津が入っているのだが。
私自身から身近な事例としては、61改め神宮11での“島田一ツ山”“相生山住宅”“名鉄神宮前”。いずれも新瑞橋ぐらいならば、うまく収まるのではなかろうか?
近隣の60改め八事12は“八事・島田一ツ山”“今池・千種駅前”の表記ですね。
また、停留所自体も“前”なんて表記は、もはや要らないと思いますよ。中川車庫前、如意車庫前、千種駅前などは早期に見直すべきだ。笠寺駅、新守山駅とか鳴尾車庫、緑車庫の例が既にありますね。藤田医科大学病院も、藤田医大病院で十分に分かるのではないかな?
これから順次、アンバー文字から白文字型に変われば、昼間帯でも細かい文字でかなり読みやすくなろう。これを契機に、名古屋市交通局も一度は真剣に全路線的な表記替えを検討したらどうだろうか?
ちなみに過去には、名古屋駅前は名古屋駅に、また堀田駅前は名鉄堀田に、深田町は名鉄清水に、わざわざ改称した事例もありますね。